団鬼六さんを偲びつつ。
将棋ペンクラブ会報2009年春号、団鬼六さんと木村晋介弁護士の対談より抜粋。
木村 大山・升田時代と今では大分違いますか。
団 違いますね。僕は大山・升田時代しか知りません。最近の棋士のことはあまりわかりません。僕にとっては大山・升田時代が一番良かったですね。横浜の頃、大山さんと一緒に鰻屋へ行くのですが、店の主人から、大山さんの好きな食べ物を聞いてくれと頼まれるんですね。それで食事の中で一番好きなものを聞いてみると、「僕ですか。食べるものならアンパンですよ」。たこ焼きやたい焼きも好きでした。そういうところが大山さんの大したところだと思います。
木村 大阪での修行時代に好きだったものですね。
団 奨励会の頃の行方(八段)や豊川(七段)とかをその鰻屋へ連れて行っていました。この間なんか、行方が大きな顔をして「ここは僕が勘定持ちますから」というのでアホと言ってやりました。
木村 美味しいとガツガツ食べているのを見るのがお好きなんですね。
団 そうですね。
木村 立川談春さんもそうですね。前座の頃ですか。
団 はい。飯を食わすと本当に喜んでいました。
木村 奨励会を可愛がるのと似ていますね。
団 お礼に何かやってくれと言うと笑い話をやってくれました。立川談志さんも将棋が好きで古典定跡をよく知っていました。
木村 談志さんは早指しで、相手を急かすみたいですね。二歩を打っても、お前も二歩やりゃあいいじゃないかって。
団 談志さんは30年前から僕のファンだったんです。人工透析もやめたほうがいいと言ってくれました。談志さんが立川流を作ったときに僕も入れられまして、立川鬼六という名前をもらいました。上納金を納めています。
木村 上納金を納めなくちゃいけないから談志さんの弟子はうまくなっているんですね。
団 1回納めると素人には請求してきませんが、本当の弟子からは取っていますね。
木村 立川志の輔さんが言っていましたが、「うちの師匠が上納金を取るのは洒落かなと思っていたら本当に取るから、これは積み立てておいて後で年金か何かで返してくれるんだろうと思っていたら、全然その気がない」。
団 弟子には厳しいですね。
木村 志の輔さんとは、25年前の全然彼が売れていない頃に、僕のところへ、落語の好きな女性に連れてこられて会ったのが最初です。その頃僕は、大沢悠里さんがやっているラジオ番組「ゆうゆうワイド」で大沢さんが半年休むということで、月曜日に7時間30分の生放送のキャスターをやっていたんですね。ちょうど良いので志の輔さんに、コーナーに出てくれと頼みました。彼は喜んで出てくれました。30分のコーナーで僕と対決するんですね。風呂に入るときは頭から洗うのがいいか足から洗うのがいいかとか、夏が好きか冬が好きかとかで30分対決するんです。お互いに全然打ち合わせなくです。志の輔さんはうまい話をして僕は負け続けです。半年の番組が終わった時、私はTBSから、はいサヨナラでしたが、志の輔さんは残ったんですね。それで認められるようになって文化放送のキャスターになるんですね。その人を認めて世に出す人がいるという図式です。団さんは、どなたに認められて世に出たんですか。
団 自然発生ですよ。誰も師匠はいません。オール読物で新人賞をとってから、いろいろな雑誌に書くようになりました。文藝春秋の担当者に作家になる素質があると言われたのが励みになりました。
木村 おだてた人が偉い。
団 僕は作家の才能もないと思っていたし、本も近松門左衛門しか読んだことがなかったし。作家の修行はしていません。でも、作家以外の商売は全部失敗しましたね。将棋雑誌でも株でも。原稿書くと儲かるのですが、それを株に使ってしまう。作家だけをやっていればいいのですが、人生楽しまなければなりませんから。
木村 団さんにとっては、人生というものは楽しんで狂えばいいわけですからね。
団 金が入ると悪銭が入ったように思えて、それで商品相場や株で勝負しようとするんです。それで駄目になる。
木村 だから将棋も強くなるんですね。僕は弁護士になろうと思って弁護士になって弁護士しかやっていないから、他で損をするという経験をしていませんからね。
団 2月4日の週刊朝日に林真理子さんとの対談が出ます。「私、皆からMと言われますが、SとM、どちらが美人が多いですか」と聞くので「Mはブスや」と言ったら、大声で笑っていました。その時も言ったのですが、書くと儲かる、でも他は全部失敗する、何でやろと。
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将棋界などには馴染まないが、弟子が師匠に上納金を収めるというのはある意味で合理的なシステムなのかもしれない。
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元・近代将棋編集長の中野隆義さんの話によると、大山康晴十五世名人は熟して黒ずんだバナナが好きだったとのこと。
確かに昔のバナナはそういうものが多かった。
タイトル戦の時など、千疋屋などで売っているような高級バナナが出てきても大山名人は手をつけずに黒ずんだバナナを所望したため、連盟職員は市中の八百屋を回って黒ずんだバナナを探し続けたという。
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