佐藤康光五段(当時)「福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ」

将棋世界1990年9月号、佐藤康光五段(当時)の第31期王位戦七番勝負第1局〔対 谷川浩司王位〕自戦記「開幕戦を飾る」より。

 6月29日、私は福崎先生に勝って王位戦の挑戦者になった。

 福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ。

 挑戦者になり、意外と早かったなという気がした。2年前の王位リーグで森九段にプレーオフで敗れたのだが、その時自分の甘さを痛感し、もしタイトル戦に出られるとしても遠い先のように感じていたからだ。

 それが今期、森先生との将棋はトン死で拾わせていただいた。本当にツイていたと思う。

 挑戦者になり、初めは不安な気持ちが頭に募ってきた。果たしていい将棋が指せるかと。

 第1局迄2週間ほどあったが特別な準備は何もしなかった。先後が決まっていないという事もあったし、普段通り指そうという気持ちが強かったからだ。この気持ちで今までの諸々の不安は消え飛んだ。

(中略)

 いよいよ1局目を迎えた。場所は岐阜県・下呂温泉の「水明館」。過去、タイトル戦で幾度も激闘が繰り返された場所だ。

 先輩の棋士からいい所と聞いてはいたが、食事、景色、施設など素晴らしい所で、温泉につかりながら明日はいい将棋が指せればと思った。

 前夜祭では関係者の方々と接し、いろいろお話を聞くことができた。残念だったのは緊張してまともなあいさつができなかったことだ。2局目からは直したいと思う所である。

 前夜祭の後、疲れたのかぐっすりと眠ってしまった。

(中略)

 谷川先生は私が大阪の奨励会に入会した時ちょうどAクラスにおられ、それからすぐ名人位を奪取された。目標、また尊敬している棋士の一人である。

 当時、入会した頃の私の頭に強烈に残っている出来事がある。

 関西会館の控え室で棋士や奨励会員数人がある一つの詰将棋を突っつき回していた。皆解けずウンウンうなっている所に谷川先生が来られその詰将棋を見るや数十秒で解き、皆をア然とさせていた事がある。その時Aクラスの恐さというものを子供心に感じたものだ。

 谷川先生は和服である。私は1局目は和服が間に合わなくて洋服にしたが、2局目は和服でいくつもりである。

(以下略)

将棋世界同じ号、王位戦第1局終局後の佐藤康光五段(当時)。撮影は中野英伴さん。

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時系列的には、羽生善治竜王誕生→屋敷伸之五段が2度目の棋聖戦挑戦→佐藤康光五段が王位戦挑戦、という流れになる。

この時点で、屋敷五段は棋聖戦で2勝2敗、佐藤五段は王位戦で1勝1敗。

将棋界的には10代棋士がどんどん攻め込んできている光景だ。

この後、屋敷五段は3勝2敗で中原誠棋聖から棋聖位を奪取、佐藤五段は3勝4敗で谷川浩司王位に敗れる。

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「福崎先生は私がアマ時代、二枚落ちから教えていただいた兄弟子でやりにくい気持ちがあったが、兄弟子のほうがより緊張されていたようだ」

王位戦リーグ、佐藤康光五段(当時)は紅組で5勝0敗。白組は福崎文吾八段(当時)と阿部隆五段(当時)が3勝1敗同士で最終戦直接対局。

阿部五段が勝っていたとしても、挑戦者決定戦は同門対決となっていた。

この時の福崎-阿部戦の対局後の様子が描かれている。

谷川浩司名人(当時)「歌わないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」

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「私は1局目は和服が間に合わなくて洋服にしたが、2局目は和服でいくつもりである」

羽生九段も屋敷九段も初めてのタイトル戦第1局は洋服だった。

やはり、10代棋士の場合はあらかじめ準備しているわけではないので、和服は第1局には間に合わないというのが定跡のようだ。