屋敷伸之棋聖(当時)「お化け屋敷と呼ばれて」

近代将棋1991年2月号、「若手棋士インタビュー 屋敷伸之棋聖 ハタチになったら酒やめる?」より。

 将棋も人物も招待がいまひとつ見えないところから、”忍者屋敷”とか”お化け屋敷”なんてありがたくない名前をつけられているが、正直な現代っ子で、案外お酒が好きだったりする好青年であった。

   

 将棋雑誌に載っていた屋敷の自戦記が、とても素直で面白かった。おしゃべりは苦手のようですが、書くのは好きみたいですね。

「ええ、ことばをあまり知らないもので・・・。書く時は割合ぱっと書いちゃいます」

 あまり正直に書くと、損をするのでは。

「え、少し書きすぎましたか。今度から気をつけるかなあ」

 いやいや、大丈夫ですよ。それよりもあまり屋敷将棋の実体がわかると、将棋の上で損をするんじゃないかと。

「ああ。そのことはあまり考えていませんでしたね。適当に思いつきで書いたので、もう内容も忘れたくらいです」

 こういう人がライターになれば、量産型になれそうだ。思いつきでパッと書けるのは文章の才能があるということだ。

 奨励会はとても短かったようですが(2年10ヵ月)どんな将棋でした。

「ほとんど矢倉でしたね。でも序盤の強い人に当たると吹っ飛んでました。ボクの奨励会のころはけっこう序盤が甘くても腕力で勝てる感じでしたが、今の奨励会は、よりプロっぽくなって、辛い時代のようです」

 今の若手の将棋を見ていると、ポイントを少しずつ稼いでいくタイプが多いみたいね。

「ええ、逆転を狙う人にとってはキツイ時代ですよね。少しずつ離してそのままゴールに入るというような・・・」

 局後の感想戦では極端にことばが少ないので有名ですが、けっこう快活にしゃべる。そのことについて触れると。

「回りは先輩ばかりでしょ。だからいえないのと、ボクはことばをあまり知らないもので」

 仲間とはけっこうしゃべるんでしょ。お酒なんかも飲むんですか・

「ええ、飲みます。奨励会時代からの先輩や仲間に会うと、自然にちょっと行こうか、という形になって・・・。お酒はまだ未成年なんですけど、けっこう飲んじゃいますね」

 じゃ、いつもいっしょに行く人は、奨励会の人が多いの。

「ええ、先輩も奨励会にいますし・・・。仲間も」

 そういう時は、どんな話題が多いんですか。

「将棋の話はまず出ませんね。ええと、たいした話じゃないんですけど・・・」

 人の話では。そこに居ない人の話とか。

「ふふふ。そう、なんですよ。ちょっとへんなことをやった人の話とか・・・」

 記録で棋士の名前、知らなかったとか。

「そうそう。関西の◯◯先生をしらないのがいて、どなたですかって聞いたとか、ふふ」

 上の先生の話題はどうですか。大山名人あたりは・・・。

「・・・・・・。(黙って目を伏せている)」

 若い人の関心はどのあたりの年代までかな。

「すぐ近くの年代ですね。あと、米長先生の話は話題になりやすいんですね。たとえば、詰むや詰まざるやをやれば四段になれるとか。あれはボクもやりましたしね。それから中原先生のは、手のことがよく話題になります」

(中略)

 屋敷さんの将棋は、変わり身の早さとか、切り替えの早さだという人がいますね。

「そうですか。ボクは一手一手の局面で考えるタイプなので」

 なるほど。一本の読みを通していくというより、その時の状況で考えていくと。盤上の最善手をもとめるというより、相手の考えていない、意表の手を指してゆくタイプでしょうか。

「ええ。ヘンな手が、浮かぶんです。そしてその手が奇妙に気にかかる性質なんですね」

 たとえば、本筋っぽい手と、ヘンな手が二つあって、ヘンな手の方が五分五分で成立しそうなら行きますか。七分八分の成功率がなくても。

「ええ、行きます。五分五分くらいでも。だいたい将棋の強い人は皆同じ考えだから、同じ手をやっても、ね。違う手を指した方が・・・」

 『盤上の最善手を積み上げていけば、絶対に真理に近づくはず』というロマン派と、『相手が転ぶような手を指さないと勝てない』とする勝負派があるが、屋敷は完全な勝負派だ。

 大山名人、中原名人に近い考えだろう。

 読みにしても、一本の長い読みを中心にして突き進む剛直型ではなく、一手一手考えを変えられる柔軟型である。広く浅く確実に、である。顔に似合わない、超現実派なので、相手はだまされやすいのではないか。

(中略) 

 序盤がとても進歩したようですけど、先手番の勝率が高くなっていますね。屋敷さんも”先手は主導権を握れるぐらいではすまないところまできているらしい”って書いてましたよね。

