近代将棋1995年2月号、窪田義行四段(当時)の第13回全日本プロトーナメント〔対 加藤一二三九段〕自戦記「勇を鼓して大豪に挑む」より。
読者の皆様こんにちは。「四間一筋」四段の窪田です。私はデビュー以来様々な形で誌面を拝借していますが、この度自戦記執筆の機会を頂きました。
拙文ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。
7月26日。暑熱いよいよ盛んなこの日、初対局から11戦目にして私は一つの試練を迎える事となりました。
加藤一二三九段……その実績は列挙するだけで絶好の行数稼ぎになってしまいますので(笑)ここでは触れませんが、圧倒されてしまわない様に勇を鼓して対戦に臨んだ事を覚えています。
9時過ぎに出立して連盟へ。加藤先生のお陰だなと思いながら特別対局室に足を運び、いよいよ対局開始!
加藤先生の先番となった本局、早々2筋を決められはしましたが、戦前の予定並びに常日頃の信念に従って四間飛車に。
「名にしおう加藤棒銀といえども、堂々と迎え撃つぞ!」とカラ元気を出していると、果たして右銀が間合いを詰める剣士の如く2筋へ進んで来ました。
盤面に思いを馳せ、一息つくと脳裏をよぎる思い出……。
あれは忘れもしない3月1日。三段リーグ最終日を2日後に控え、最後の記録にすべく臨んだA級順位戦加藤-小林戦。あの死闘に間近で接して得たものは大きかったと断言できますが、たった4ヵ月しか経っていないのに、今度は挑戦する立場なのだと思うと正に感無量!
「同じ四間党たる小林先生のかたきを討つ」となるとおこがましくなりますが、改めてやる気が湧いてきました。
さて1図。△5三金は私好みの一着で、上部を手厚くしつつ金を力強く活用するもくろみです。私の尊敬するナポレオン=ボナパルト風に言うなれば「近衛兵前線投入流」とでもなりましょうか。近衛の如き守りの要・左金を前線に差し向ける作戦は果たして……
先手は51分の熟考で▲3八飛。私も少考しつつ応対しますが5三金型を活かした対抗策が閃き、早速実行しました。
(中略)
対する△3三桂(2図)がこの将棋の命運を懸けた一手!豪快をよしとする、窪田流の面目躍如です。
と、着手の際は胸を張っていたのですが、先手にも思い切って斬り結ぶ道がありました。▲3四歩と取り込み、△4五桂▲3三歩成△3七歩の反撃に▲同飛と応じるのです。△同桂不成▲3二と△2九桂成までは必然ですが、▲4二とからいい攻め合いになりそうです。加藤先生は▲4五歩の時点で50分もの長考を払っていますが、感想戦では「かなり深く▲3四歩を掘り下げていた」と語っていました。
おめでたい事に▲3四歩以下の筋を殆ど読んでいなかったのですが、それにも象徴される若さ故の無鉄砲さがかえって加藤先生の踏み込みをためらわせたのでしょうか……
余談ですが、加藤先生に度々長考された際、「私も一人前?に扱われているんだな」と感じたのを覚えています。有名なからぜき等のしぐさも(記録の最中に見るのと目の前で見るのとでは迫力も段違いですが)棋士としての闘志のお陰で圧倒されず、平静に受けとめられたのでした。
本譜、▲4四歩△同金▲4八飛に△3五歩と払って好調を感じました。
(中略)
先の銀引きの時点で、残りはわずか12分。加藤先生同様私にも「残り10分です。何分からお読みしましょうか」の声が掛かりそうな情勢。ちなみにこの日の記録は5級の木村さゆり嬢。経験はまだ浅い筈なのに実に良くやってくれていたのを思い出します。
この辺で私は「戦いは最後の5分間にある」と心中呟いてもいました。このナポレオンの至言は、「自分の5分」とも「双方併せた5分」とも解釈できる訳ですが、何より「最後の5分間に奮戦できたとて勝てるとは限らない」という風にも取れるのが、私の気に入っている理由なのです……
▲6七金打がらしからぬ悪手でした。△7八角から形に入り、寄せ切って見事大豪を倒す事が出来ました!
勝利を噛みしめながら感想戦をしていると、意外な方が特別対局室に現れました。東京にいらしていた小林健二八段は、感想戦と棋譜をご覧になると微笑を浮かべつつ「こういう風に指せば良かったんだ……」と一言。ほんのささいな軽口なのですが、それを耳にしての感激は今もありありと蘇ってきます。
この日の事は、心の財産として決して忘れないでいよう……(終)
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窪田義行七段の個性が十二分に発揮されている自戦記。
「読者の皆様こんにちは。『四間一筋』四段の窪田です」がとてもいい。
この頃の窪田四段(当時)の自戦記は、この出だしが定跡だったようだ。
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「暑熱いよいよ盛んなこの日」「名にしおう加藤棒銀といえども、堂々と迎え撃つぞ!」「右銀が間合いを詰める剣士の如く」「近衛の如き守りの要・左金を前線に差し向ける作戦」「象徴される若さ故の無鉄砲さがかえって加藤先生の踏み込みをためらわせたのでしょうか」など、読んでいて嬉しくなるような、窪田七段ならでは窪田流の表現。
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「9時過ぎに出立して連盟へ。加藤先生のお陰だなと思いながら特別対局室に足を運び、いよいよ対局開始!」「余談ですが、加藤先生に度々長考された際、『私も一人前?に扱われているんだな』と感じたのを覚えています」「たった4ヵ月しか経っていないのに、今度は挑戦する立場なのだと思うと正に感無量!」
新四段らしい瑞々しい感じ方で、とても気持ちがわかる。
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「あれは忘れもしない3月1日。三段リーグ最終日を2日後に控え、最後の記録にすべく臨んだA級順位戦加藤-小林戦。あの死闘に間近で接して得たものは大きかったと断言できますが」
「『同じ四間党たる小林先生のかたきを討つ』となるとおこがましくなりますが、改めてやる気が湧いてきました」
窪田三段(当時)が奨励会時代最後の記録係を務めたのが加藤一二三九段-小林健二八段戦(写真)。
小林健二八段(当時)は加藤一二三九段に敗れて、A級を陥落している。
→「将棋界の一番長い日」という言葉が初めて大々的に使われたA級順位戦最終局
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「この辺で私は「戦いは最後の5分間にある」と心中呟いてもいました。このナポレオンの至言は、『自分の5分』とも『双方併せた5分』とも解釈できる訳ですが、何より『最後の5分間に奮戦できたとて勝てるとは限らない』という風にも取れるのが、私の気に入っている理由なのです……」
この辺の捉え方は、窪田ワールドそのものなのだと思う。
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この一局では、3図から窪田四段の目の覚めるような妙手が繰り出されている。
3図以下の指し手
△7九金(4図)
△7九金(4図)を▲同玉なら△3五角。
本譜は、▲7七玉△4四角▲同馬△同銀▲6六桂(▲4四同飛は△3三角)△5三銀となり、先手の馬を消すとともに、後手の角を捌くことに成功している。
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「勝利を噛みしめながら感想戦をしていると、意外な方が特別対局室に現れました」
「それを耳にしての感激は今もありありと蘇ってきます」
「この日の事は、心の財産として決して忘れないでいよう……」
窪田四段にとっての奨励会時代最後の記録係を務めた加藤-小林戦から連なるドラマチックな展開。
本当に、ものすごく大きな財産となっていると思う。