今日は、タイトル戦と血液型について考えてみたい。
森内九段が名人を獲得して、タイトル戦地図は次のようになった(敬称略)。
竜王 渡辺明(O型)
名人 森内俊之(O型)
王座・棋聖 羽生善治(AB型)
棋王・王将 久保利明(O型)
王位 広瀬章人(A型)
棋戦別での2000年以降のタイトル保持者血液型分布は次の通り。
竜王戦 O型9 AB型2
名人戦 O型6 AB型4 A型2
王位戦 O型5 AB型5 A型1
王座戦 AB型11
棋王戦 O型7 AB型3 A型1
王将戦 O型4 AB型7
棋聖戦 O型7 AB型4
AB型は羽生二冠とイコールとなる。
2000年以降のタイトル戦で、羽生二冠とO型棋士(森内名人、久保二冠、渡辺竜王、谷川九段、佐藤九段、藤井九段、郷田九段、深浦九段)がいかに活躍していたかがわかる。
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大山康晴十五世名人(B型)の時代は、A型棋士(升田幸三実力制第四代名人、二上達也九段、加藤一二三九段、有吉道夫九段、内藤國雄九段)との対抗形だった。
大山・中原時代は、B型同士の対抗形。
中原・米長時代は、B型とAB型の対抗形。
その後のタイトル保持者を見ても、高橋道雄九段、福崎文吾九段、南芳一九段、丸山忠久九段、三浦弘行八段がA型、森けい二九段、田中寅彦九段、島明九段、中村修九段、塚田泰明九段、屋敷伸之九段がB型と、1990年代中盤までは、O型棋士でタイトルを獲得したのは谷川浩司九段だけという状況だった。
O型棋士の台頭は、1990年代から始まり現在に至る。
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田中寅彦九段(B型)は、1996年にこのことを予測していた。
田中寅彦九段の1996年の著書「羽生必敗の法則」より。
さて、実はこの3人(谷川・佐藤・森内)は、あるデータ上での共通項がある。それは、みな血液型がO型なのである。面白いデータであるが、将棋界はAB型の羽生に、若いO型の棋士がからんでいく展開になっているのである。
実際、左のデータを見ていただくと羽生の血液型別の相性がわかる。羽生自身は、A型の棋士を相手にすると、実に勝率は8割を超え、圧倒的な強さを誇るのだ。それにくらべて、他の血液型の棋士の場合は7割台前半。
さらに、このデータを羽生と10戦以上対戦している棋士に限ると、傾向が顕著になる。羽生は明らかにO型の棋士を苦手にしている。A型の棋士は有吉九段、内藤九段、高橋九段などが、羽生に分が悪く、加藤九段だけが抵抗する形。その一方で、O型の棋士は佐藤ら3人を含め谷川もおり、勝率は6割スレスレとなる。
(中略)
したがって、ひとくくりにはできないが、「O型の棋士は羽生に相性が良い」と位置づけてよいと思われる。
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羽生二冠の、タイトル戦で敗れたケースを全て抽出してみた。
竜王戦
2010 渡辺 明 4-2 羽生善治
2008 渡辺 明 4-3 羽生善治
2003 森内俊之 4-0 羽生善治
2000 藤井 猛 4-3 羽生善治
1996 谷川浩司 4-1 羽生善治
1993 佐藤康光 4-2 羽生善治
1990 谷川浩司 4-1 羽生善治
名人戦
2011 森内俊之 4-3 羽生善治
2005 森内俊之 4-3 羽生善治
2004 森内俊之 4-2 羽生善治
1997 谷川浩司 4-2 羽生善治
王位戦
2008 深浦康市 4-3 羽生善治
2007 深浦康市 4-3 羽生善治
2003 谷川浩司 4-1 羽生善治
2002 谷川浩司 4-1 羽生善治
棋王戦
2007 佐藤康光 3-2 羽生善治
2005 森内俊之 3-1 羽生善治
2002 丸山忠久 3-2 羽生善治
王将戦
2009 久保利明 4-2 羽生善治
2003 森内俊之 4-2 羽生善治
2001 佐藤康光 4-2 羽生善治
1994 谷川浩司 4-3 羽生善治
棋聖戦
2005 佐藤康光 3-2 羽生善治
2001 郷田真隆 3-2 羽生善治
1996 三浦弘行 3-2 羽生善治
1996年の三浦八段と2002年の丸山九段の2回を除いて、羽生二冠がタイトル戦で敗れた棋士の血液型は全てO型。
歴史的に見て、1990年代以降のO型棋士の急激な台頭は明らかだ。
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羽生二冠が広瀬王位に挑戦する王位戦。
1997年以降、羽生名人が名人と王位の両方同時に就いていた年度はなかったが、名人と王位のどちらか一つだけは必ず保持していた。
また、広瀬王位はA型。
広瀬王位にとっては試練の防衛戦となることが予想される。
広瀬王位が過去からの傾向を打ち破るのか、あるいは羽生二冠が勢いに乗るのか、今期の王位戦は興味が尽きない。