林葉直子女流王将(当時)「私たち女流棋士も紺の制服をびしっとキメて、将棋盤の前に勢揃い……!!これはいい」

近代将棋1990年7月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。

「林葉さん、余程お金に困っているんでしょうね……」

 ある日ある時、私のファンと称するお方から同情の眼差しを向けられた。

 おっと……!!私は思わずタタラを踏んだ。

 たしかに私にはお金がない。お金もなければ胸もない。知性もないし、色気もない……。

 あるのは借金と体重……

 それから……、将棋に対する愛着、ものを書きたいという意欲、そんなもの。

 でも、これだけあれば十分生きていける。

 借金があれば、それを返すために必死で働くし、体重があるということはユーレイではないことの証拠だし、将棋やって、ものを書いていれば、わずかながらお金も入ってくる。

 たしかにビンボーだが、充実している。

 金持ちだが、スの入った大根のような空虚な人生を送っている人より、中味のびっちり詰まったビンボー人生のほうがずっと増しだと私は思っている。

 そりゃ、お金は、ないよりあるほうがいいに決まっている。

 あれば喜んで使わせてもらうが、なければないでなんとかやっていく。

 幼いときから将棋をやっていて、駒台に欲しい駒が乗っていないとき、ある駒だけでなんとかその場を凌ぐことが身についているせいか、実際、傍から見て心配してもらうほど私自身は一向にビンボーを苦にしていない。

 それだけに、面と向かって

「林葉さん、貧乏しているんですね……」と同情まじりに言われると、大いに戸惑ってしまう。

 しかし、腹を立てるわけにもいかず、泣きわめくわけにもいかず、私はにこやかにファン氏に訊いた。

「うふふ……。どうしておわかりになります?」

 すると、このファン氏、ニタニタ笑いながら、

「フフフ、それですよ、それ」

と私の胸の辺りを指す。

 ン!?メ、胸のないことが、即、金のないことを表しているというの……?!

 まさか胸をつまんで「これ?」と聞き返すわけにもいかず、私はちょっと小首を傾げて彼を見返した。

「あははは、服ですよ、服……」

「服……?!」

 服と聞いて、私は思わず全身の血が一気に顔に集結してくるのを感じた。

 どこか破れているのかもしれない……。

 いや、どこかが汚れているのだ……。

 いやいや、またいつかのように襟首に値段表がぶら下がっているのだ……。

 できることなら、私はその場で服を脱いで調べたい心境になった。

 あるのだ、前科が、私には……。

 スカートの裏地が破れてフラ下がり、スカートの下からまるで尻尾のように出ているのを知らず平気でデパートの中を歩いたこと……。

 ペンキ塗りたてのベンチに腰掛け、スカートにベットリ青いペンキをつけて街を歩いたこと……

 バーゲンやセールで買ったワンピースの襟首から値段表を外にブラ下げたまま電車に乗ったこと等々……。

 すぐ破れるようなボロスカートをはいていたり、ペンキがくっついていても着替えのスカートがないのでしょうがなくそのままはいていたり哀れを催すような安い値段表をブラ下げたワンピースを着ていれば、誰だって、「かわいそうに。お金がないんだろうな」と思うかもしれない。

 (また恥かいた!)私は心の中で叫んだ。

 貧乏だってかまわない、なんてエラそうなことをいってるくせに、こと服装のこととなると、妙に気になってしまうのは、女の悲しい性だろうか。そんな私のあせった気持ちを察したのだろう。

 ファン氏が弁解がましく言った。

「お金がないなんて言ったのは冗談ですよ、冗談、あははは……」

 いいのよ、そんな弁解!

 それより、この服のどこを見てそんなことを言いたくなったのか、早く教えて!

 私は心中いらだって叫んだ。

「見たんですよ、その服。この前の衛星放送のときも着てたでしょ」

「え……。あ。でしてかネ」

 そういえばそうかもしれない。

 私は女優ではないので、そうそうたくさん服を持っていない。

 各季節ごとにせいぜい7、8着程度だ。

 それを交互にとっかえひっかえ着ているわけだ。

 彼の言う衛星放送は、もうひと月以上も前のことではないか。

 ひと月も経てば、何十枚も持ってない限り、同じ服を着ることは必然的にやって来るのだ。

 私が笑いながらそのことを説明すると、

「2週間前のS県のときも、たしかその服でしたよ」ですと。

 つまり、彼に言わせれば「3回会ったら、3回とも同じ服だった。ほかに服は持ってないのだろうか。かわいそうに」ということになるのである。これは困った。

 そんなふうに思われないためには、何十着も衣装を揃えなければならないからだ。いや、待てよ。貧乏人が見栄を張ることはない。われながらいいことを思いついた。

 女流棋士専門の制服を作ってもらうのだ。

 あの高給取りのスチュワーデスさんも制服ではないか。

 私たち女流棋士も紺の制服をびしっとキメて、将棋盤の前に勢揃い……!!これはいい。

”アテンション プリーズ アテンション プリーズ…… 王手飛車のランプが消えますまで、角を手放しませんように”ナンチャッテ。

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将棋マガジン1990年6月号グラビアより。撮影は中野英伴さん。

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たしかに、服をそろえるのは大変だ。

芸能人であれば諦めはつくけれども、女流棋士は芸能人ではない。

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「林葉さん、余程お金に困っているんでしょうね……」

「お金がないなんて言ったのは冗談ですよ、冗談、あははは……」

「2週間前のS県のときも、たしかその服でしたよ」

ファンである以前に、人間としてどうかと思う。

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「私たち女流棋士も紺の制服をびしっとキメて、将棋盤の前に勢揃い……!!これはいい」

AKB48も乃木坂46も制服。

NHK将棋フォーカスに出演している向井葉月さんは、少なくとも、ここで林葉直子女流王将(当時)が述べているような衣装の悩みは、しなくても済んでいる。

そういった意味では、女流棋士の制服が良いのかどうかは別として、林葉さんは時代を先取りしていたとも言えるだろう。

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紺の制服。

この時代の日本航空と全日空のキャビンアテンダントの制服を調べてみると、JALが7代目制服、ANAが8代目制服で、両社とも紺色だった。

制服の歴史(日本航空)

客室乗務員制服の変遷(全日空)