佐藤康光七段(当時)「研究会等で指した事はあってもやはり公式戦となると違ったものが見えてくる。やはり公式戦こそ一番の勉強の場といえる」

将棋世界1996年4月号、佐藤康光七段(当時)の第37期王位戦〔対 丸山忠久六段〕自戦記「丸山流に翻弄される」より。

将棋世界同じ号より。

 昨年の私は良かったり悪かったり様々であったが年末に幸運にもA級昇級を決める事ができ、終わり良ければ全て良しという訳ではないが良い一年であったのだろう。今年に入って来期のことで頭を痛めているところであるが今月より自戦記との依頼である。

 果たして今の私に質の高い将棋をお見せできるか甚だ疑問であるが、皆さんには少しでも熱の入った将棋をご覧いただけるよう頑張って行きたいと考えているのでよろしくご愛読の程を。

(中略)

 今月は第37期王位リーグの丸山六段との一戦より。王位戦は私にとっては相性の良い棋戦(と言っても高橋九段や郷田六段程スケールは大きくないが)で一度挑戦者になった事がある。このリーグ戦は指す度に思うが5局という短期決戦なので最初の1、2局がかなりのウエイトを占めてくる。挑戦にからまなければ陥落という厳しいリーグ戦だ。スタートとしてはかなりの難敵である。彼との対局では最近は連敗しているのでそろそろ止めたいと思い対局に臨んだ。

(中略)

 王位リーグは先後があらかじめ決まっているため、対策は立て易い。丸ちゃん(丸山六段は仲間内ではこう呼ばれている)の先手番といえば角換わり。棋界一のスペシャリストである。

 私もかなり対策に悩んで(もっとも居飛車党にとっては矢倉と角換わりの後手番といえば慢性的な病気みたいなもので不治の病である)、どうしようか迷った。

 彼の角換りを受けるチャンスはそうそうないため、勿体ないという気もしたのであるが(いつもそう思う)、今回は変えて最近興味のある戦型の一つの横歩取りに決めた。横歩取りは私にとっては苦手な戦型の一つで、後手番で空中戦を指すのは棋士になって初めての経験だ。何事もそうであると思うが、初めての事というのは新鮮な感じを受けるが反面、全く手探りな状態なため、一手一手に細心の注意を払うので、かなりの苦労、気疲れがする。研究会等で指した事はあってもやはり公式戦となると違ったものが見えてくる。やはり公式戦こそ一番の勉強の場といえる。

(中略)

 7図で丸山六段は最後の長考に沈む。私にとっては負けを自分に言い聞かせる時間である。▲4三角から始まり、最後の▲8五角が決め手。これ以外だと怪しくなるがさすがに正確である。

 ▲7五金で必至となり投了。内容的には多少問題があったにせよ、完敗だった。

 最近の丸山将棋は勝つ時は完勝、負ける時も際どい一手違いというのが多い。それだけ彼の実力が抜けている証拠でもあるのだがこの人にして羽生さんには今期勝っていないのだから恐ろしい。

 丸山六段とは近い内にまた当たっているのでその時には借りを返させていただくと宣言して今回の結びとしたい。

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「果たして今の私に質の高い将棋をお見せできるか甚だ疑問であるが、皆さんには少しでも熱の入った将棋をご覧いただけるよう頑張って行きたいと考えているのでよろしくご愛読の程を」

このように、謙虚かつ常に向上心を持っているのが佐藤康光九段の素晴らしさのひとつ。

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「丸ちゃん(丸山六段は仲間内ではこう呼ばれている)の先手番といえば角換わり。棋界一のスペシャリストである」

佐藤康光九段が「丸ちゃん」という言葉を使う姿を想像できないが、二人は気が合うという証言もあるので、使っていた可能性もある。

「名人が丸山君に兄貴分らしく振るまうなど、この二人が気の合う仲間だとはじめて知った」

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「もっとも居飛車党にとっては矢倉と角換わりの後手番といえば慢性的な病気みたいなもので不治の病である」

矢倉と角換わりの後手番に関しては、その後の戦術の進歩により、慢性的な病気からは解放されている。

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「彼の角換りを受けるチャンスはそうそうないため、勿体ないという気もしたのであるが(いつもそう思う)、今回は変えて最近興味のある戦型の一つの横歩取りに決めた。横歩取りは私にとっては苦手な戦型の一つで、後手番で空中戦を指すのは棋士になって初めての経験だ」

相手の得意戦法を受けて立ちたい、あるいは自分が苦手な戦法を公式戦で初めて指したい。普通なら避けて済ませたいところだが、そこに正面から向かっていく心意気。

佐藤康光名人(当時)が丸山忠久八段(当時)に3勝4敗で敗れた2000年度の名人戦では、佐藤名人は全局で丸山八段の得意戦法を正面から受けて立った。(当時の丸山八段の得意戦法は、先手なら角換わり戦法、後手なら横歩取り△8五飛車戦法)

佐藤康光棋聖(当時)「賢いだけでは感動は呼ばない」

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「研究会等で指した事はあってもやはり公式戦となると違ったものが見えてくる。やはり公式戦こそ一番の勉強の場といえる」

羽生善治二冠(当時)も、同様のことを書いている。

コンピュータソフトが発達した現在でも、この真理は変わっていないと思う。

羽生善治二冠(当時)「どちらも最善を尽くしているつもりで指すと机上の研究では現れない局面となり、初めて見る局面となる。本当に将棋の不思議な所でもあり、深い所でもあります」

 

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