竜王戦担当記者二人が見た、それぞれの、羽生六冠が誕生した竜王戦第6局。
将棋マガジン1995年2月号、読売新聞の山田史生さんの第7期竜王戦七番勝負第6局観戦記「七冠を狙います」より。
10月中旬、第1局のパリ対局から始まった第7期竜王戦七番勝負は、内容的には接戦続きだったが、第3局まで羽生の3連勝。昨年、羽生から4-2で竜王位を奪った佐藤の、隙のない指し回しをまのあたりに見ていた私には、今期の佐藤の姿が別人のように思えた。名人を奪い、さらに竜王を加えて史上初の六冠王を目指す羽生の勢いの前には、佐藤もひとたまりもないのか。
羽生が圧倒的な強さを発揮して、六冠王となる姿を見たいファンも多いことだろうが、主催新聞社の担当者としては、メインイベントの七番勝負が一方的ではいささか寂しい。やはり勝ったり負けたりの大熱戦が一番望ましい。
佐藤もベストを尽くしていただろうが、結果が伴わない。何とか一つでも二つでも返してほしいと願っていた。それが第4局(北九州市)ですれすれの将棋を佐藤が勝ち切ると、やっと調子が上がってきたか、第5局(富山県砺波市)では快勝、タイトル防衛に望みが出て来たのである。やっと盛り上がりも高まり私もやれやれといったところ。
さて第6局は大勝負になるに違いない。羽生がまだ1勝リードしているとはいうものの、第6局に敗れ3-3では、流れははっきり佐藤のものであろう。特に羽生は先手番だけに、ここで決めておかないと危ない。佐藤の方はもともと後がないのだから、これまで通り開き直った気持ちで立ち向かうであろう。もちろん勝つっきゃない。
二人は必勝の気構えを胸の内に秘め、12月7日昼過ぎの山形新幹線に乗り天童市へ向かった。天童はこれまで飛行機で行くことが多かったが、山形まで新幹線が延びてから飛行機便が減り、手頃な時間に着く便がなくなってしまった。さほど時間もかかるわけではないからと、呉越同舟、駅弁などを食べながら、はた目にはのんびりと列車の旅。
立会人は高柳敏夫名誉九段と石田和雄九段、記録は岡崎洋四段といった顔ぶれ。
車中で高柳名誉九段は「使ってください」と二人に扇子をプレゼントした。「テレビで対局を見ていたが、扇子の音が大きくて気になったから」とのこと。この扇子はしなやかな作りで、これなら音は小さい。二人ともすなおに従い、対局でその扇子を使っていた。細かい気配りである。
福島を過ぎたら雪景色になった。前夜降った雪がたっぷりと残っていたのだった。山形で在来の特急に乗りついで、降り立った天童駅は雨だった。市の商工会議所、ホテルなどのスタッフに迎えられ、車に分乗して対局場へ。
その「滝の湯ホテル」では春ごろから増築工事を行っており、増築部分に何と対局専用の「竜王の間」が設けられたのである。まだ出来上がってから4、5日しかたっておらず、本局が”使い初め”となる。見事なまでぴったりのタイミングであった。
午後6時からは鈴木天童市長をはじめ、市の幹部や地元名士たち出席の歓迎夕食会。七番勝負ももう大詰めとあって、対局者に負担をかけないよう、決意表明などはなし。花束贈呈だけの気を遣った会であった。
(中略)
さて注目の大一番は12月8日午前9時、カメラの放列の前で駒が並べられた。定刻になったのを確認して高柳名誉九段が「ではお願いします」と独特のしゃがれ声でいって対局開始。
しかし先手番の羽生は目を閉じたまま。後で見ればわずか3分だったが、カメラマンを含め20人ほどがじっと見守る中での3分は長い。大事な一戦とあって、さすがの羽生も心の鎮静に時間が必要だったのだろう。
そして▲7六歩。佐藤2分の△8四歩は、カメラマンたちが引きあげていくまでの時間。
(中略)
午前中はエンジンのかかりが遅いのか、生あくびをしたり、首をがくんと垂れ、目をつぶったりして、あるいは居眠りをしているのかと思わせるような態度を見せる羽生だが、この日は違った。背筋をしゃんと伸ばし、目は鋭く、早くも2日目の午後といった姿勢である。この七番勝負最大の勝負所とあって、自然とそうなるのであろうか。佐藤の方は普段とあまり変わらず、ひょうひょうとした雰囲気である。
(中略)
▲6八銀と金を払われ、佐藤は珍しく頭に手をやり”参ったな”という風情。
しかし羽生も、まだ自信があるとはとても思えない厳しい表情で盤面を凝視している。
高段者がずらりと顔を揃える控え室だが、依然結論は出ていない。しかし何とか羽生が寄せ切れそうだ、との雰囲気は出て来た。
