羽生名人の「かえって話が早かったですね」

羽生七冠が誕生したのは1996年2月14日、王将戦第4局(羽生善治六冠○-谷川浩司王将●)。

その2週間前の王将戦第3局打ち上げでの出来事。

羽生七冠誕生の直後の1996年3月に発行された田中寅彦九段の「羽生善治 神様が愛した青年」より。

 第三戦の鳥羽の夜のふたりが今回の王将戦の両雄をよく物語っていた。タイトル戦では恒例となっている終局後の慰労会では、立会いや関係者を間に両脇に座ったこの日の主賓ふたりは別々に杯を酌み交わしていた。

 昨年の王将戦もそうだったが、羽生、谷川、この宿命のライバルはほとんど会話を交わすことはない。対局中はもちろん、対局前も「おはようございます」「よろしくお願いします」といった簡単な挨拶程度以外はひと言も口をきかなければ、握手もない。局後の感想戦でも、必要最小限の会話をやり取りするだけである。

 慰労会が終わった後、羽生、谷川、ふたりの主役と話をする機会があった。現在のふたりと忌憚のない会話ができる棋士は、おそらく私だけである。その田中寅彦が見たふたりとは。

 年齢的には若いが、プロデビューが早く、旧人類棋士最後の世代に位置する谷川は、羽生世代に比べるとオジサン棋士たちとの酒や遊びへの誘いも気軽に応じる。といっても、深酒をしたり、率先して遊びにのめりこむタイプではない。そこそこに切り上げる節操のよさが谷川の人間性の長所のひとつである。

 だが、第三局の敗戦の夜。棋士や関係者を交えた酒席で、谷川はしたたかに酔った。私や米長さんが辞した後も居残り、深夜2時までひたすらアルコールを五臓六腑に流し込んでいたらしい。谷川の真っ赤な顔がやけに印象に残っている。適度な酒量で席を立つ日頃の谷川をよく知っているだけに、彼の心中をいやでも察しないわけにはいかなかった。

 対して羽生は、同じ夜、いつも通りの切り替えの速さで私との雑談をやり過ごした。真剣な話題を振れば真剣な答えが、冗談めかして柔らかい質問を投げかければ、私の調子に合った当意即妙の答えが返ってくる。たとえば、こんなやり取りがあった(ごめんなさい。ここまで暴露しちゃって)。

「こんなに忙しい毎日なのに、フィアンセとはいつデートしてたの。外で会うと目立つだろうし」

 と、まじめな話題から一転して芸能レポーターよろしくおふざけモードで突っ込んだ私。羽生くんは、少しも動じず返す。

「ええ、目立つから密室にいなければならないでしょう。人に見られちゃまずいので、かえって話が早かったですね」

 何が早かったんだろう、なんて下衆の勘繰りはさて置いて、ちょっとした会話の端々からも彼のチャンネルの切り替えの速さをしみじみと感じないわけにはいかなかった。

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たしかに話は早くなると思う。