将棋世界1998年12月号、「棋士達の背景 丸山忠久八段」より。
対局中、着手する時に駒音を立てない。普段も口数が少なく、ニコニコ笑っている印象が強い。というわけで、日本シリーズでの流派名は”音無し流”。今回の主役は、その丸山忠久八段である。
(中略)
しかし、プライベートな面は謎に包まれている。今回も「インタビューはなしなら」という条件つきでの登場だ。(ちなみに、嫌なことはなるべくやらない、がストレス解消法と将棋年鑑にある)
露出することを嫌うところもあるのだろうが、自分の意図が正確に伝わらない恐れも感じているようだ。
自分の指した手は、一切の虚飾を排して棋譜の形で残る。それで十分と考えているのかもしれない。
最近、初めて上梓した「ライバルを倒す一手」は、実戦次の一手集だが、自分の着手が最善手ではないかもしれない、と断っている。
こういう部分も、丸山流の誠実さの表れだろう。
確固たる芯のようなものをオブラートで包んでいる棋士、という気がしてならないが、やっぱり本当のところは謎である。
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このように謎に包まれた丸山忠久九段の会話が文字になることは極めて少ない。
ところが、丸山九段の肉声が随所に描かれている観戦記がある。
2008年将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞した小暮克洋さんの観戦記、「第55期王座戦2次予選決勝 木村ー基八段-丸山忠久九段戦」。(日本経済新聞2007年5月10日から掲載)
丸山九段の言葉、丸山・木村という兄弟弟子の幼い頃のエピソード、棋風の対比、こう指したらどうするんだろうという読者の疑問に応える痒いところに手が届く指し手の解説、などが見事に盛り込まれた素晴らしい観戦記だ。
全てを紹介したいような観戦記だが、丸山九段の言葉を中心に抜粋してみたい。
名人二期、A級在位八期の丸山と、晴れてAクラス入りを果たした木村が、本戦入りの最後の枠を争った。対局日は三月二十九日で、木村が執念の頑張りを見せたB級1組最終日の激闘の余韻が、まだ残っていた。三週間後の竜王戦でも同一のカードが組まれており、「右のほおを打たれたら左のほおも打たれる傾向にある」木村にとって真価が問われる一番でもあった。
(中略)
丸山と木村は佐瀬勇次名誉九段門下の兄弟弟子。丸山が、四段昇段では七年先輩に当たる。二人の出会いは丸山・中一、木村・小四の夏休み。千葉県のデパートで催された将棋祭りの会場で師匠に引き合わされ、あいさつ代わりに「では一局」と相成った。
当時、木村はすでにアマ四段の実力があり、「四街道の神童」ともてはやされていた。ところが「木更津の天才」の早見えの才はその上を行った。ソフトクリームをペロペロなめながら、のほほんと繰り出す冷徹な指し手の前に神童の鼻っ柱はへし折られた。翌年、中学生名人に輝いた丸山は研修会をへて奨励会に入会。その一年後に、木村は奨励会試験に合格した。
(中略)
5五歩が失着。6五歩、同銀には5五角の一手と思い込み、それなら9二飛、6六歩に5四銀でまあまあと考えていた丸山だったが、すぐに6六歩で困った。5四銀、5五歩に4五銀と出るのは同銀、同歩、3七角となり、3六銀には2六角がピッタリで絶望的。本譜6三銀の辛抱は仕方ないが、司令塔の銀が後手を引きながら後退せざるをえないようでは、何をやっているのかわからなかった。
「いやあ、ひどい見落としだった。おまけに6六歩と打たれた瞬間、確かこの変化が『羽生の頭脳』に載っていたことを思い出してガッカリ。オレはダメだと思いました(笑)」(丸山)
(中略)
丸山が局後「急所に垂れ歩が残っていて、めまいがした」と嘆いた図の局面。ころはよし。5四の歩を奇貨として、テンポよく攻めを継続するにはどう口火を切ったらよいか。先手にとっては腕の見せどころだ。
(中略)
粘り強さには定評のある両者だが、将棋のつくりはずいぶん違う。積極的に前に出ては無理な動きをとがめ、力強い受けで有利を確保するのが得意な木村。丸山は無理のない駒運びで戦機をうかがい、効率のよい攻めでリードを図るのが持ち味だ。攻めても受けてもごつい木村。丸山の指し手は弾力性に富んでいる。
