将棋マガジン1993年9月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 森安秀光 ”ダルマ流”は自己暗示で勝つ」より。
昭和58年に、森安は中原から棋聖位を奪った。翌59年も勢いは衰えず、名人戦挑戦者になった。”森安ダルマ流”は、ほかの棋戦でも、つねに挑戦者争いにからんだが、そのために酒を控えたりしなかった。名人戦挑戦を決めた順位戦最終局の前夜も、午前3時まで飲んだという―
「結果オーライでいうわけじゃないですけど、飲めたから勝てたんやと思いますね。あした対局だからいうて、飲まなかったら、そこで負けてたのとちがいますか。酒と一緒に自分自身も飲んでしまうというか、勝てるんだ、と自己暗示をかけたんですよ」
ここで、はからずも「自己暗示」という言葉が出てきた。転んでも起き上がる”ダルマ流”は、自己暗示から発していたといえそうだ。
”ダルマ流”の威力は、形が崩れてから真価を発揮する。筋や形にこだわる棋士が、とうてい指せないような手を平気で指す。芹沢博文九段が、”ダルマ流”の強さを、おもしろおかしく評したことがある。
「森安は形勢がわるくなると、かならずトイレに行って鏡を見る。自分の顔を眺めながら、おれの顔にくらべたら、まだ将棋は崩れていないと思う。ここからが強い」
森安は、いやな顔をするどころか、いとも楽しげに注釈を加えた。
「鏡を見にトイレに行くというのは、ほんとなんです。自分の顔を見ながら、”おれは強いんだ、強いんだ”と自己暗示をかけたんですわ」
(以下略)
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写真でもわかるように、森安秀光九段は、将棋界のフリオ・イグレシアスと呼ばれていた。
「自分の顔を眺めながら、おれの顔にくらべたら、まだ将棋は崩れていないと思う」は、いかにも芹沢流のジョーク。
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「”ダルマ流”の威力は、形が崩れてから真価を発揮する。筋や形にこだわる棋士が、とうてい指せないような手を平気で指す」
森安九段の振り飛車は、例えば美濃囲いの4九の金が、平気で5筋、6筋へと動いていくようなイメージ。
筋や形にこだわる棋士がとうてい指せないような手、ということでは、棋聖位獲得となった一局での▲9八歩が有名だ。
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「鏡を見にトイレに行くというのは、ほんとなんです。自分の顔を見ながら、”おれは強いんだ、強いんだ”と自己暗示をかけたんですわ」
冷静になるためにトイレへ行くという手筋はあるが、この場合は自己暗示という別の切り口。
たしかに、困難なことがあった時に自分の顔を鏡で見るというのは、少なくともマイナスにはならないような感じがする。
プラスの方向に持っていくのは自分次第。
とりあえず試すなら、道場や将棋大会が手頃だ。
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以前の記事にもあるが、もう一つ、道場や将棋大会で心掛けると勝率がアップする方法としては、勝負所の自分の手番での深呼吸がある。