近代将棋1990年12月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
杉本昌隆新四段の昇段祝賀会に出席するため名古屋へ。板谷一門、板谷将棋教室のお客さんら約80人が出席し、盛会だった。あいさつに立った板谷四郎九段は「杉本君がめでたく四段になりました。小林八段もいま順位戦でトップを走っています。進も、さぞ喜んでいることでしょう……」。この直後、大先生は絶句、目に涙を浮かべておられた。
祝賀会終了後、市内のスナックで2次会。小林八段は席に着くなり「杉本君、将棋やろう」。店のマスターが将棋ファンで、盤と駒が置いてあったのだ。薄暗い部屋で黙々と将棋を指す二人。その横でNHKの中林アナウンサーがカラオケを熱唱している。このミスマッチが何ともユーモラス。勝負は兄デシの貫禄と言うべきか、コバケンさんが2連勝。
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「この直後、大先生は絶句、目に涙を浮かべておられた」
中京将棋界の祖である板谷四郎九段が亡くなったのは1995年(享年82歳)。
年代的には難しいものの、故・板谷四郎九段と故・板谷進九段には、藤井聡太七段の活躍を見てもらいたかったものだと、強く思う。
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「杉本君、将棋やろう」
小林健二八段(当時)は、駒音コンサートでは、美川憲一さんの歌を得意としていた。
スナックへ行ったら、後援者たちも小林八段の歌を聞きたかっただろうが、そのような中、あえて弟弟子の杉本昌隆四段(当時)と対局をしたのだから、師匠の板谷進九段への追悼、供養の意味も込められていたのかもしれない。
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「その横でNHKの中林アナウンサーがカラオケを熱唱している」
この時にカラオケで歌っていた中林速雄さんは、この13年後、将棋世界に杉本昌隆六段(当時)の記事を書いている。