「あ、どうも。佐藤です」

佐藤康光九段が放った奇手。

近代将棋2004年5月号、スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。

「あ、どうも。佐藤です」

 受話器から聞こえてきた声は、まぎれもなく佐藤康光棋聖である。

「アドウモサトウデス」というわずか9音の中に、1秒間に1億と3手読むという佐藤康光棋聖の厳密な読みの裏づけをオイラは感じ取っていた。ああ、天才は天才を知るのである。

 佐藤康光棋聖とオイラという天才同士の会話になると、この9音を聞いただけで次のようなことがパッと分かってしまうのである。

  1. 電話の声は佐藤康光棋聖である。
  2. 「あ、どうも」という穏やかな口調と間の取り方は友好を求めているものである。
  3. 続く「佐藤です」というイントネーションからは、仕事上の「佐藤です」ではありませんよ、あくまでプライベートの「佐藤です」というニュアンスがはっきりと分かる。季節柄、そろそろ暖かくなってきたことでもあるし、99パーセントはゴルフの誘いで間違いないであろう。
  4. しかし、イントネーションの中に春らしい幸せな感じも微妙に感じられたので、1パーセントは矢田亜希子さん、松浦亜弥さんとの合コンの誘いかもしれぬ…。

 瞬時にそれだけのことを了解しあうと、後は確認作業である。佐藤棋聖は、「2月9日にゴルフをすることになったんですけれど、スカさんのご予定はいかがですか。(中略)」と優しい言葉をかけてくれたのであった。

(中略)

「いいですね。行きましょうゴルフ」とオイラは答えたのであった。

 しかし、このときのオイラは、佐藤康光棋聖のアリバイ工作のダシに使われていることに、全くもって気が付かなかったのである…。

 9日、佐藤康光棋聖の悪巧みを知らずに、ゴルフに集まったのは、飯野健二七段、久保利明八段、そしてオイラの4人であった。

(中略)

 セミプロ級の腕前の飯野健二七段、このところ急成長を遂げてドラコンの鬼と化している久保利明八段、これにゴルフ好き好き人間の佐藤康光棋聖が快調にコースを進んでいく中、超初心者のくせに「実戦ラウンドが練習」とゴルフをなめきっているオイラはというと、当然のようにコースをジグザグに刻みつつ匍匐前進のようなゴルフを展開し、終わってみればスコアは140。いつもながらボウリングのようなスコアでホールアウトしたオイラだが、今回はそんなことはどうでもいいのだ。

 これからオイラは、佐藤康光棋聖が仕組んでいた悪巧みを読者の皆様にお伝えしなければならないのである。

 ゴルフの後は2次会と称して佐藤康光棋聖の自宅近くの蕎麦屋でビールを飲み、さらに3次会と称して近くの麻雀荘で麻雀になった。このころから佐藤康光棋聖の携帯電話に頻繁に電話が掛かり始め、なにやら忙しそうだなあと思って見ていると、「皆さんすみません。途中で申し訳ないのですが、事情があってお先に失礼いたします」と告げると、棋聖はそそくさと麻雀荘を後にしたのであった。

 いかにも怪しい行動であったが、その時は麻雀に夢中になっていたこともあり、「忙しいのね~」くらいにしか思っていなかった。

 ああ、今から思えば、ゴルフを誘われたときに電話の口調からオイラが感じた1パーセントの春らしい幸せの予感。あれが曲者だったのだ。

 その日、麻雀を終えて自宅に帰ったのは午前1時くらいだっただろうか。

(中略)

朝一番でインターネットのニュースをチェックしたオイラは飛び上がりそうになりましたね、ほんと。

 そこには「佐藤康光棋聖が婚約」とあったからなのだ。

「ええーっ!」である。

 佐藤康光棋聖は9日、我々とゴルフをしているちょうどその時に、大谷紘子さんとの婚約を発表していたのであった。しかも、一緒にプレーしていたオイラたちには婚約の「こ」の字も口に漏らさずに、何食わぬ顔で平然とプレーしていたのである。

 ここで振り返っておくと、佐藤康光棋聖からの電話で感じた1パーセントの春らしい幸せの予感には、この日に婚約発表をすることを前提に、なおかつゴルフをするというアリバイを作ってマスコミ各社からの追撃を振り切ろうとする悪巧みが潜んでいたことが判明するわけなのだ。

 つまり我々は、今から思えば佐藤康光棋聖の婚約発表とんずら工作のためにゴルフをしたのだ。味噌汁でいえば昆布や煮干のように「ダシ」として使われたのである。

 後日、久保利明八段は佐藤康光棋聖にこうつぶやいたという。

「ずいぶん冷たいじゃないですか」

 それはそうである。

 後日、オイラも祝福半分、当日教えてくれないなんて冷たいじゃないですか的口調半分で「おめでとうございます」としらじらしく言うと、佐藤康光棋聖はくすくすと幸せそうな笑顔を作りながら、「いや、その…」と言い訳にならない言い訳をもごもごと口の中でつぶやいたのだった。

 毎秒1億と3手も読むことができる佐藤康光棋聖ではあるが、天才としては今回の件は読みが甘いとしか言いようがないのである。

 祝福の後「スカさん、あんまり書かないでくださいよ~」と泣きを入れてきたのだが、こーんな面白い話書くに決まってるでしょ。

(中略)

しかも、佐藤康光棋聖は紘子さんから「みっくん」と呼ばれているらしい。これから、佐藤康光棋聖は将棋ファンから「みっくん」と呼ばれてしまうかもしれないにゃ~。くふふ。

 とまあここまできて「へへっ、書いちゃったもん、みっくん」といい気になりかけていたオイラは、やはり佐藤康光棋聖(みっくん)の策略にまたまたはまってしまったような気がしているのである。

「あんまり書かないでくださいよ~」と佐藤康光棋聖が言った「アンマリカカナイデクダサイヨ~」というデレデレの14音をもう一度頭の中でよみがえらせ分析してみたのである。そこには次のようなニュアンスが秘められていたのであった。

  1. 幸せです。
  2. 世界中で一番幸せです。
  3. あんまり書かれると照れてしまうので書かないでくださいとは一応言いますが、銀河の中で僕が一番幸せですから本当は書いてもらって構いません。
  4. スカさんは本当にゴルフが下手ですね。この調子じゃゴルフを始めたばかりの僕の紘子タンにすぐ抜かれてしまいますよ。
  5. 宇宙で一番幸せです。

 ああ、こうしてまたまたオイラは佐藤康光棋聖(みっくん)の策略にはまって、実はこの原稿を書かされてしまっているのかもしれません。でも、みっくん幸せそうだからいいか。また昆布や煮干として、だしに使ってやってください。

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”康光”なので通常なら「やっくん」になるのだろうが「みっくん」。

私の名前は「みち」で始まるのだが、女性から「みっくん」と呼ばれたことが一度もない…

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週刊将棋2005年新年号用の元原稿を懐かしむバトルさんのブログの似顔絵第3弾は佐藤康光九段。

前年結婚した佐藤九段がデレデレしている顔。

コピーは、細本数子(細木数子さんのバッタモン)が、その棋士の2005年を予言するという設定で作られている。

ほっぺた赤き佐藤康光。