井上慶太五段(当時)「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

近代将棋1990年6月号、湯川博士さんの「若手プロインタビュー・井上慶太五段 三度目の正直、次は一発狙い」より。

 この日新聞棋戦を早々と負けた慶太クン、「あれ(昇級決定)からどうも、負けてばっかりです」

 それだけ嬉しかったということかな。

「そう、なんでしょうか。自分ではわかりませんが……。嬉しさ、ですか。それはもう、なんといいますか……はい、四段になった時とでは全然、比べものになりません。四段の時はそれほどでもなかったです。激励会もスムースに抜けましたし。ところがC級2組では、半分諦めかかっていましたから。もう、一生ここで暮らすんかなあ、みたいな気持ちで……」

 上がった時、家に電話したんでしょ。

「ええ、12時に終わって検討戦やって、1時半ごろ電話しました。そしたら、ワンコールでサッと母が出ましてン。それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました。家中で起きててくれたンかなあ思って、嬉しかったデス」

 井上慶太の四段昇級後のC級2組成績は、

  1.  7-3
  2.  8-2
  3.  6-4
  4.  6-4
  5.  7-3
  6.  8-2
  7.  8-2

 7年というのはちょっと長かったな。

「はじめ、2、3年で上がればいいとのんびり構えていたのが尾を引いたみたいですね。2年目良かったけどその後6-4、6-4でちょっといじけたンちゃうかな」

 8-2の好成績を3回も取っているけど、三度目の正直でやっと昇級したんですね。

「はじめの8-2は順位が下だったので、まったく期待していなかったけど、二度目の時はキツかったなあ。最終戦まで8-1で行って勝てば自力昇級だった。それをやられちゃいまして……ひどかったなァ」

 頭ハネの次点になったんでしたね。

「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

 それじゃあ、勝てないんじゃあないの。

「ええ、全然勝てません(笑い)」

 そういう状態がどのくらい続いたの。

「1ヵ月。飲むだけ飲んだら、また将棋やる気が起きてきて、ボチボチ始めました。もう今年が最後のチャンスの年やな、思って……」

 この若さで最後とはちょっと情けないのでは。

「今までの最高の位置(C級2組4位で上の3人は大ベテラン)ですし、私の棋力からいって8-2以上は無理ですから。この位置で8-2とって勝負というところだったです」

 将棋は四段に上がった時と比べて変わりましたか。

「変わりましたねェ。入ったばかりのころはもっと伸び伸びしとったン。最近は勝ちと見るとフルエるんですわ。そのせいか、いつも最初の方でつまずくんです。負けが先行します。前半3-2ならいい方です。前期は珍しく5-0でスタートしたと思うたら、とたんに2連敗するし。とにかくここ(C級2組)にずっと居るんやないか、そういう恐怖感ありますね。

 あ、それからもともと受け主体なんですけど、今はすぐ受けに目が行ってしまうんです。こんど上がったんで少し伸び伸び指せるんかなあ、思ってますけど」

 今期は伸び伸び指して好位置に上がるのが目標ですか。

「いや。一発昇級めざしてます。また2、3年なんて思っていると、上がれんことになりますから」

(中略)

 童顔のせいか、今年26歳とはとても思えぬ慶太クンだが、プロに入ったのはわりあい遅いほうだったという。

「小学校6年の時アマ初段くらい。中学3年で三段強くらい。高1の時、高校選手権で全国3位です。プロ入りはその後に決めました。ちょっと遅かったんで、入ってからは高校休学して将棋漬けになりました。米長先生が『詰むや詰まざるや』をやるとよいと何かで書かれていたので、一応全部詰ませました」

 へえ。どのくらいかかりましたか。

「1年半くらいかな。初段の時だから17歳から18歳、19歳にかけて」

 その頃の同期は。

「浦野クンです。彼とは同い年で四段に上がったンも同じです。今ちょっと先越されてますけど(浦野は62年C1へ、平成元年B2へ)

 抜かれると悔しいもんですか。

「まあ、才能もありますから。人のことより自分のことで一杯ですよ。今年はC1から落ちんようにせんと(笑い)」

 結婚も浦野クンにリードされたけど、考えることありますか。

「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

 野球の選手なんか、球場の裏口に女の子が群がっているけどね。

「連盟の入口に女の子が待ってたなんて、聞いたことありませんからね(笑い)」

 なんで縁が薄いんだろう。

「なんやら将棋指しいうと、うっとうしいんやないかね。イメージが」

 可愛い子タイプがいいの。

「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」

 強い人は駄目なの。頼りないね。

「いや、正直いうて、僕なんかつきおうたことないものですから、想像でいうとるだけです。相手が出てこんと、ようわかりません」

 若い時から過酷な競争しているんで、女の子は二の次ということかな。

「頭の中、やはり将棋が大きいですね。とにかく上へ行かんとしょうがないですからこの世界は」

 若くて力のあるうちに行けるだけ上へ行く。このことがほとんどの将棋指しの頭を占めている。女の子と遊ぶのは余裕が出来てからで遅くはない、というのかな。

(中略)

 この先どのへんが、目標ですか。

「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ。そこへ羽生クン森下クンなんかがいて、中村さん島さんのタイトル組もいるでしょ。2番目に入るの大変やと思います」

 研究会なんかで技を磨いているの。

「森安研究会で淡路先生、福崎先生に指してもらっています」

 研究会は師匠の門下とは関係ないの。

「気の合った人間同士みたいですね。あとは自分で将棋をつくっていかないと、いけないみたいですね。上へ行くと皆形を持っていますから、C2の時のようにいかんかもしれんし。まあ、とにかく当たっていくしかないです」

 そう、昇級した勢いというのはとても大事。そのツキにうまく乗って一発昇級を狙ってください。

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将棋世界1990年5月号グラビアより。

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井上慶太五段(当時)が順位戦でC級1組への昇級を決めた直後。

井上五段の人柄もあって、とてもなごやかな雰囲気のインタビューだ。

井上五段の昇級には様々なドラマがあった。

先崎学四段・羽生善治竜王(当時)「井上さんに知らせに行こう」

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「それで僕が上がったいうたら、後ろで、兄ちゃん上がったでェ、いう妹の声が聞こえました」

井上九段の妹さんは、別の機会にも非常にいい味を出している。

井上慶太五段(当時)の妹さん「ウソやろ」

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「あの時はもう、毎日酒浸りで、対局日の前日でも3時4時まで飲んでました」

この頃のことだ。→井上慶太五段(当時)の悪夢

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「考えるいうても、相手がおらへんもの。僕らあまり女性に接触するチャンスないんですよ。それに同門の谷川先生がまだですから」

同門の谷川先生がまだですから、が可笑しい。

とは言いいながらも、井上九段は谷川浩司九段よりも前に結婚をしている。

井上慶太六段(当時)の結婚

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井上五段の「そうですね。あんまりキツうない人、言うこと聞いてくれる人がいいンかなァ」に対する「強い人は駄目なの。頼りないね」

あくまで女性に対する好みの問題なので、頼りないも何も関係ないと思う。

また、強い女性が好みだからと言って、頼りがあるとも限らないわけで。

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「あまり才能ないですから、A級とかはとても無理みたいです。なんとかひとつ上のB級2組へ上りたいと思います。その先は考えてません。なにしろ各組昇級2人でしょ」

非常に謙虚な井上五段。

ここからC級1組に4期、B級2組に2期、B級1組に1期、そしてA級に昇級している。