あいまいで申し訳ないが、この辺は、局後の佐藤、羽生の検討でもどれが最善か結論の出なかった所。
(中略)
佐藤は△7一金と竜を奪ったが、▲8三飛以下即詰み。大熱戦にやっと終止符がうたれた。
30人もの報道陣がどっと部屋へ入る。感想戦の前に話を聞く。
「新記録の六冠とは、棋士冥利につきます。七番勝負は後半追い込まれましたが、内容的には満足しています。ここまで来たからには七冠も狙います」
特に上気もせず淡々と語る羽生。
ひよわに感じた四段の少年時代から見続けている私には、小ヘビに足が生え、手が生え、羽が生えて天空に舞い上がる竜の姿がそこにあるように思えた。
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近代将棋1995年2月号、読売新聞の小田尚英さんの第7期竜王戦七番勝負第6局観戦記「羽生、竜王位を奪還」より。
まず第6局を振り返ろう。七番勝負はここまで羽生の○○○●●。第6局を負けると、将棋界では例のない3連敗4連勝の大逆転が現実味を帯びてくるから、羽生にとってはここで決めたい。ふだんは朝はエンジンがかかりにくい羽生も最初から必死の表情で盤に向かった。本人も「ここで落とすと流れが変わるので、勝負どころと思いました」という。一方、佐藤は開き直っていることもあって、いつも通りの様子。これも素晴らしい態度。傍目には、どちらがカド番かわからない感じを受ける。
対局室は、この対局のためにわざわざ新築された「竜王の間」。テレビ映り、写真映えするように工夫されていて、気持ちがいい。実は、この滝の湯ホテルでは、羽生にとっては昨年竜王を奪われているだけではなく、第3期でも谷川浩司王位・王座(当時)に敗れているし、第2期では持将棋。つまり、羽生にとっては勝ちがないし、タイトル戦のたった2回の敗北がいずれもここ(これはこれで貴重な記録だ)という場所となっている。
ここ一番。先手の羽生が矢倉を選んだのは大方の予想通りだった。
(中略)
佐藤が頭を下げ、羽生が返礼すると、対局室は報道陣で一杯になった。感想戦が始まる前のインタビューで羽生は「(六冠は)新しい記録で棋士冥利につきます。全体的には内容もよく、満足しています」と話した。冷静。大した人だと感じた。佐藤は「つまらないミスが多く、竜王を取られたのも仕方がありません」。感情を抑えての語り口。やはり大した人だ。
2時間に及ぶ感想戦が済んで佐藤が去り、羽生は再び報道陣に囲まれた。インタビューへの答えは次のようなものだった。
「佐藤さんとの将棋はいつも競り合いになるので、集中力が切れないように心掛けていました。6、7局までいくのは覚悟の上でした」
「3連勝した前半も内容が悪い局があり、追い上げられて昨年と同じような展開になり、いやな感じはしました」
「取られた場所で取り返せて、ゲンが返せました」
「ずっと防衛戦が多く、タイトルを増やすことができてうれしい。ここまで来たら七冠を目指します」
「指した手が定跡になる、がこのシリーズの目標でしたが、第1局と最後はまずまずよかったものの、まだまだです」
力強い「七冠宣言」もでて、羽生の充実ぶりを改めて感じた。本局では、最初から気合をこめていたが、だからといって勝てるとは限らない。しかし、ちゃんと勝つところに羽生の底知れぬ強さがある。勝負強いというだけでは片付けられないものだが、その意味の分析は他の稿に譲ろう。
打ち上げの前、廊下で会った筆者に佐藤は「お世話になりました」と言ってくれた。胸がじんと来た。好漢、佐藤。再び七番勝負の舞台に登場する日が楽しみだ。
さて、六冠という記録は、タイトル独占の大山康晴十五世名人の五冠とは意味合いが違うが、ともかく素晴らしい記録だ。その記録に隠れがちだが、竜王、名人の同時制覇も初めての快挙で、これも重要だ。
すでに棋界制覇と言っていいのだが、羽生ファンとしては是非七冠独占を見たいところだろう。この原稿の時点では王将挑戦も有力なので、可能性が出てきた。ただし、その前に棋聖戦の防衛戦と、王将戦と平行して行われる棋王戦防衛戦がある。筆者も夢の記録を見てみたい気持ちにかられるが、王将挑戦権を争う郷田真隆五段、棋聖に挑戦する島朗八段、谷川浩司王将らの顔を思い浮かべると、羽生ファンと同じ気持ちにはなり切れないのも確かだ。
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読売新聞の山田史生さんは小田尚英さんの上司にあたり、山田さんは小田さんの結婚式で仲人も務めている。
