近代将棋1996年6月号、明石覚さんの「春―芝生に映えて七冠人生のスタート」より。
春の陽が庭の芝生にふくらんで、カスミ草のアーチから新郎新婦が入場する。
ここは東京・中目黒の「Q.E.D CLUB」。大貫妙子が優雅に歌う「Shall we ダンス?」のメロディーに乗って、黒い燕尾服の羽生善治七冠王とウェディングドレスの畠田理恵さんが、にっこりと笑う。
レストラン中庭でのくつろいだ立食パーティー形式は、時代をリードする七冠王にふさわしい披露宴である。会場には棋士仲間や将棋関係者、また理恵さんのドラマ共演者ら約130人が駆けつけて、二人の門出を祝福する。
主役の二人は、青々とした一面の芝生をゆっくりと踏みしめながら、羽生が庭隅に並ぶ将棋関係者を、ひとりひとり理恵さんに紹介していく。
折をみて、羽生の師匠で、仲人を務めた二上達也会長のスピーチが始まった。
「愛は向かい合うものではなく、お互いに同じ方向を向いていくものである」という小説「星の王子さま」の作者、サン・テグジュペリの言葉を引用して祝福する。会長はダンディーな、白髪のジェントルマンである。
レストラン入口付近で、羽生の母、ハツさんにお会いした。
「今朝は式に備えて4時に起きたんですよ。もう1時間ごとに目が覚めちゃって寝不足なんです。式が終わった夢まで見ちゃってね」(笑い)
ハツさんが早く目覚めたのは、異例の早朝挙式が行われたからだ。
3月28日、午前8時45分、二人は二上達也夫妻の媒酌により、東京将棋会館隣の鳩森八幡神社で結婚式を挙げた。
神社の本殿で式を挙げ、幸せいっぱいの二人の姿をテレビニュース番組で見届けてから、我々報道関係者はパーティー会場へ向かったのだ。
その後、新郎新婦は9時半から連盟内にて共同記者会見を行い、披露宴の開始は午後1時であった。
Q.E.D CLUBの時はゆったりと流れていく。中庭のあちこちに、コミュニケーションの輪ができる。芝生中央には、谷川浩司夫妻、島朗夫妻、中村修夫妻がいて談笑している。
(中略)
頃合いをみて何人かの棋士にインタビューを試みた。その心は―
森内俊之八段「本当にかわいらしいお嫁さんですね。その幸せを私にも分けてほしいですね」(不気味な笑顔で名人戦のことをほのめかしている)
森下卓八段「一昨年の10月に羽生さんと、理恵さんの舞台(芸術座「向島物語」)を一緒に見に行きましたが、私はすっかりコマとして活用されたようです。新婦があまりにも美人で目がくらみそうです」
塚田泰明八段「素晴らしい披露宴ですね。私たちも見習って、今日のような式にしたい」(4月15日に塚田と結婚する高群佐知子女流二段が隣でにっこりと笑う)
最後に中原誠永世十段におうかがいした。
「ま、普通が一番ということです。将棋は10番戦えば2番は負けるものなんですから。妻が神頼みなんかしたら、大変なことになっちゃう。将棋のことはわからなくてもいいんですよ。家庭をしっかり守ればいい」
それぞれに暖かみのある談話であった。
芝生中央では、いよいよウェディングケーキへの入刀の時が近づく。
理恵さんはやっぱり女優だなあ、と思う。両手を合わせて神に祈るようなポーズを取ったり、両手を広げて、出席者をもてなすような仕種が自然でさりげない。隣の七冠王が神妙な顔つきなのと対照的だ。
いまをときめくマライヤ・キャリーの「ヒーロー」のメロディーに乗せてケーキにナイフを入れる。会場のあちこちから拍手が巻き起こった。
後でいただいたウェディングケーキはまろやかな甘みがあり、仕上げのレモンシャーベットは甘酸っぱかった。取材に追われメインディッシュのフランス料理をあまりいただけなかったのが残念だ。
理恵さんが女優ということもあって、芸能界からも多くの知人が訪れていた。
男優の篠田三郎、太川陽介、女優の山本陽子、芦川よしみ、藤吉久美子の各氏が勢ぞろいし、新郎新婦を交え、カスミ草のアーチをバックに記念撮影をした。
理恵さんにとって思い出のドラマは、NHKの朝の連続テレビ小説「京、ふたり」。
そのドラマで理恵さんの母親を演じた山本陽子さんは感慨深げにこう語っている。
「あのドラマからもう6年です。本当に嫁を嫁がせるような気持ちです。和服姿の若い方がどんどん減っていくこの頃ですが、理恵さんの和服姿は20代ではピカ一です。女優をやめるのは残念な気もいたしますが、羽生さんのような素晴らしい方とめぐり逢えて本当によかった。彼女のことですから、しっかりと家庭を守っていくでしょう」
終宴の午後3時が近づき、新郎新婦のあいさつが始まった。羽生は人生の新たな決意を語ったあと、表情を崩してこう語った。
「ええ、本日は朝方、雨の予報が出ていたので、ちょっと心配していましたが、皆さんの心掛けがよいために、こんなにいい天気になりました」(笑い)
米長邦雄九段によると、この日のような好天を”羽生晴れ”というのだそうである。
