将棋マガジン1996年1月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。
福崎八段「ここで角を打ったらどうすんの」
A二段「ほっといても、歩ぅ打とうと思ってましたよ」
福崎「ほっといても!! 歩打つだけやったら納得するけど、ほっといてもやて!?」
タマ「ごっつい偉そうやなあ」
A二段「いや、あの、その・・・・・・」
平藤四段「棋士室に出入りしてたらみんな、そういう言い方するようになんねんなあ」
福崎「誰の影響やねん?」
平藤「神崎(六段)さんかぁ?」
A二段「はぁ(タジタジ)」
―数分後―
福崎「ここで、桂馬打つとどないするの」
A二段「それは、こうするんじゃないですか?」
タマ「おっ、今度は謙虚やなあ」
A二段「僕も、ボキャブラリーを一つふやしましたよ」
タマ「それを言わんかったらエエのに・・・・・・」
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「ほっといても」はよく出てきそうな言葉だ。
しかし、このような風景はいかにも関西風で面白い。
標準語にしてみると雰囲気が全く変わってしまう。
「ここで角を打ったらどうする?」
「ほっといても、歩打とうと思ってましたよ」
「ほっといても!! 歩を打つだけなら納得するけど、ほっといてもだと!?」
「ものすごく偉そうだよね」
「いや、あの、その・・・・・・」
「棋士室に出入りしてたらみんな、そういう言い方をするようになるのかな」
「誰の影響?」
「神崎さんか?」
「はぁ(タジタジ)」
標準語だと、文字面だけでは笑い話にならなくなる。
方言は文化だと本当に思う。
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ところで、ここで出てくるA二段は、現在の安用寺孝功六段。