1997年7月の村山聖八段

1998年8月8日は、村山聖九段が急逝した日。

近代将棋1997年10月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

村山九段が亡くなる1年前の7月に行われた対局の様子…

深夜、B級1組順位戦の丸山-村山を見に行く。

もう終わっているだろうな、と思った。村山さんは6月に膀胱ガンの大手術をした。あれから1ヵ月もたっていないのだ。幸い、手術は成功したが、体のことを考えれば夕休前に終わっていてもおかしくはない。だから私は棋譜だけ並べて帰るつもりだった。

控室に入ったのは午前零時過ぎ。ところがまだやっていたのである。それどころか、テレビを見ると、これからやっと終盤という局面だ。驚いた。そして胸が熱くなった。

すごみのある終盤戦だった。若い二人は死力を尽くして戦った。173手。終局は午前1時43分。この終盤戦については「NHK将棋講座9月号」に書いた。

対局が終わると、村山さんはすぐに自室に引き上げた。逆転負けだったから私は声をかけることもできない。しばらくして宿泊室から女性が出てきた。看護婦さんで、広島の病院から村山さんに同行してきたんだそうだ。

「手術は成功だったんですよね」。わかりきったことを、あえて聞く。

「ええ、成功だったんですけど、でも対局できる体ではないんです」

「そうすると病院は、きょうの対局は……」

「もちろん猛反対したんです」

本局の四日後、私は棋王戦の村山-脇を観戦した。共同通信社からは8月上旬と聞いていた。それを村山さんが急きょ2週間も早めたのだ。申し出をしたのは対丸山戦が終わった日である。

彼には腎臓が一つしか残っていない。ガンが再発する恐れもある。だが村山さんは私に「抗ガン剤は打たないことにしました」と言った。休場したら将棋は指せない。盤の前で将棋を指し続けることを、彼は選択したのである。