今日から開始される名人戦第6局の立会人は島朗九段。
将棋世界1998年9月号、「佐藤康光新名人誕生記念 対談 島朗八段&佐藤康光名人」より。島朗八段と佐藤康光名人が語る伝説の「島研」。
島 室岡さんとは随分昔から研究会をやられていると聞いていますが。
佐藤 一番最初は奨励会に入って間もないころで、10人から20人が月に1回くらい集まって、会費制で勝者総取りというのがありましてそれが室岡研の前身なんです。羽生さん、先崎さん、森内さんも参加していて…。
島 将棋界では私が主催していた「島研」のことをいろいろ宣伝して頂いた時があり名前が知られていますが、実際のところは佐藤さんにしても羽生さん森内さんにしても、島研だけでなく他にもいろいろ研究会をやっていたはずだから別に島研だけではないわけですよね(笑)。佐藤名人は影響としては私よりはるかに室岡さんの方が強いと思うんですよね。
佐藤 室岡先生と島先生には奨励会時代から本当に影響を受けましたね。
(中略)
-島さんが初めて佐藤さんに出会われたのはいつ頃ですか?
島 二段か三段の頃だと思うんですけど、正直に言って実は最初の出会いをよく覚えてないんですよ。
佐藤 たぶん森内さんにこういう研究会があるよって誘われて島先生のマンションに行ったのが最初ですね。僕と森内さんが二段の時で島先生が六段の時でしたか。
島 私の場合、高柳門下で兄弟子が多くて、年下の子と付き合うことが少なかったので、非常に新鮮な気持ちがありました。それ以来後輩の方との付き合いが盛んになってきました。やっぱりみんな奨励会の時から粒ぞろいでしたからね。だから佐藤、羽生、森内、郷田の年代って揃っているじゃないですか。だから私たちの時の二、三段と比べたら全然レベルが違うと思いますよ。
佐藤 私も先輩のことはちょっとわからないですけど、今の四段は僕が四段の時より強いと思いますけどね。将棋がしっかりしてるというか。ただやはり僕らの年代には羽生さんというすごい人がいましたので、やっぱり(笑)。最初は3人で、1人記録係で勝ち抜き戦みたいな感じだったんです。僕と森内さんが四段になってから羽生さんが入られて。…島先生に気を遣って頂いたんです。同期ですからやっぱり奨励会と棋士だと、なんて言うんですか多少感じるところが違いますからね。そういうところで気を遣って頂いて。
島 いえいえとんでもないです。ただ、まだいろいろ試行錯誤の段階でしたね。僕も六段になっていましたが棋士になると記録はなかなか採らないじゃないですか。島研は負けた人が記録を採るんですが、その点は公平なんですよ。でも罰金制にしたのでお金をかなり貯めましてね。
佐藤 相当きつい罰金でしたよ。研究会での罰金を払うのと別に、公式戦の罰金がきついんですよ。たしかその月に負け越すと、段位×敗局数×千円、だから僕が四段の時、1勝4敗で3局負け越すと一万二千円…。
島 まあ佐藤さんはそんなことなかったですけど。
佐藤 いや僕は結構連勝連敗タイプだったので。でも島先生がタイトル取られて一万円にしたんですよね。
島 私は月に五万円払った記憶がありますよ。
佐藤 はははは(笑)。島研が解散した時はかなり貯まってましたね。
島 そのうち研究会をやってるのか会費を集めているのかわかんなくなったですね。
佐藤 貯まったお金をとることが出来るんですけど、その昇級規程がめちゃくちゃだったんですよ。たしか19勝1敗で今の郷田さんみたいで(笑)。
島 最初はたしか13勝1敗とか15勝1敗の規程だったけど、羽生さんがそれに近づいていったんだよね。
佐藤 羽生さんが一時12勝1敗までいって…。
島 昇級の一番が近づいていって、4人で合議制によって昇級規程を変えようということになって(笑)。それを聞いた羽生さんは何かを悟ったような顔をして「わかりました」って言われてたけど(笑)。3人とも恐ろしい勢いで棋界の中心人物になったし、私も勉強になることが多かったし、客観的にみて得ることが多かったです。
佐藤 そんなことないです。
島 私にとって20代の真ん中で、佐藤さんたちにとっては青春と呼ぶには早いけど、一時期濃密な時間を共有したという感覚がありますね。ただまた4人で会う機会があっても、それはまたちょっと違うと思うんですね。今のメンバーもまた10年後は考え方も変わってるだろうし…。実際、佐藤さんが名人になっても佐藤・羽生・森内といろんなライバル関係がずっと続いていくわけだから、そうした点では常にみんな変化してるってことですね。
(以下略)
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今の時代に同じメンバーで「島研」が復活したらどうなるのだろう。
仲は悪くなく、お互い尊重しあっていても、島八段が述べているように、同じような関係にはならない、戻れない、ということかもしれない。
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一般的な例え話で、1990年、一緒に住んでいたその頃20歳の女性。
またヨリを戻して一緒に住んだとしても、元と同じような雰囲気には戻れないことが多い。
状況は異なるが、歴史の経過によるお互いの変化の結果ということになる。
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作家の故・原田康子さんが書いた観戦記「王座戦第4局 谷川浩司竜王 対 羽生善治王座」(1998年)は第11回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門部門賞(現在の大賞)を受賞している。
情景描写、棋士の描き方が印象的で、情感がこもる文章。酔っ払って読んでいるうちに涙が出てくることもある。
その中の最も圧巻な表現。
盤側につくのは二度目になる。十年も前の王位戦で専門誌に盤側記を書くため、二日にわたって盤側で観戦した。(中略) このときの対局者のひとりが谷川浩司であった。
あれから十年。私が古稀(こき)をむかえたごとく、谷川の上にも十年の歳月が流れた。それは大震災に遇い、一時は無冠にもなった歳月である。谷川の前に常に立ちふさがっていたのが、羽生善治であったろう。
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当時の将棋ペンクラブ大賞最終選考委員の常盤新平さんの評。
やるせないところがいいじゃないですか(笑)。「あれから十年。私が古稀(こき)をむかえたごとく、谷川の上にも十年の歳月が流れた」なんて、いいじゃないですか。
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「やるせない」、秀逸な表現だ。