2006年将棋世界1月号を見ていたら、ビックリする写真があった。
越智信義さんの「明治 大正 棋界の歩み(中編)」より、明治42年9月29日萬朝報に掲載された、関根金次郎十三世名人(当時41歳八段)の妻を求める新聞広告。
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師友棋客 関根金次郎氏(明治元年生)未だ内助なきに附 予等相計り良妻を媒介せんとす 師の手腕を愛し内助たらんとする夫人ハ封書紹介を乞ふ
容貌普通○年齢三十歳迄○資産の有無○係累なき者○身体強壮○関根氏ハ単身無係累
芝区琴平町六番地野口方
蓑太七郎
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本文では、この広告についての言及はないが、蓑太七郎という人は関根派の新進気鋭の棋士。阪田三吉名局集(内藤國雄著)によると 、明治41年に阪田三吉に香落で敗れているので、相当な実力だったといえる。
当時、こういう求妻広告が一般的だったのかどうかはわからないが、関根金次郎八段は萬朝報の将棋欄の解説をしており、萬朝報読者にとっては知名度が高かったはずだ。
「係累」は、「心身の自由を束縛する、わずらわしい事柄。特に、妻子など面倒をみなければならない一族の者」のような意味。
「資産の有無」については、正しい意味はわからないが「資産の有無を問わず」ということだと思う。
この広告が、関根金次郎十三世名人の結婚に結びついたかどうかは不明。
ちなみにWikipediaによると関根金次郎13世名人は4月23日生まれ。旧暦かもしれないので何ともいえないが、新暦の4月23日生まれは、年齢順で、高橋道雄九段、船戸陽子女流二段、渡辺明竜王、熊倉紫野女流初段と、極めて豪華な4月23日。