郷田真隆五段(当時)「この時点で、私は保持していたタイトルの王位を失い、五段として出場することになったので、気分的には楽といったらおかしいかもしれないが、無心に戦うことができた」

将棋世界1994年2月号、郷田真隆五段(当時)のJT日本シリーズ’93決勝〔対 谷川浩司王将〕自戦記「嬉しかった初優勝」より。

JT日本シリーズ’93決勝。将棋世界同じ号より、撮影は中野英伴さん。

 私にとって憧れの棋戦であったJT日本シリーズに、今年、運良く初参加することができた。

 タイトル保持者の資格で出場したために、1回戦はシードされて2回戦からの出場となった。

 初戦の相手は塚田八段。

 この時点で、私は保持していたタイトルの王位を失い、五段として出場することになったので、気分的には楽といったらおかしいかもしれないが、無心に戦うことができた。

 将棋は私の矢倉志向に対して、塚田八段お得意の6二飛戦法となり、激しい攻め合いを制することができた。

 塚田八段には、私が奨励会の頃から研究会で教えて頂いていて、研究会でもそうであるようにいつも激しい攻め合いになる。

 この将棋は、自分でいうのもおかしいけれど、なかなか見応えのある将棋ではなかったかと思う。

 私にとって2局目、準決勝の相手は羽生棋聖。

 対局前夜のレセプションでは、過日の王位戦と結びつけて、私の雪辱戦というような言い方をされたが、私自身は、そういうことは殆ど考えていなかった。

 但し、王位戦ではあまり内容のいい将棋が指せなかったので、いい将棋が指せればというふうには思った。

 将棋は羽生棋聖の四間飛車。

 この日は何故か、解説の小林健八段、聞き手の斎田さん、読み上げの高橋和さんと四間飛車党がそろっていて、△4二飛と指されてから、成程と感心してしまった。

 対する私は左美濃から強襲をかけて、難解な終盤に突入。二転三転はあったが、最後は運良く自玉が詰まずに勝つことができた。

 この将棋も、まずまず指せたと思う。

 ということで栄えある決勝へと進んだ訳だが、私はその事よりも、2局とも良い将棋が指せたことに、より喜びを感じていた。

(中略)

 今から1年半前ほど前に、谷川王将と棋聖戦で初めて対局してから本局を迎えるまでに、実に14局も対戦している。

 その殆どが大きな一番であり、今回もまた決勝という大一番である。

 プロになって4年目のまだまだ駆け出しである私が、これほど多く谷川王将と対局の機会に恵まれていることは、本当に幸運なことだと思う。

 本局を迎えるにあたっても、精一杯対局するだけだというのが、私の率直な気持ちであった。

(中略)

 そして、投了3手前▲3八香が攻防の一手。味の良い手で、ここで初めて勝てるかなと感じた。

 以下、私の▲6一角成を見て、谷川王将が投了された。

 本局は、途中疑問手があったが、私なりに良く指せたと思う。

 また、途中▲3八香の一手が偶然にあったことなど、私に運がある将棋だった。

 とにもかくにも、これで憧れの棋戦初優勝。

 これは本当に嬉しい。

 優勝杯のJT杯を受け取ったときに、歴代優勝者の名前が刻まれているのが見えた。本当に錚々たるメンバーで、私も一日も早くその仲間入りができるように頑張らなければと思った。

 シリーズを振り返ってみて、3局とも全て先手で、主導権を握れる戦いになったのが、今回の優勝の一因である様に思う。

 この優勝で頂く副賞はたくさんあるが、一番は来年度もこのJT日本シリーズに出場できることだと思う。

 優勝者の名に恥じぬよう他棋戦でも活躍できればと思う。

 さて、このJT日本シリーズは、公開対局を全国各地で行うというシステムになっているが、私はこのシステムが良いなと感じている。

 対局はやはり生で観戦していただくのが一番と思うし、それにはやはり全国各地でやる必要があると思う。

 よく、公開対局ではお客さんの視線や話し声などが気になりませんか?という質問を受けるが、私はあまり気にならないし、対局が終わったあとに拍手して頂くのはやはり嬉しいものだ。

 それから、対局者としては各地の名所を見たり、名産を食することができるのも楽しみの一つで、今回、前夜のレセプション後に入った料亭では、本当に顔がほころんでしまう程の美味しい料理をご馳走になった。

 という事で、いいことずくめのこのシステムが、これからもいい形で続いていくと素晴らしいなと思う。

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「この時点で、私は保持していたタイトルの王位を失い、五段として出場することになったので、気分的には楽といったらおかしいかもしれないが、無心に戦うことができた」

失冠して落胆した時間もあっただろうが、このような前向きな気持ちになれるところが若い時代の素晴らしいところ。

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「対局前夜のレセプションでは、過日の王位戦と結びつけて、私の雪辱戦というような言い方をされたが、私自身は、そういうことは殆ど考えていなかった。但し、王位戦ではあまり内容のいい将棋が指せなかったので、いい将棋が指せればというふうには思った」

対 羽生善治五冠(当時)戦の対局地が、王位戦の決着がついた福岡市であったことから、二重の意味で周りの人たちが雪辱戦を意識したのだろう。

やはり、羽生世代の棋士は、勝敗ももちろん大事だが、それを上回る優先度の対局内容。

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「プロになって4年目のまだまだ駆け出しである私が、これほど多く谷川王将と対局の機会に恵まれていることは、本当に幸運なことだと思う」

「優勝杯のJT杯を受け取ったときに、歴代優勝者の名前が刻まれているのが見えた。本当に錚々たるメンバーで、私も一日も早くその仲間入りができるように頑張らなければと思った」

既に王位を獲得した実績があっても、このように考えるところが、郷田真隆五段(当時)の真摯な姿勢。

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「将棋は羽生棋聖の四間飛車。この日は何故か、解説の小林健八段、聞き手の斎田さん、読み上げの高橋和さんと四間飛車党がそろっていて、△4二飛と指されてから、成程と感心してしまった」

羽生善治九段は、タイトル戦などでも立会人や大盤解説者の得意戦法を指すことが多い。

郷田五段のこの自戦記は、そのことに触れた最初の文章ではないかと思う。

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「前夜のレセプション後に入った料亭では、本当に顔がほころんでしまう程の美味しい料理をご馳走になった」

2回戦は札幌市、準決勝は福岡市、決勝は金沢市という流れ。

本当に美味しそうだ。

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「この優勝で頂く副賞はたくさんあるが、一番は来年度もこのJT日本シリーズに出場できることだと思う」

「という事で、いいことずくめのこのシステムが、これからもいい形で続いていくと素晴らしいなと思う」

郷田五段は、この翌年、翌々年も優勝して、3期連続優勝を果たすことになる。