「あ、いや、あれはちょっと書きすぎました。「もう先手番高勝率のピークは過ぎていまして、下り坂です」

 そう、なんですか。

「ええ、相がかりでも角交換でも、後手の対策が進んでいまして、今急速に後手がよくなってきていますので・・・」

 なるほど変わり身の早い屋敷というのは本当だった。島朗さんが「ちょっと悪いかなという徴候ががあらわれるとサッと変わるのが屋敷」といっていたが、正にその通り。今までやってきたことを惜しげもなく捨てられる、特異な性格の持ち主だ。そこには見栄やこだわりよりも現実の得が優先優先している姿が見える。

 そういえば奨励会の仲間と飲む時も割り勘とか先輩が払ったりとかで、棋聖の屋敷が払うなんて見栄は張らないらしい。

(中略)

 今、将棋界のトップは、中原名人、米長王将などの世代を除くと、谷川、羽生がいて、次は屋敷、森下、そして佐藤、森内なんかだと思うんだけど、谷川、羽生は剛速球では・

「ええ、谷川先生は速すぎて球がみえません(笑い)。羽生さんもう強い、っていう感じ。序盤も中盤も終盤も全部強いです」

 反対に森下とか小野修一なんかは、コツコツと積み上げる堅実派ですけど、どっちがやりにくいですか。

「堅実派の方が嫌ですね。剛球型はひとつ狂うとチャンスが生じますけど、堅実派は隙が少ないですから」

 そうですか。でもね、堅実派の森下さんは、羽生クンは確かに強いけど屋敷さんはどうして強いかわかんないって、将棋雑誌に出ていたけど・・。

「あ、そうですか。羽生先生は本当に強いですからね。ボクはまだよくわからない方がいいんでしょう。答えは盤上で出すしか・・・」

 よくわからないうちに上がっちゃうとか。

「ふふふ。そうなんです。そう願いたいです」

 あの、順位戦重視の人と、小野修みたいに勝率重視とありますが、屋敷さんは。

「やはり地位を上げていかなきゃと思っています。順位戦には力を入れますねやはり」

 A級入りして名人挑戦者になるのが目標。

「まあそれあかりじゃなく、とにかく上の人とどんどんやりたいですから」

(中略)

 屋敷さんは中学名人からプロ入りして18歳でタイトル戦の大舞台に立ったんだけど、実感はありますか。

「中原先生などは本に載っている棋譜でしか知らないのに実際にボクが戦うなんて夢のようでした。それで地方の対局場なんかへ行っても、たいへんな扱いで最初はとまどいましたね」

(中略)

 賞金なんか、どうしたの。

「全部貯金しています。使い道がなくて」

 パソコンとかオーディオとか機械類は。

「全然だめ。弟(高一と中二)がやっているのでやらせてもらったけど、頭痛くなっちゃって」

 弟には小遣いやるの。

「いややっていません。一回やると顔見るたびにいわれそうな気がして」

 家には生活費は。

「入れていません、今のところ」

 じゃあ、女の子に使うわけでもないでしょ。

「ええ、仲間の話題にはたまに出ますが、それだけで。高校時代(都立高)もしゃべったことありませんでしたし」

 お金がどんどん貯まるけど、今のところ使い道がないという。世の中にはこういう人もいるんだ。しかし屋敷が使い道を覚えてくると多少は将棋も変わるのだろうか。でもさっきお酒が割合好きといっていたから、ここら辺が突破口かも。

 お酒飲む時は何時ごろまで。

「午前2時とか3時になっちゃう」

 やっぱりひとつあった。するとどこかへ泊まっちゃう。

「ええ先輩の家へ。ええ、家族の者は心配しませんね」

(中略)

 最後にひとつ質問。

 今は競争が激しい時代だけど、ポーッとしていると落ちてしまう心配はないですか。

「いやあ、あんまり考えたことないですね、そういうことは」

 かなり神経は太い。最近うれしかったことは。

「棋聖戦で2連敗してもう駄目かと思った時、全国のファンから励ましの手紙をいただいて、びっくりしました。ボクにもファンがいたということが驚きました。とても嬉しいことでした」

 では次の防衛戦と順位戦頑張って下さいね。

「はい。なんとか・・・やってみます」

—–

当時の屋敷九段の先輩棋士の前での無口ぶりは過去の記事でも紹介しているが、まさにその頃のインタビュー。

先崎学四段(当時)「みんなウソつき。タヌキかキツネという感じですね」

高橋道雄八段(当時)「まずい将棋を指して、申し訳ありません」

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若手棋士や奨励会員同士で飲みに行った時の話題がどのようなものか、というのは時代によって変わるのだろうが、ぜひ知りたいところだ。

上の先生の話題はどうですか。大山名人あたりは・・・。

「・・・・・・。(黙って目を伏せている)」

と、大山康晴十五世名人の話を振られて、黙ってしまうのも、当時、大山名人が恐がられていたということなのかもしれない。

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