それぞれの視点からの竜王戦第6局。
大局観は二人とも一致していて、そのうえで、詳しく書いている分野が少し異なっているのが面白い。
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「羽生がまだ1勝リードしているとはいうものの、第6局に敗れ3-3では、流れははっきり佐藤のものであろう。特に羽生は先手番だけに、ここで決めておかないと危ない。佐藤の方はもともと後がないのだから、これまで通り開き直った気持ちで立ち向かうであろう。もちろん勝つっきゃない」(山田さん)
「七番勝負はここまで羽生の○○○●●。第6局を負けると、将棋界では例のない3連敗4連勝の大逆転が現実味を帯びてくるから、羽生にとってはここで決めたい」(小田さん)
七番勝負での3連敗後4連勝は、例がなかったものの、(3連敗後3連勝して最終局で敗れる)という絶対数も少なかったので、この当時は、3連敗後4連勝はいつ起きても不思議ではないという感覚だったことがわかる。
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「主催新聞社の担当者としては、メインイベントの七番勝負が一方的ではいささか寂しい。やはり勝ったり負けたりの大熱戦が一番望ましい」(山田さん)
主催新聞社によって事情は少し変わってくるかもしれないが、やはり基本的には、フルセットまで行って大いに盛り上がってほしいと願っているのが担当者魂。
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「呉越同舟、駅弁などを食べながら、はた目にはのんびりと列車の旅」(山田さん)
山形県の駅弁は、山形新幹線開業に合わせて発売された「牛丼弁当 牛肉どまん中」など、牛肉や山形県の食材が生かされたものが多い。
「車中で高柳敏夫名誉九段は『使ってください』と二人に扇子をプレゼントした」
山田さんは往路の車内の記述が手厚い。
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「その滝の湯ホテルでは春ごろから増築工事を行っており、増築部分に何と対局専用の「竜王の間」が設けられたのである。まだ出来上がってから4、5日しかたっておらず、本局が”使い初め”となる。見事なまでぴったりのタイミングであった」(山田さん)
「対局室は、この対局のためにわざわざ新築された「竜王の間」。テレビ映り、写真映えするように工夫されていて、気持ちがいい」(小田さん)
「ほほえみの宿 滝の湯」の竜王の間は、
- 盤面を映すカメラが天井に直接取り付けられるようになっている。
- 対局室から外のNHK衛星放送の中継車までのケーブルがむき出しにならないように、ケーブルが壁の中を通っている。
- 盤の映像に畳のヘリが映らないようにするため、中央の畳は通常の1.5枚分と大きい。
- 対局室の映像を撮ったときに殺風景にならないように、書院風の丸窓や違い棚が作ってある。
- テレビで映る場所にコンセントがない。
- 照明器具がレールで移動できて明るさを調整できる。
- カーテンのほかにブラインドがあり、太陽の光を調整できる。
- 人が来ると丸窓の向こうに影が映り、事前に気配を感じさせることで、対局者が驚かず雰囲気を壊さないようにしている
などの配慮がなされている。
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「実は、この滝の湯ホテルでは、羽生にとっては昨年竜王を奪われているだけではなく、第3期でも谷川浩司王位・王座(当時)に敗れているし、第2期では持将棋。つまり、羽生にとっては勝ちがないし、タイトル戦のたった2回の敗北がいずれもここ(これはこれで貴重な記録だ)という場所となっている」(小田さん)
タイトル戦のたった2回の敗北とは失冠のこと。タイトル戦を何度も戦っていれば、因果関係はないものの、どうしても対局場との相性の良し悪しは出てくるもの。
羽生九段が初めてタイトル戦で敗れた第3期竜王戦では、先崎学五段(当時)が最高に心を打つ文を書いている。
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「取られた場所で取り返せて、ゲンが返せました」
