将棋マガジン1994年6月号、林葉直子倉敷藤花(当時)の第52期名人戦第1局〔羽生善治四冠-米長邦雄名人〕観戦記「気の名人戦」より。
私は最近”気”という言葉が気に入っている。
”気”の使い方は大変難しく、”気迫”であればよいが”気負う”とダメというように”気”の流れをつかみとるのは容易ではない。
名人戦のようなビッグタイトルのときの米長名人、羽生四冠王の”気”はどういう風であるか楽しみだ。
両雄を待ちわびていたかのように咲き誇る満開の桜がより一層町並みを美しく演出する、岡山県は倉敷市にて名人戦第1局は行われた。
4月10日、クレリオンホテル倉敷での前夜祭で米長名人は、
「期待に応えられる将棋を指したい。18歳のつもりで5歳年上の挑戦者だと思って頑張りたい。羽生善治は将棋界をしょって立つ男なので大きな目で羽生善治の応援も皆さんよろしく」
と、いつもと変わらぬ茶目っ気たっぷりで対局相手までヨイショする。
一方の挑戦者、羽生四冠王は、米長名人のコメントに合わせて、
「米長先生が18歳なら、私は生まれたてのようですが…、がんばります」
と言葉は少なく控えめではあったが、自信満々!?の時の例のポーズでコメントした。
例のというのは、ちょっとアゴをしゃくった感じで下唇をキュッと上に一文字にするアレである。
羽生四冠は倉敷の誇る花が藤ということでか藤色のスーツに白のワイシャツ、赤いネクタイ姿だった。
髪を刈り上げた部分が若々しく、なんだか勝負師にしては可愛らしい感じがした。
受けて立つ米長名人は、いつものダンディでさわやかな装い。ストライプのワイシャツ、ダークグリーンのネクタイに紺のスーツ姿。
前夜祭は午後5時半から行われたのだが、名人も挑戦者もいつもと変わらずニコヤカに関係者と談笑していた。気合いも気迫も内に秘めるのが超人同士の戦いなのであろう。
(中略)
大事な勝負で先番を握ることが多い羽生善治。この名人戦の振り駒の結果もそう。と金が3枚でた。
七番勝負という長丁場ではあるが、やはりなんとなくツイているふうを見せるところが偉い。
そして、またまた初の名人挑戦というのに臆することなく堂々とやった3手目、▲5六歩。
私がやれば普通の手なのだが、矢倉か相掛かりとの大半の人の予想に反してのこの作戦。これを羽生の挑発と見ればタダの人だろうが、子供のやってることさ、という貫禄でほとんど悩むことなく序盤から大人の味を見せた米長名人。たった3分で着手した。
(中略)
NHKの衛星放送の解説者は谷川王将。
「NHKの人もヒドイもんですよネ。普通、解説を私に頼みますか…。ま、家にいたってテレビ見てるだろうから同じことなんで構わなかったんですけど…」
と、チョッピリスネ気味だったがそう思うのも当然のこと。対局場は衛星の解説が行われている1階から2つ上の3階の倉敷市芸文館藤花荘である…。
谷川王将は、
「持ち時間が9時間の名人戦、ということを考えれば4手目の△3四歩に30分は考えてもおかしくはなかったんですけれどネ」
とのコメント。
名人の決断の早さに感心していた。
(中略)
いつもの名人戦ならば旅館の中で対局が行われるので移動する必要もないのだが、今回は対局場がホテルから徒歩5分ほどのところにある芸文館。両対局者は関係者と車での移動となる。
1日目の朝、移動前に朝食を済ませた名人が、1階ロビーにさっそうとラフな洋服で現れた。
ロビーの脇にある洋食コーナーで食事をとっているNHK関係者、谷川王将の顔を見て、
「おっ!そうか。こんなテもあったんだな。じゃ、俺もコーヒーを一杯だけ谷川先生にごちそうになろう」
と満面に笑みを浮かべていた。名人は和食よりも洋食がよかったのかも。
これからゴルフにでも?というような雰囲気で、とにかく柔らかい表情が印象的だった。
(中略)
この日のランチは、米長名人鴨南うどんを頼んだそうだが、カモがなく鳥南になってしまったとのこと。
羽生挑戦者は、天ザル。
思考回路が狂うからか?あまりモッタリしたものは両者好みではないらしい。
(中略)
4月11日、名人戦第1日の深夜、奇遇にも羽生善治四冠王が出演していたNHKの人間マップ、というのが放映された。
その番組での羽生善治はいつもとうって変わって別人の如く饒舌であった。将棋についての質問の数多くを素直に答えていた。
そのとき、
「将棋にはいろんな可能性があるのである程度、若いうちはチャレンジしたいと思ってます。形にはまるのは年をとってからでも十分だと思います」
というようなことを述べていた。
若いのに、じっかりした考えを持って将棋を楽しみながら指している。いや、若いからそうできるのか?
