先崎学五段(当時)「郷田君と飲むのはつらいものがあるな」

将棋マガジン1991年8月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。

将棋マガジン1991年8月号、撮影は弦巻勝さん。

 あいかわらず郷田が勝ちまくっている。その割にさわがれないのは、羽生・屋敷の例があって、新人が勝っても当たり前になっているのと、タイトル挑戦者になるなど、抜けた成績がないからだろう。棋聖戦2期連続決勝進出は立派だが、ここ一番で勝てないのは物足りない。

 そこへ、王位戦で再びチャンスを迎えた。白組で4連勝。最終戦に勝てば決勝に進出できる。最終局の相手は安西で、こちらは4連敗でリーグ陥落が決まっている。全勝と全敗では予想するまでもない。郷田には最高の対戦順だ、の声もあった。

 この日は紅白リーグ戦の最終戦が行われているが、これがややこしくて、よく説明してもらわないと判らない。

 まず、紅組は中原、佐藤(康)、小林(健)、有吉が3勝1敗で、中原と佐藤、小林と有吉が対戦するから、この勝者同士で紅組決勝が行われる。白組の方は郷田が勝てば決定だから、こちらは問題なしと思われた。

 ところが―。

 第二対局室で行われている、安西-郷田戦を見てたまげた。

 およそ穴熊らしからぬ囲い方である。そもそも王様がスミにもぐって位取りとは方針が矛盾している。島がこの形を見て「郷田君は穴熊の棋風ではないね」。

 ともあれ、作戦負けは明らかで先行き苦戦するのは必至。

(中略)

 郷田はジリジリ押されている。安西は一つ引いて二つ進みと技をかけないから、切り返すきっかけがない。

(中略)

 郷田が敗れた。その瞬間、となりの部屋で対局していた丸山が振り向いた。「どうして?」という感じだった。ここで郷田が負けるとは誰も思わない。

 私もそんなものかな、と首をかしげたら、先崎が「誰も気がついてないけど、彼は奨励会時代からここ一番に弱かったですよ」と教えながらニヤリとした。

 中田が勝ち、白組は、郷田-中田。紅組は、小林-佐藤で、それぞれ決勝が行われることになった。全体でいえば、準決勝からやり直し。顔ぶれからみて、谷川への挑戦者は若手組から出そうである。私の推す本命は中田。

(中略)

 先崎が「郷田君と飲むのはつらいものがあるな」とそわそわしている。島と森内も帰るというのでいっしょに会館を出ると、島が家まで送ってくれた。

 車中で、「いよいよ始まるね(順位戦が)B級1組は2組より楽じゃないの」と言ったら、「そんな感じですね」当然といわんばかりだった。

 後日、これを田中(寅)に伝えると、

「そんなことを言ってましたか。よし、島君は絶対負かす。断言します」

 と力んでいた。

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郷田真隆四段(当時)は、1991年5月31日に棋聖戦挑戦者決定戦で南芳一王将(当時)に敗れている。(その後、南王将は屋敷伸之棋聖から棋聖位を奪取)

王位戦白組リーグで安西勝一五段(当時)に敗れたのが6月4日。

「郷田君と飲むのはつらいものがあるな」と先崎学五段(当時)が言ったのはこの日。

そして、6月24日、王位戦白組プレーオフで郷田四段は中田宏樹五段(当時)に敗れる。

この間、6月18日には順位戦C級2組初戦で武市三郎五段に敗れている。

郷田四段にとっては、非常に厳しい1ヵ月間だった。

* * * * *

しかし、この翌年、郷田四段は棋聖戦、王位戦での挑戦者となり、棋聖戦では負けたものの、王位を獲得することになる。

この地獄の1ヵ月が生きた形となっている。