「将棋で負けて困るのは端的に言って僕と女房だけです」

近代将棋1983年1月号、「新春放談 棋界よもやま話 王位 内藤國雄 VS 推理作家 斎藤栄」より。

斎藤 今月はお正月号ですので、将棋よもやま話を大いにやりたいと思います。内藤さんは現在、王位、王座と絶好調ですね。これは私とすれば嬉しいことです。ところで将棋界は今、戦国時代ですね。大山、中原の安定時代が十年ほど続いたのですが、これが崩れ、タイトル保持者が分散して群雄割拠の時代になりました。これはアマチュアの立場から見て、将棋界にとって、よいことだと思えるのですが、内藤さんはプロとしてどうお考えになりますか。

内藤 大山さん、中原さんが勝つと記事も地味になります。話題提供という意味では群雄割拠の方が面白いですね。

斎藤 見る方の立場から言えば、野次馬根性かも知れないけれど、唯かが山に登るとまた他の者が追い落すといったほうが面白い。

内藤 大山さん中原さんの時代が長かったということは、二人が強いということですね。それと、あの二人にタイトルを持たしておけばよい、という心理が仲間内にある。今の世の中は役人意識で動いていると言った人がいますが、プロの内にも、大山さん、中原さんが勝つと、まあいいや、というところがある。普通は勝った者は憎まれるのですがね。僕達が挑戦者になった時も、相手が大山さん、中原さんなら負けてもいいや。という気分がどこかにある。僕自身はこれまでダブルスコア以上に負け越していますが、このような気分も一因しているようです。

斎藤 内藤さんは現在すこぶる好調の波に乗っていますね。ある雑誌にはビッグ2などと書かれたりして。(笑)内藤さんなんかにはもっと早くナンバー1を目指して欲しかったですね。

内藤 結局やる気ですね。一般には、二十歳で基礎を作り、三十歳でタイトルを取るようでないと、超一流にはなれないとされているでしょ。続いて四十歳を過ぎればいかにして力を衰えさせず、強さを持続するかという具合にね。けれども四十になろうが五十になろうが、要はやる気だと思います。

斎藤 これまで二足の草鞋を履いてきたりもしたが、今はやる気が出ている。(笑)

内藤 そうなのです。これまでの成績はとかく歌のせいにされるのですが、芸能界というのは確かに厳しいですね。たとえば月に一度ステージに立つとすると、その一度にものすごく神経を使う。歌詞を覚えたり体の調子整えたりね。むしろ本物のプロのように、一と月、北海道廻りとか九州廻りした方が楽かもしれない。普段からそうした生活の中でリズムを作れますから。僕はこの八年間、芸能界の人との付き合いばかりで、将棋仲間と飲むことはほとんどなかったのですが、将棋関係者はとかく歌をやめろ、みっともない、と言うのです。みっともないなどと歌手の人が聞けば怒りますよ。(笑)一方、歌の関係者は将棋も頑張って下さいと言う。その方が正直言って嬉しいですね。

斎藤 僕も以前二足の草鞋を履いていました。役人と小説家です。両方できるならば本当はそうしたほうがいいと思います。しかし内藤さんが歌で出たという背景には、将棋で出たから、というところがある。つまり本質はプロ棋士なので、将棋の成績は良いものを残して欲しい。ファンとしてね。

内藤 芸能界という所はなかなか広がりがありましてね。作詞家、作曲家、編曲者、レコードの宣伝関係者、レコード店、楽団の人達といったふうにね。だから一曲ヒットした時の波及がものすごい、と同時にいい加減なことをした時に迷惑を被る人がたくさんいる。一方、将棋で負けて困るのは端的に言って僕と女房だけです。(笑)その辺を知らぬ将棋関係者はごく軽く考えている。たとえば、紅白歌合戦に出場するためには、なにもペコペコ頭下げて歌わなくてもNHK杯戦に優勝すればよいのではないかと言う。これはとんでもない暴論で、紅白歌合戦に出場すればNHK杯戦に優勝させて貰える、というようなものです。

斎藤 以前僕のテレビドラマ「殺人の棋譜」で、内藤さんに名人の役で出て貰いましたね、この間あれをもう一度見なおしたのですが、あなたはカッコいいですよ。(笑)あれをファンとして、実現して欲しいと思うのです。「名人」というのは、率直に言って他のタイトルと違います。やはり歴史と伝統がありますから。将棋を知らぬ人でも、王位とか十段とかは分からなくても名人といえばすぐにピンとくる。

