最近、寝る前に5~10年前の将棋世界や近代将棋を読んでいる。
当時読み飛ばしていた記事や、後で時間ができたときに読もうとしてそのままになっていた記事が結構多く、かなり読みがいがある。
故・真部一男九段の将棋世界「将棋論考」(1998年将棋ペンクラブ大賞一般部門大賞)などは、今読んでも輝いている。
それらの中から面白い話を。
近代将棋2001年4月号、永井英明さんの『「近代将棋」泣き笑い半生記』より、1954年に佐瀬勇次名誉九段(当時七段)が書いた「こぼれ話」。
棋士は商売がら、和服のほうが似合うのか、背広でいかに立派なものを着ても、安サラリーマンにしか見られなかったらしい。
(その1)
原田泰夫八段と五十嵐豊一八段が、昇仙峡に一泊したときのこと。
予約もなく突然のことであり、そのうえ洋服姿で安サラリーマンにしか見えないから、一流の旅館は門前払い。
たまたま泊めてくれた旅館が案内してくれた部屋は、あんどん部屋同然の安部屋。
温厚な原田・五十嵐両八段は、「部屋がひどいので、もっといい部屋に替えてくれ」などと野暮なことは言わない。
料理の注文で驚かせて、部屋替えをさせる作戦に出た。
「夕食には最高級のお酒を十本ほど。肴は最上等を五、六品。しかし、こんな部屋では感じが出ないなあ」
旅館の人はあわてて
「ちょっとお待ちください。只今、上等の部屋が空いたようですから」
(その2)
大山康晴名人と丸田祐三八段が、やはり背広で同じように旅館へ一泊したときのこと。
定跡どおりの、あんどん部屋行き。
大山・丸田組は、全て沈黙という、原田・五十嵐組とは全く逆の作戦に出た。
何も言わずに、帳場に時計を預けて悠々と風呂に入る。
大山名人の時計はオメガ、丸田八段の時計はロードエルジン。当時の最高級品。
風呂から出て部屋に戻ると、旅館の人の態度がガラリ一変。
「只今、上等の部屋が空きましたから、どうぞ」