「棋士の笑顔を次々に想い浮かべると、自分の頬もゆるんでくる」

将棋世界1994年12月号、中平邦彦さんの巻頭随筆「笑顔を想う」より。

 五木寛之さんの「生きるヒント」がロングセラーになっている。

 この混乱した不確かな時代に、私たち弱い人間がどう生き抜けばいいのかを、優しい語り口で書いている。それが多くの共感を呼ぶのだろう。

 例えば「歓ぶ」では、男の更年期を迎え、毎日がとてもしんどく感じられたとき、一日一回、どんなことがあっても喜ぶと決心し、それを手帳に書いていくことにした。

 新幹線から富士山が見えた(うれしい)

 買ったボールペンが実に書き心地がいい(うれしい)

 今日はネクタイがうまく結べた(よかった)

 などと続けたのである。ささいなことでいいのである。続けるうちに手帳はいっぱいになった。喜ぼうと思って身構えていると、喜びは向こうからやってくる。大事なことは、喜びたい心の触手を大きく広げて待ち構えていることなんだと五木さんは言う。

 悩みや苦しみ、悲しみを乗りこえて、私たちは生きなければならない。そんな自分に「よく生きてきたね」と言ってやる。理想や信念といった高いものでなく、ごく普通の人にとっては、日々の小さな、どうでもいいようなつつましい喜びが大事なのだと。

 読んでいて、ふむと思った。もっと昔から、もっと複雑にこれを実行している人がいるぞと思った。

 米長である。野辺の花一本に心を傾け、路地裏のうどん一杯のうまさを探り当て、自らの味方にし、仲間たちと分かち合う。ひとひらの花の向こうの何かを、米長は見つめている。そして難局を乗りこえている。だから、あんなにいい笑顔ができるのだと思う。

 実は私にも秘かなストレス解消法がある。

 落ち込んだとき、親しい人たちの笑顔を想い浮かべるのである。必ず笑顔であり、それも呵々大笑している顔がいい。次々に想い浮かべると、自分の頬もゆるんでくる。

 棋士の笑顔もときどきやってみる。

 米長一人でも十分だが、中原のあの笑顔を想い出すといい。冗談話に笑い転げる羽生や郷田の笑顔もいい。

 仲間をからかって、世にもうれしそうな内藤の笑顔や、碁敵の石を召し取って顔をくしゃくしゃにする有吉の罪のない笑顔を想うころには、一人でニヤニヤ笑っていて気味悪がられている。一度お試しあれ。

 不調の人は、なぜか笑顔が出てこない。

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「新幹線から富士山が見えた(うれしい)」「買ったボールペンが実に書き心地がいい(うれしい)」「今日はネクタイがうまく結べた(よかった)」

若くて血気盛んな頃は、このような些細なことでは喜びは満たされないものだが、歳を重ねてくると、このようなことに喜びを感じるのも捨てたものではないなと思えてくる。

10年前なら、中平邦彦さんのこの随筆はブログで取り上げなかっただろうが、今なら心に沁みる。

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慎ましい喜びを感じるようにする、いろいろな棋士の笑顔を想い浮かべる、これを毎日続ければ、気持ちのうえでは幸せになれそうな感じがする。