タダ者じゃないとは誰もが承知の上だが、羽生善治は「ターミネーター」みたいだ。
ターミネーターとは映画の主人公のことだが、血も涙もなくピストルで撃たれてもコンピュータの身体なので痛みを感じない不死身人間のことである。
そのテレビでこうも言っていた。
「考えだすと止まらなくなる。どんどんどんどん面白くなって、あっという間に1時間や2時間が経つ」
と―。恐るべし…そういうものなのか。
(中略)
7図ぐらいまでは、どちらがよいかハッキリしたことをおっしゃらなかった谷川王将が、この局面では、「棋士にどちらを持ちたいか聞いたとして100人中100人が先手というでしょうネ」
と、分かりやすい解説を。
その途端に会場から、ざわめきが起こる。
どうやら、ほとんどの人が米長名人に勝ってほしいのに、嗚呼、という感じであった。大山十五世名人ゆかりの地、そこで米長、羽生の初タイトル線の勝負とあってか、会場には入りきれないほどの将棋ファンが詰めかけていた。
(中略)
局後の感想戦で、米長名人もやはり「△6三飛は一手損で△4五歩とすべきだった」と述べられていた。7図以下△6三飛としてからは、後手7三桂を守ることができず、桂損ではさすがに大変だったようだ。
8図△7四銀として苦肉の策を練る名人だが、相手はターミネーターのような羽生善治。
気合いの入ってなさそうな、クニュッとした姿勢だけを見ると、たいしたことなさそうだが(ゴメンナサイ)。
そういえば、数人で呑みに行って話をしたとき、
「人間の姿をした宇宙人だ」
との発言あり。
確かに言われてみればそういう気もする。
羽生ファンには怒られてしまいそうだが、彼は話題につきないほど内容のある男なので許していただきたい。
米長名人はいっさい表情に出しはしなかったが、非常にやりにくかったに違いない。
両雄のタイトル戦での顔合わせは初めてである。
逆転のテクニック、なるか、期待したいところではあったのだが、このまま押さえ込まれる形となった。
(中略)
終局は午後8時27分。
米長名人が「どうも」と一礼し名人戦第1局は幕を閉じた。
七番勝負の1局目である。
米長ファンはまだまだ、これから勝負と思われているだろう。
現にこの私もそう。
米長名人はリーグ戦を戦っておらず、ちょっとした対局ブランクというのがあった。
1局目ぐらい仕方なかろう。
流れをつかむのに、丁度よいかもしれない。
本対局の2日目の朝、エレベーターの中でバッタリ米長名人と一緒になった。
「よ、おはようさん」
と1日目と変わらぬリラックスした優しい笑顔。
エレベーターが10階から1階ロビーに降りるまでだったが、
「人生楽しんでるかネ」
とニッコリ。
俺もこれから楽しんでやるゾ、という気楽な雰囲気。
終局直後だけは厳しい表情であったが、打ち上げの席は、また朝と同じような笑顔で関係者を楽しませていた米長名人。
いっぽうのテーブルに羽生四冠王。
「お疲れサマでした」
と声をかけるとニッコリして、
「どうも」
いつもの羽生クンという感じに戻っていた。
(中略)
非のうちどころがない米長名人の対局姿に対して、ときおり噛み殺すふうもなくわりと堂々とアクビをする羽生四冠王。
んま!米長名人に対してなんと失礼な、と谷川王将に言うと、
「彼はいつもああなんです」
と、すでにあきらめている様子。
本人はまったく気付いていないと思う。
ただひたすら、将棋盤だけしか見えていないというところが対戦相手にとってはクセ物である。
しかし。
クセ物だろうとなんだろうと、名人位をあきらめずに頑張ってきた米長名人のエネルギーは、それを吹き飛ばすものがあるだろう。
去年はバブルで自信を失くしつつあった世間一般の中高年の男性に夢を与えてくれた米長名人。
さて。
この次は、新人類といわれる若者の勢いに押さえ込まれそうなオジサマ達を励ますためにも是非がんばっていただきたい。
米長名人の応援にかけつけていた作家の団先生が2日目の朝、
「昨日、米長さんにビール3本ぐらい呑ませちゃって、負けたら私のせいかもしれない」と言っていた。
そう、それがいけなかったんだ!
