将棋世界1991年8月号、米長邦雄九段の「名人戦敗戦回顧録」より。
3連敗という思いもよらぬ展開となった。ここでどうするか。
かつて、中原誠王将が新鋭の中村修六段に王将戦の挑戦を受けて、出だしに3連敗をしたことがあった。
この一局を負けたら降級する、この一番を落としたらタイトルを失う、そういう勝負を迎えた時にその人が何をするか、このことを最も興味深く見ているものである。
これは将棋に限らず、窮地に立たされた時にどのような考えに基づき、どのような哲学に従って行動するか、それがその人間の実力だと思うからである。
そんな状況でいつも悠々と自分の将棋を指せているのが大山康晴先生である。
だからこそ、この人は本当に強い。私が最も尊敬する勝負師である。
王将戦で3連敗と追い込まれた時の中原先生はどうしたか。
なんと、その直後にハワイに旅行に行ったのだ。真っ黒に日焼けして第4局に臨んだのである。
タイトル戦の最中にハワイなどに行くとは、考えてみれば実に不謹慎ではなかろうか。
しかし、そうではない。
このことこそ、流石に傑出した勝負師だと私を唸らせた行動であった。
結局、このシリーズは2勝4敗で敗れはしたものの、3連敗の後にハワイに行ったということは特筆すべきことであって、やはり流石である。
仮に反対に3連勝した後に、ほっとしてハワイに行ったということであれば、これは勝負師として失格である。
3連敗後だからこそ、称賛に値する行動なのである。
では、名人戦で3連敗した私はどうしたのか。
いろいろ考えてみるに、どうも私が序盤作戦などにこだわり、良く言えば緻密、悪く言えば神経質に指し進めていたのに対して、中原先生は悠々と指し、ラフな、とも見受けられるような指し口であって、結局勢いに押されて3連敗してしまったようにも感じられた。
本来の自分を取り戻さねばならない。将棋を離れてみることにした。
本来ならば、これは将棋世界誌上であるからして、このようなことは書いてならないのかもしれぬ。しかし、勝負師の本当の姿を伝えておく必要がある。
あえてここに告白したい。
そのうちの一人は32歳、極めつけの不感症であった。
不感症というのは、肉体的に欠陥があるのではなく、精神的な障害から肉体がそのようになってしまうケースが多い。
これを解きほぐし開放させるのは並大抵のことではない。レイモン・ラディゲいわく「好色とは、行為ではなく、その精神である」”ドルジェル伯爵の舞踏会”より。
気持ちを解きほぐすのに約2時間、肉体をもみほぐすのに2時間37分。最後に私は大きな悲鳴を数回聞いた。本誌は将棋雑誌であるからしてこれ以上は書くことができない。
別れ際、その女性に「ありがとうございました」と言われたその一言は、生涯耳元から消え去ることはあるまい。
不感症の女性に打ち克ったのだから、花粉症の男にも勝てる筈だ。
急に人生が明るくなったような気がした。
そして第4局には、私にとっての名局が生まれたのである。
(中略)
こうして私は自分の力が出せないまま、あるいは、自分の実力の通りにと言うべきか、1勝4敗で名人戦が終わった。
また涙をぬぐって頑張りたい。
負けた後はどうするか。
”花を買いきて 妻と親しむ”
私はカミさんと二人で、のんびりと船に乗って、南の島に出掛けて行った。
白い砂浜でゆったりと寝転がる。
梅雨空の合い間であって、カンカン照りの下でのんびりしていると、何もかも忘れてしまう。
こんな時こそ、愛妻と共に二人してゆっくりとする。
ゆかりの女性方もこれだけは許してくれるだろう。
* * * * *
* * * * *
勝負における開き直りの際の米長哲学。
これはアマチュアからは全く想像のできない話。
もしかすると、ほとんどの棋士も想像がつかない世界かもしれない。