図式的に表わすなら木村が剛で丸山が柔。根性や執念といった勝負師的泥臭さも木村将棋を語るには不可欠だが、丸山将棋には本質的な要素ではないように思われる。丸山について木村は「序盤に時間を使わないタイプだが中盤が強い。中盤で読み負けることはほとんどないのでは」と言う。
(中略)
時刻は午後十時を回った。残り時間は木村が二十四分、丸山二分。丸山が「五十五秒」まで読まれて慌てて着手した6五歩に、さあ木村がどう応じるか。局面はいよいよ大詰めを迎えた。
控室の若手検討陣からは、図では4八桂で先手の勝ち筋という声が上がっていた。4七金は3六桂で玉を押し戻せるし、3五金は2四飛で3七香が残る。
ところが木村が指したのは、予想外の5七角。意外な着手だったが、検討が進むにつれ次第にこの手が絶妙手であることがわかってきた。ちなみに有力と見られた4八桂は、3五金、2四飛に1五銀が強手で先手難局と判明。3五角~3七香で玉を追い落としても、この場合は後手玉が広い。
5七角は、後手陣の玉と飛車の位置関係が最悪なのをついて、次に6五歩で角交換を挑むのが狙い。5六歩、同金、5五歩には、そこでも6五歩がすこぶる気持ちのいい一着になる。対して5六歩なら8四角~6二角だし、7五歩なら6六角。7五銀なら6六金だ。
4七金、1三角成と進んだ本譜は、次に3六桂が厳しい。
(中略)
この将棋を並べた行方尚史八段は、木村の5七角について「時間に追われながら、この手に目がいくのはさすがです。焦らされている場面で、逆に焦らすのは非常に高度なテクニック」と絶賛した。
(中略)
感想戦は中終盤を中心に三十分余り。悔しい敗戦直後だったにもかかわらず、明るい笑顔でよくしゃべる丸山の姿が印象的だった。
「いやあ、5五歩に6五歩突かれたときは、待ったするか家に帰るか、どっちかさせてほしいと思ったよ」「3三同金で同玉と取るのは、歩の数が足りなくてやんなちゃった」「一発食いそうな気配はあるけど大変だと思っていたら、こっちの大変さが増していたね」等々。丸山が木村に心を許しているのが、よくわかった。
木村の感想は「敵陣を破ったのにピッタリした手がなくて正直、焦っていたとき、混乱狙いの5七角を発見できたのが大きかった」。本戦一回戦の谷川戦への抱負は「去年は佐藤二冠に負けて悔しい思いをしたので、今回は谷川さんに勝って、さらに佐藤さんにも勝ちたい」だった。木村は三週間後の竜王戦でも、丸山に勝利。右ほほも左ほほも、はらさずにすんだ。
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小暮さんは将棋ペンクラブ会報2008年秋号で、
(前略)
受賞作は予選段階の一局を淡々と紹介したもので、作品としてはかなりアッサリした仕上がりかと思います。田辺忠幸さんがご存命であれば「この人はいつもこのくらいのは書いている」と、ありがたいようなありがたくないような愛のムチがとんでいたかもしれません。しいていうなら、無口なイメージが強い丸山さんのセリフを、過不足なく拾い上げることができた点を評価していただいたということでしょうか。対戦相手の木村さんや解説役の行方さんとはこの将棋の取材と称して居酒屋10軒くらいは飲み歩いたはずですが、丸山さんとはコーヒー1杯も飲んでいません。深入りしなかった分、かえって丸山さんの健康的な明るさを描ききれたのだとすれば幸運です。
(以下略)
と書かれている。
私もこの観戦記を初めて読んだ時、丸山九段がこのようなことを話すのか、と非常に驚いた記憶がある。
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1990年の将棋マガジンに、新四段紹介ということで、丸山新四段の写真が掲載されている。
笑顔でVサイン!
ちなみに、同じタイミングで新四段になった郷田新四段の写真も載っている。
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丸山八段(当時)が、自分の着手が最善手ではないかもしれない、と断っている実戦次の一手集「ライバルを倒す一手」は、次の一手問題集というよりは、丸山将棋読本という位置付けのようだ。
ライバルを倒す一手―勝つためのテクニックを磨く!堅実無比、丸山流勝負術 (PERFECT SERIES) 価格:¥ 1,260(税込) 発売日:1998-10 |