理恵さんは、お母様にブーケをプレゼントし、「25年間ありがとうございました」と、会釈した。お母様が涙ながらにブーケを受けると、招待客から、この日最も大きな拍手が送られた。
こうして伝統と革新がうまく調和した未来派の結婚披露宴は終わった。帰り際にいただいた引出物の京扇子が、またまた羽生七冠王らしい。
この扇子は別名「末広」とよばれ、「次第に栄える」(末に広がる)という意味の縁起物だ。扇子を販売している京扇堂日本橋支店に問い合わせてみると、和紙の上に薄絹をまぶした高級品であるという。扇子は棋士にとって戦闘道具であるし、舞台女優にもなじむ。とかくかさばりがちな引出物としては、じつに軽くてけっこうだ。この京扇子は家宝にして飾り棚に収めておきたい。
(以下略)
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「主役の二人は、青々とした一面の芝生をゆっくりと踏みしめながら、羽生が庭隅に並ぶ将棋関係者を、ひとりひとり理恵さんに紹介していく」
自分に新婦を紹介されるよりも、新婦に自分を紹介してもらえるほうが、とても嬉しく感じられる。
これは人間の心理なのだろう。
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大貫妙子「Shall we ダンス?」、マライヤ・キャリー「ヒーロー」の2曲とも、1996年当時はもちろんのこと、現在に至るまで知らなかった曲だ。
私だけかもしれないが、将棋に熱中していない時期は新曲をどんどん覚え、将棋に夢中になると新曲を全く覚えなくなる傾向があるようだ。
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サン・テグジュペリの「愛は向かい合うものではなく、お互いに同じ方向を向いていくものである」。
調べてみると、この言葉はサン・テグジュペリの著作『人間の土地』に出てくるもので、堀口大學の訳では「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」となっている。
恋はおたがいに顔を見あうこと、愛はいっしょに同じ方向を見ること、とも解釈できるが、実際にはサン・テグジュペリが軍の飛行士時代にサハラ砂漠で不時着遭難した際の体験(同乗していたもうひとりの飛行士と砂漠に二人きり。食料も水もなくなる中、3日後に奇跡的な生還を遂げる)がもととなって生まれた言葉だという。
そういう意味では、二上達也九段は、この日のために非常に深くて素晴らしい言葉を用意していたと言える。
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「今朝は式に備えて4時に起きたんですよ。もう1時間ごとに目が覚めちゃって寝不足なんです。式が終わった夢まで見ちゃってね」(笑い)
楽しいお母様だ。
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森内俊之八段の、「本当にかわいらしいお嫁さんですね。その幸せを私にも分けてほしいですね」
(不気味な笑顔で名人戦のことをほのめかしている)が可笑しい。
結婚をはじめとする私生活の幸せはそのままで、あるいはこれまで以上に。将棋に関する幸せについては集中的に分けてほしい、ということ。
この披露宴の5日後に、森内八段は名人戦での挑戦を決める。
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森下卓八段の「一昨年の10月に羽生さんと、理恵さんの舞台(芸術座「向島物語」)を一緒に見に行きましたが、私はすっかりコマとして活用されたようです。新婦があまりにも美人で目がくらみそうです」。
婚約発表後、羽生善治六冠(当時)は、「森下さんには非常に感謝しています」とコメントしている。
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中原誠十六世名人の「妻が神頼みなんかしたら、大変なことになっちゃう」。
たしかに、対局の度に神頼みをしたとしたら、勝率が7割でも無神論者になってしまうかもしれない。
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「ええ、本日は朝方、雨の予報が出ていたので、ちょっと心配していましたが、皆さんの心掛けがよいために、こんなにいい天気になりました」(笑い)
普通に考えると、喜んでいいのか、淡い毒が混じっているのか、判断に迷う新郎あいさつだが、羽生七冠が言っていることなので、純粋に喜んで良いのだろう。
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出席者全員が、夢のような、あっという間の2時間だったに違いない。