ゲンが良くないと思うよりも、ゲンの良くなかった対局場にゲンを返そうと思えば、ポジティブな思考になることができる。
「ゲンを返す」という言葉は初めて聞いたが、覚えておきたい言葉だ。
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とはいっても、「滝の湯」での羽生九段は、2008年の竜王戦第7局で渡辺明竜王(当時)に敗れ、竜王位奪還を逃している。この時は史上初の七番勝負3連勝後の4連敗となってしまった。
失冠ではなかったものの、永世七冠を逃した一局だった。
「滝の湯」での決着局ではなかった番勝負で羽生九段は、2000年竜王戦第6局で藤井猛竜王(当時)に勝ち(第7局で敗れ奪還はできなかった)、2002年竜王戦第5局で阿部隆七段(当時)に敗れている(第6局、第7局に勝ち、防衛)。
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「午前中はエンジンのかかりが遅いのか、生あくびをしたり、首をがくんと垂れ、目をつぶったりして、あるいは居眠りをしているのかと思わせるような態度を見せる羽生だが、この日は違った。背筋をしゃんと伸ばし、目は鋭く、早くも2日目の午後といった姿勢である。この七番勝負最大の勝負所とあって、自然とそうなるのであろうか。佐藤の方は普段とあまり変わらず、ひょうひょうとした雰囲気である」(山田さん)
「ふだんは朝はエンジンがかかりにくい羽生も最初から必死の表情で盤に向かった。本人も「ここで落とすと流れが変わるので、勝負どころと思いました」という。一方、佐藤は開き直っていることもあって、いつも通りの様子。これも素晴らしい態度。傍目には、どちらがカド番かわからない感じを受ける」(小田さん)
同じ光景が描かれているが、山田さんと小田さん、二人の文体の個性が表れていて面白い。
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「新記録の六冠とは、棋士冥利につきます。七番勝負は後半追い込まれましたが、内容的には満足しています。ここまで来たからには七冠も狙います」(山田さん)
「(六冠は)新しい記録で棋士冥利につきます。全体的には内容もよく、満足しています。ずっと防衛戦が多く、タイトルを増やすことができてうれしい。ここまで来たら七冠を目指します」(小田さん)
羽生六冠が初めて「七冠」に言及した瞬間。
翌々年の2月に七冠を達成したことも凄いが、七冠になるまで1年以上六冠を保持していたことも、七冠に勝るとも劣らないほどの偉業だと思う。
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「ひよわに感じた四段の少年時代から見続けている私には、小ヘビに足が生え、手が生え、羽が生えて天空に舞い上がる竜の姿がそこにあるように思えた」(山田さん)
「ハブ」と「竜王」をうまく結びつけた名言だと言える。
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「打ち上げの前、廊下で会った筆者に佐藤は『お世話になりました』と言ってくれた。胸がじんと来た。好漢、佐藤。再び七番勝負の舞台に登場する日が楽しみだ」
感想戦を終わって間もない頃のこと。胸にじんと来るのが痛いほどわかる。
佐藤康光前竜王(当時)は、この翌期の竜王戦七番勝負にリベンジを賭けて登場してくる。
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ただ、佐藤康光前竜王は、この日の打ち上げ終了後の控え室でやった「ウノ」で、散々な目にあっている。
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「指した手が定跡になる、がこのシリーズの目標でしたが、第1局と最後はまずまずよかったものの、まだまだです」
羽生六冠は第6局の自戦記で、「この竜王戦のような将棋をこれからも指し続けられればいいなと思っています。確かに内容的には不満が残るのですが、今の自分ではこれぐらいが精一杯なのでしょう。しかし、一局の将棋で完全燃焼できたその充実感は確かに自分の胸の中に刻み込まれました」と書いている。
→羽生善治六冠(当時)「相矢倉の攻め合いというのは将棋の醍醐味の一つで、こういう将棋が指せるようになると今より二倍は将棋が面白くなるはずだ」