内藤 確かにそうですね。もっとも辞書によると名人というのは大したことがない、王位とか聖(ひじり)が最高で、名人の方は、居眠りの名人とかね。(笑)でもやはり「名人」というのは別格ですね。特に碁に較べれば将棋の名人はね。

斎藤 とにかくタイトルが分散している現状はいいですね。これがすぐに誰かに統一されずに、戦国時代が続いたほうがいい。名人戦といえば一定の人が出てきて一定の将棋、矢倉なら矢倉ばかりするというよりも、内藤さんの空中戦だの横歩取りだのと、様々な人によって様々な将棋が指されるほうが興味深い。そういう時期が来ているように思います。

アマプロ戦

斎藤 アマプロ戦の話題が大きくなってきましたね。最近ではアマ名人がA級八段を角、香、平と三連覇したりしてね。これは僕は好ましいことだと思う。こうした舞台にプロが登場することが大切、というよりそういうことがあって普通ではないでしょうか。アマプロの一体感が生まれる機縁にも、普及のためにもなりますし。

内藤 将棋人口が増えていると言われる割には一般世間での反響は少ないですよね。たとえばスナックへ入れば、野球だのボクシングだのの話題は盛んですが、将棋の話はほとんど聞きません。我々の仲間は付き合いが狭いからいつも将棋の話を耳にしていますが、外へ出ればそういうわけではありません。これは一つには、アマチュアのファンの批評の有無によると思います。テレビ将棋を見て「何だあんな手指して」といった具合に、勝手に批評するファンが出てくるほうが盛んになるでしょう。アマとプロの差が最も大きいのが将棋なのだ、と言われ続けて長いのですが、これは自慢になりません。むしろ層が薄いということの現れでしょう。実際、アマチュアは随分強くなっていますね。僕は仲間と一杯やる時にこんな話をするのです。仮にプロ側がアマ名人戦に毎年一人のプロ棋士を派遣するとします。たとえば僕でしたら神戸地区から出場するわけです。勝ち抜いて神戸代表になれば次は兵庫県大会です。これで県名人になって、全国大会に出てくる。こうした過程を経てアマ名人になれるかということです。もしアマ名人になれたら賞金五千万円出そう、そのかわりアマチュアに負けるようなら即退会だ、ということにする。そうするとプロは誰も出ませんよ。アマチュア名人になかなかなれるものではありません。プロのトップになれば、アマチュアのどの歴代名人を呼んで来ても負けはしませんが、しかしアマ名人になってみろということになれば、これは大変です。ですから沖さんだの小池さんだのというのは、あれだけの成績を残して立派だと思います。

斎藤 一番勝負となると別問題ですものね。

内藤 アマチュアのトップはこの間までプロの初段と言われ、今は五段ぐらいあるのではないかと言われています。僕はこれはどちらも正しいと思います。アマの超一流なら、プロの五、六段、あるいは七、八段と指してもいい勝負ですよ。しかしそれなら、初段で奨励会へ入って五段になってみなさいと言われたら、これは容易ではない。

斎藤 プロとアマの違いを言う時に。アマチュアなんか将棋が分かっていないと言う某八段がいます。俺達だって分からんような難しいものをアマが分かるかというわけですが、僕はこれは将棋をスポイルするものだと思います。将棋は結局は大衆娯楽でしょ、大衆がなきゃ意味がないのですよ。仮りに僕なりが自分の小説は難しくて大衆なんかには理解できないと広言するとすれば、こんなナンセンスなことはない。分かるということの意味が違うのです。深い手をヨミあえばそれはプロが優るに決まっています。けれどもだからといって、アマチュアには分からないということではない。アマも楽しめるということが大切なのでしょう。これはアマのほうにも責任がある。なにかというとプロの将棋は難しくて分からない、という言い方がよくないと思います。ところでプロもアマも参加できる棋戦は無理でしょうか。

内藤 近い将来できると思います。新聞は無理としても、週刊誌などで可能でしょう。プロの内には、アマチュアの方が得ではないかなどとやきもちを焼く人がいますが、それなら自分も出ればよい。アマの大会に賞金はよくないという声もありますが、賞品に冷蔵庫だミシンだといったって、今の世の中はもう品があまっていますしね。

(つづく)

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「とにかくタイトルが分散している現状はいいですね。これがすぐに誰かに統一されずに、戦国時代が続いたほうがいい」

これは意見の分かれるところで、少なくとも1995年以降の羽生善治七冠フィーバー以降は時代が変わったと思う。

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「相手が大山さん、中原さんなら負けてもいいや。という気分がどこかにある」

こう思われるようになれば歴史に名を残す棋士。

将棋の強さという信用力のみならず、人格的な要素も加わってくる。

 

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