以下の文章は、毎日jpよりの抜粋。
当時、名人戦を単独主催していた毎日新聞でなければ書けない記事だ。
『「私はこの手を見たとき、なぜか眼(め)に涙が溢(あふ)れてきたのである--。<ああ、おれはなんというしあわせ者だ>」。作家の斎藤栄さんは本紙の観戦記にそう書いた。79年の中原誠名人と米長邦雄棋王の名人戦第4局のことだ。
中原名人が指した「5七銀」は、終盤の絶妙手として今も語り草となっている。「取られてしまう銀を、わざわざ一手かけて、相手に取らせる。相手は銀得になる。ところがそのために、中原の王は詰まない」。観戦記はそう説明している。
この時、名人は2分ほど考え、無表情でこの5七銀の妙手を指したという。実は「『歴史に残る手になるかもしれない』と思いつつ指した」。中原さんがそう明かしたのは30年後、十六世名人として棋士引退を表明した会見でのことだった』
中原誠十六世名人の▲5七銀は、誰が見てもビックリする終盤の絶妙手。
1971年の名人戦第3局での升田幸三九段の中盤での△3五銀も、誰もが感動する名手だったが、▲5七銀は終盤に勝敗を決定付けた手ということで、更にインパクトが大きいかもしれない。
どちらも銀の只捨ての手。
そういえば、羽生善治名人の、対加藤一二三九段戦での▲5二銀も絶妙手として有名だ。これも銀の只捨て。
歴史的な絶妙手には、銀の只捨てが多いということになるのだろうか。
ちなみに、中原十六世名人の出身地である宮城県の河北新報の記事も、地元新聞でなければ書けない内容となっている。