LPSAが芝浦へ移転するという発表があった。→協会移転のお知らせ
これまでの駒込は情緒のある街だったが、芝浦となると雰囲気が一変して、オフィス、倉庫、工場、運河が多い一帯となる。
[芝浦の歴史]
江戸時代、芝浦は干潟であり、まだその土地すらなかった。
明治5年に新橋~横浜間に鉄道が開通すると、芝近辺(現在の田町駅近辺)は、旅館や魚問屋から転業した活魚料理の料亭・茶店が軒を連ね、行楽地、花街として賑わっていく。
そして、明治後半から大正中期にかけて東京湾の埋め立てが進み、現在の芝浦が形として出来上がった。(地図で見ると芝浦2丁目や3丁目は、佃島と同様、島のようになっている)
関東大震災後の復興などの関係で、芝浦には資材運送や各種の産業が増えていった。
戦後は花街が衰退し、港湾産業の街へと性格を変えていく。
その後、東京湾の近代化・機械化により、港町としての機能も弱くなり、現在では、オフィス街としての傾向を急速に強めている。
[ジュリアナ東京]
芝浦というと思い出すのが、一世を風靡したディスコ「ジュリアナ東京」。
古語を連発すれば、ウォーターフロントの倉庫街に、六大商社の一つであった日商岩井とイギリスのレジャー会社の共同出資により、1991年にオープンされたディスコが「ジュリアナ東京」だった。
ワンレン・ボディコンの女性が集まり、大人気となり、1994年には閉店してしまうが、その話題性は社会現象にまでなった。
私は女性は大好きだが、ワンレン・ボディコン・ジュリアナ扇子が好みではなかったので、ジュリアナ東京へは一度も行っていない。
しかし、LPSAで著名入りジュリアナ扇子を発売するようなことがあったら、話のタネに1本買ってみようかという気になるかもしれない。
[西部警察]
もうひとつ、芝浦というと思い出すのが、テレビ朝日系テレビドラマの「西部警察」。
犯人との銃撃シーンや様々な爆破シーンは、芝浦や品川埠頭でロケされることが多かった。
YouTubeのPARTⅡオープニングの、パトカーが運河をダイビングするシーンは明らかに30年前の芝浦だ。
YouTube: 西部警察PARTⅡ、PARTⅢオープニング
西部警察は、石原プロモーションが制作、自動車メーカー1社がスポンサーだった。
刑事が乗る車やパトカーはスポンサー社製、犯人の乗る車はライバル社製と、細かい配慮もなされていた。
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石原プロモーションの名物男というと、小林正彦専務。
日活時代以来、石原裕次郎と石原プロを陰から支え続けてきた大番頭で、清水の次郎長一家の大番頭だった「小政」にちなんで、業界内では「コマサ」と呼ばれている。
コテコテの映画人であり、様々な面での功績が大きい。
その小林正彦専務が仕切っているものの一つに、石原軍団恒例の「炊き出し」がある。
出演者とスタッフが「同じ釜の飯」を食べて結束を強めるのが目的で、 イベントなどではファンにも振舞われる。
小林専務が自ら調理して所属俳優が料理を配るのも人気で、カレー、赤飯、豚汁、焼きそば、おでん、おはぎ、雑煮など種類も豊富。
石原プロは「炊き出し」のために、10トントラックに、3000人分の炊飯ができる炊事器、巨大な釜や流し台などの機材一式を積み込んでいる。
1995年の阪神・淡路大震災の時には、石原プロ社長の渡哲也と渡瀬恒彦が焼きそばの炊き出しを行っている。
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石原軍団の「炊き出し」の事例を見てみたい。
(1)神奈川県真鶴町での炊き出し
真鶴半島の公園に2500人の市民を招待。費用は総額1,000万円ほどで、3500人分の食材を用意。
→ 上戸彩も参加!「石原軍団」が恒例炊き出し
(2)テレビ朝日系ドラマ」「弟」撮影終了日の炊き出し
スタッフ80名前後に対して、
ステーキ用松坂肉60kg(一人平均750g)
付け合せの、じゃがいも50個、玉ねぎ30個、人参40本。
サラダ用のキュウリ30本、レタス20玉。
味噌汁用アサリ20kg。
漬物大量。
ぜんざい用小豆4升。
自戦記→テレビ朝日秋のスペシャルドラマ「弟」
(3)テレビ朝日系ドラマ「おいしいごはん」撮影終了日の炊き出し
ロケ現場近くの逗子マリーナでの打ち上げ。
出演者やスタッフ、記者ら約200人が集まった現場では、サンマやサザエ、焼きそば、牛ステーキなどが調理された。
観戦記→石原軍団の「炊き出し」を体験
(4)浜崎あゆみ編
→あゆ、舘と11年ぶりの再会 石原軍団の炊き出しに舌鼓
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話がずれてしまったが、明日の「LPSAが芝浦へ移転(後編)」へとつづく。