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「期待に応えられる将棋を指したい。18歳のつもりで5歳年上の挑戦者だと思って頑張りたい。羽生善治は将棋界をしょって立つ男なので大きな目で羽生善治の応援も皆さんよろしく」
50歳の米長邦雄名人(当時)が18歳になったつもりで5歳年上(23歳)の挑戦者を迎え撃つ。普通に考えると、そのような意識を持っても果たしてメリットが出るのだろうか、となるところだが、この頃のタイトル戦は年下の挑戦者が勝ちまくっていた時代。
「米長先生が18歳なら、私は生まれたてのようですが…、がんばります」
羽生善治四冠(当時)と米長名人の年の差は17年。
微笑ましく、かつ見事な切り返し。
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「例のというのは、ちょっとアゴをしゃくった感じで下唇をキュッと上に一文字にするアレである」
林葉直子さんらしい観察眼の鋭さ。
言われてみると、思い浮かんでくる表情だ。
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林葉直子倉敷藤花(当時)「髪を刈り上げた部分が若々しく、なんだか勝負師にしては可愛らしい感じがした」
この1年前の春頃も羽生四冠は刈り上げていた時期があった。かといって、1年中刈り上げていたわけでもない。
八王子の実家に戻った時に行く理容店だと刈り上げられる、などと考えるとと分かりやすいが、もともと複数の理容店へ行っていた可能性もあり、この辺のところは謎の部分だ。
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「人間の姿をした宇宙人だ」
2010年代になって、ネット上では羽生九段は「将棋星人」と呼ばれることもあるようだ。
また、奥様の理恵さんのtwitterを見ても「宇宙交信をしている」と書かれている時がある。羽生九段が盤面を見てじっと考えている時は盤面集中、盤面を見ずに考えに集中している時は宇宙交信、という区分けとなっている。
そういう意味では、この観戦記が、宇宙人論について初めて言及した記事かもしれない。
ちなみにターミネーターは宇宙人には分類されない。
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この名人戦第1局は、先手の羽生四冠の5筋位取り中飛車となり、121手で羽生四冠が勝っている。
感想戦の時に、村山聖七段(当時)が米長名人側の絶妙手を指摘し、羽生四冠をものすごく
驚かせている。
→羽生善治四冠(当時)が「アアッー、飛車!」と驚いた村山聖七段(当時)指摘の一手
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この林葉倉敷藤花の観戦記、文字を打ちながら、面白いのだけれども、林葉さんらしさが2割しか出ていない文章だと感じた。逆に言えば、物事の捉え方・感じ方という部分で林葉さんらしくなさが8割。
例えば、代表的な例としては「んま!米長名人に対してなんと失礼な」と思ってしまうようなところ。それまでの林葉さんならもっと寛容で、むしろそのような様子を面白がっていたはずだ。
名人戦第1局が行われたのが1994年4月11日~12日。
林葉倉敷藤花が連盟理事会に「休養願い」を提出するのが1994年5月29日。
そのように考えると、「休養願い」に書かれている通り、この観戦記を書いている最中も、精神的にも肉体的にも極限状態だったのだろう。
本当に、当時の林葉倉敷藤花は大変だったのだと思う。