清水市代女流王将(当時)「丸山五段は、大変感じの良い青年で人当たりも柔らかい。ところが、大の記者泣かせであり、何を質問しても、一つとして、まともな固有名詞が返って来た、という記憶がないのである」

将棋マガジン1992年9月号、えだまめ(清水市代女流王将・当時)の第4回IBM杯順位戦昇級者激突戦決勝〔羽生善治棋王-丸山忠久五段〕観戦記「来年もまたこの舞台へ」より。

将棋マガジン同じ号より。

 土曜の昼下がり―。

 老若男女が浮足立つサンシャイン通りを、会場であるワールドインポートマート8階へと、孤独に急ぐ。

 本日の解説者は、洒落た感覚の島朗七段。聞き手は、いち姫こと清水市代女流王将である。

 お二人とも、涼し気なジャケット姿で、マジックミラーの向こう、解説室へ姿を消す。

 130コ用意されたイヤホンは、すでに観客の耳で、スタンバイOK。

(中略)

 両対局者とも、昭和45年9月生まれの同い歳という事もあってか、対局前も、和やかに談笑する姿が、なんとなく微笑ましい。

 しかし、数分後、清げな和服に身を包んだ羽生棋王(以後Mr.羽生)の表情からは、すでに、微笑みのかけらも失せていた。

 一方、初々しさの残るスーツ姿の丸山五段(以後Mr.丸山)は、ほんのり頬が朱色に染まっている。

 序盤は比較的ハイペースで、スラスラと動いていく。

 お互い、研究済みですと言わんばかり。

 ちょっぴりしゃくな感じ。

(中略)

 角換わりはMr.丸山にとっても十八番の戦法。

 2回戦の対田中(寅)八段戦、準決勝の対村山六段戦は、どちらも角換わりであった。

 Mr.丸山は、大変感じの良い青年で人当たりも柔らかい。

 ところが、大の記者泣かせであり、何を質問しても、一つとして、まともな固有名詞が返って来た、という記憶がないのである。

「よくわかりませんが……」「みんな好きです……」「特に……ないです」と来たもんだ。

 かと言って、不愉快にさせられたことなど一度もないのであるから、この子は心根がやさしくできているのだろう。

 誰をも傷つけまい、とする心が、言葉の端々に表れている。

 特定の名詞は、時には思いもよらぬ誤解を、発生させてしまうものだ。

 そんなMr.丸山が、局後の感想戦で大胆発言!?

「角換わりとなりましたが」(島)

「……ありがたいと思いました……」(丸山)

 場内大爆盛り上がり!

(おおーっ、なんだ、はっきり自己主張するんじゃないか!)

 と、内心ウキウキして聞いていたものだ。

 語尾が、歓声にかき消されたのは少々気になるが……。

 ところが、真実はっ!?

「研究し、指し慣れている戦型なので、短い持ち時間(30分)の将棋では、比較的、序盤に時間をかけないので済む。だから『ありがたい』と……」

 そ、そうだったのか。しかし、あの場で一言も言い訳をしないとは、なんと男らしい。

 気に入ったーっ!!

(中略)

 棋士同士で、Mr.羽生の棋譜を並べていると、決まって出る文句が「嫌なやつぅ」

 強すぎて嫌んなる、という事らしい。

 21歳の若さにして、プロに強いと言わせるプロ。

 怖いやね。

 がしかし、盤を離れると、よく話し、よく笑うのだ。

 軽い冗談なんかもとばす、可愛い青年の顔に戻ってしまう所も、彼の魅力の一つであろう。

 そうそう、囲碁の腕前も、相当なのであるよっ。

(中略)

「30分の将棋にしては、まあまあ指せたかな、と思います」(羽生)

 とは、勝者の感想だが、皆さんはいかがだっただろうか。

 島七段は、こう締めてくれた。

「終わってみれば短手数ですが、普通なら△5六金の辺りで、先手が潰れているところ。ああいう局面で、いかにしのぐかという技を、今日観戦された方々は、幸せな土曜日だったのではないでしょうか。やはり対局は”生”に限ります」

 皆さんも、ぜひ一度、いかが?

 会場を移し、表彰式・パーティーが始まり、優勝者羽生棋王は、両手にいっぱい、賞状やら賞金を抱え、フラッシュを一身に浴びていた。

 勝者のみが報われる世界である。

 何を聞いても、うまくかわして、ニッコリでまとめるMr.丸山が、ふと、ため息まじりに、

「やっぱり……大勢の人の前で負けると、辛いっすね……」

 その一言が、やけに心にしみた。

 どんなに飾りたてた言葉よりも、ストレートに伝わるセリフだった。

 顔と言葉では謙遜しつつも、来年のIBM杯に照準を合わせて、もう次の戦いは始まっている。

将棋マガジン同じ号より。

* * * * *

清水市代女流七段は、将棋マガジンで「えだまめ」というペンネームで、いろいろな記事を書いていた時期があった。

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IBM杯順位戦昇級者激突戦は、前期の順位戦で昇級を決めた棋士だけが出場するトーナメント戦。

「来年もまたこの舞台へ」と言うと、「来年も順位戦で昇級をします」という決意と同義語になる。

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「Mr.丸山は、大変感じの良い青年で人当たりも柔らかい。ところが、大の記者泣かせであり、何を質問しても、一つとして、まともな固有名詞が返って来た、という記憶がないのである」

この固有名詞とは、例えば、

「好きなタレントは誰ですか?」

のような質問に対して、

「みんな好きです……」

のように固有名詞が出てこないということ。

これはこれで、一つの立派な道だと思う。

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「棋士同士で、Mr.羽生の棋譜を並べていると、決まって出る文句が『嫌なやつぅ』」

光景が目に浮かぶようだ。

いかにも、という雰囲気が表現されている。

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「やっぱり……大勢の人の前で負けると、辛いっすね……」

丸山忠久五段(当時)が言うからこそ、なおのこと心に響く。