将棋世界1990年8月号、羽生善治竜王(当時)の連載自戦記〔新人王戦 対小倉久史四段〕「開幕戦を飾れず」より。
本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事。対局過多で週に2局も3局も指さないといけない時もきついが、こういう状態も結構、淋しいものがある。というわけで、新年度の開幕戦は張り切って行くことにした。
対戦相手は小倉久史四段。小倉四段は私と奨励会同期で、研究会などでもかなり指している。いわばお互いに手の内を知り尽くしている。
中原門下にもかかわらず(?)振り飛車一辺倒という、最近の若手棋士の中では珍しい存在である。
(中略)
局後の感想戦で色々な変化をやってみたが、どれもうまくいかない。
どうも5図以下は私に勝ちは出ないようだ。
負ける時は当たり前だが、負けるように負けるように出来ているもの。
せっかくの開幕戦を飾れなくて残念だが、また気分を一新して頑張って行きたい。
(中略)
私が奨励会三段の時に初めて公式戦に参加することができた。
新人王戦である。
長時間の持ち時間は初体験なので新鮮な気分だった。
それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする。
もっとも、新人王戦で優勝することが私にとって一つの目標だった。
何と言ってもこの棋戦は若手の登竜門になっているから。
そして、一昨年その目標を達成することができ、優勝できた時は本当に嬉しかった。
しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?
やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。
だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。
私は私なりに全力を尽くしたつもりである。
しかし、何か欠けているものがあったかもしれない。
私の最後の新人王戦が不完全燃焼のような形で終わってしまうのは残念でならない。
こうなったら小倉君に頑張ってもらって優勝してもらおう。
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「本当に久し振りの対局。中51日なんてプロになって初めての事」
この対局が5月18日で、直近の対局が3月27日。
羽生善治九段にとっては、ある意味で奇跡的なことだったかもしれない。
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「それから4回出場させてもらっているが、あの新鮮な気分は失われてしまったような気がする」
新鮮な気分が失われるということは、次のステージに進んでいる証拠で、決して悪いことではないと思う。
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「しかし、今回はどうだっただろう。以前のように優勝を目指して行っていただろうか?やはり、1回新人王になってしまっていること、タイトル保持者であることを考え合わせると気持ちに変化が生じた感がある。だからといって、本局は一生懸命やらなかったわけではない。私は私なりに全力を尽くしたつもりである。しかし、何か欠けているものがあったかもしれない」
新人王戦が悪いわけではないが、新人王戦という棋戦の特質上、このような気持ちの変化があっても当然だと思う。
新人王戦に対して今まで100層の闘志があったものが99層になったとして、この紙一重の差が結果に大きく影響する場合もある。
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現在の新人王戦は、タイトル戦経験者の出場資格はないが、それ以前のタイトル戦経験者を見てみると、
- 1998年に三浦弘行六段(当時)が棋聖失冠後に新人王戦初優勝
- 1999年に藤井猛竜王(当時)が3度目の新人王戦優勝
- 2005年に渡辺明竜王(当時)が新人王戦初優勝
三浦六段と渡辺竜王はそれまで新人王戦で優勝がなかったので、闘志は変わらなかったと思われるが、過去に2度新人王戦で優勝していて竜王1期目の藤井竜王が新人王戦で3度目の優勝を果たしたことは、そのような意味で驚異的なことだと思う。
1999年時点で新人王戦で3回の優勝は、森安秀光九段と森内俊之九段のみ。
トップタイの記録にしたいと闘志が燃え上がったとも考えられる。