深浦康市三段(当時)「必勝を期してと言いたい所だが、作戦を考える気力もなかった。もうどうでもよくなった」

将棋世界1991年11月号、深浦康市四段(当時)の「四段昇段を果たして 幸運だった最終日」より。

将棋世界同じ号より。

「行ってきます」

 9月5日の朝、大きな声で家を出た。部屋の中央にある大きな写真。花村先生が笑っている。ちょっと頭を下げてみた。

 家を出て駅までの間、電車の中、何度も自分に言い聞かせた(今日だけは勝っても負けても主役だ。悔いのない、いい将棋を指そう)。気がつくと千駄ヶ谷についていた。

 1局目、鈴木三段戦。矢倉の後手だったが強引に主導権を握り、攻めた。優勢みたいだ。しかし、時間がない。読み切りたかったが、あやふやのうちに次の手を着手。敗着。泣くに泣けなかった。

 競争相手はしっかり勝ち、とうとう3位に。リーグが始まってからの緊張がすっと消えた。

 2局目、三浦三段戦。三間飛車に対して居飛穴。必勝を期してと言いたい所だが、作戦を考える気力もなかった。もうどうでもよくなった。しかし中盤、相手に致命的なミスがあり、なんとか勝てた。早い終局だった。

 一応望みをつないだ形になったが、人が負けるのを願うのは男らしくない。しかし帰るに帰れず、つらい時間が過ぎた……。

 夜、打ち上げ。なぜかその場所に居た。隣で豊川さんが笑っている。僕もつられて笑う。運がいいだけだった。当然、実感なんて湧かずボーッとしていた。

 その最終日から、1週間たった今日、これを書いているが、毎日朝が来るたびに実感が湧いてくる。四段昇段を素直に喜べる。

 さて今期を振り返ると、僕の場合13回戦からが、真の三段リーグという気がしてならない。精神面の弱さがはっきりと出ている。情けない限りだ。その克服が当面の課題である。

 図は10回戦、近藤三段戦。

(中略)

 できればこの将棋の様な好調さを、終盤6局にぶつけたかった。いい将棋が指せなかったのが、非常に残念である。

 四段。ようやくスタート地点。来春には、三段リーグ以上のC2順位戦が始まる。6時間という長い将棋は、とても楽しみでもある。

 最後になりましたが、花村先生、奥様、花村門下の諸先輩の方々、どうもありがとうございました。これからも、今まで以上に頑張ります。

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この日の朝の時点では、

12勝4敗…深浦康市三段(4位)

11勝5敗…真田圭一三段(2位)豊川孝弘三段(3位)近藤正和三段(7位)石堀浩二三段(13位)金沢孝史三段(20位)

という状況。

それが、最終日1局目が終わった段階で、12勝5敗が4人。

真田圭一三段(2位)豊川孝弘三段(3位)深浦康市三段(4位)石堀浩二三段(13位)

「競争相手はしっかり勝ち、とうとう3位に。リーグが始まってからの緊張がすっと消えた」とは、この時のこと。

文字を打っているだけでも、状況の過酷さを思い、胸が苦しくなりそうになる。

最終局は、真田-石堀戦という直接対決もあったので、石堀三段にも昇段の目があった。

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そして、最終戦が終わって、

13勝5敗が豊川孝弘三段(3位)深浦康市三段(4位)石堀浩二三段(13位)。豊川三段と深浦三段の四段昇段が決まった。

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「僕の場合13回戦からが、真の三段リーグという気がしてならない。精神面の弱さがはっきりと出ている。情けない限りだ。その克服が当面の課題である」

深浦三段の戦績は、12回戦まで11勝1敗、13回戦から2勝4敗だった。

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「2局目、三浦三段戦」

近代将棋1991年11月号に、この対局の写真が載っている。撮影は弦巻勝さん。

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「一応望みをつないだ形になったが、人が負けるのを願うのは男らしくない。しかし帰るに帰れず、つらい時間が過ぎた……」

この時間を、深浦三段は最終戦の相手であった三浦弘行三段と一緒に過ごしている。

深浦康市四段(当時)「三浦君とは仲がいいので、じゃあ研修室が空いてるからあそこで待とうという感じで」

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「夜、打ち上げ。なぜかその場所に居た。隣で豊川さんが笑っている。僕もつられて笑う」

まさにそのような光景が、弦巻勝さんによって撮られている。(将棋マガジン1991年11月号)