三浦弘行八段の少年時代

将棋世界最新号の「棋士が聞くプロ対談」は三浦弘行八段と伊藤真吾四段。

とても面白い対談だった。

ところで今日は、1995年の三浦弘行五段(当時)インタビューから。

三浦弘行五段にとって初めての棋聖戦挑戦直前、この年は3連敗するが翌年再度挑戦して、羽生善治七冠から棋聖位を奪取する。

近代将棋1995年8月号、大矢順正さんの「棋界こぼれ話 若武者三浦弘行五段の素顔」より。

 羽生善治棋聖への挑戦者となった三浦弘行五段は、切れ長な目が鋭く、普段は寡黙で一見、ニヒルな若武者を彷彿させる。はやり研究会を拒否し勝負師は孤独であるべきを旨としているふしが伺える。異能棋士の一人で、その信条がタイトル戦の金的を得たのだろう。

 三浦は、一体どんな環境に育ったのか興味を持った。

 将棋年鑑には群馬県生まれと記されてきるが、これは母親の実家である。現在の生活拠点は、小学生まで育った埼玉県鴻巣市の郊外に住んでいる。

(中略)

 三浦が中学生になると、母親の真知子さんの実家のある群馬町に越したが、鴻巣の家はアパートに改築し、父親はそこから東京に勤務していた。

 三浦は、小学生時代は鴻巣に住んだわけだが、家の前にはこんもりとした小松原神社の森がある。

 その境内が三浦少年の遊び場であったという。

 が、三浦少年は友達と好んで一緒に遊ぶタイプではなかったという。どちらかというと家にこもってプラモデルや絵を書いていたらしい。

 オタク少年かといえば、そうでもない。師匠の西村一義八段は「最初のころは、よく冗談を言ったりよく話す子でした」と言っている。

「将棋を始めてから人が変わったようです。毎日が将棋三昧で独りで黙々と勉強している感じになりました」というのは母、真知子さん。

 三浦が四段になると東京に少しでも近い方を選んだのか、群馬の家から鴻巣の家に父と住む方が多くなった。

 その父がこの春、仙台市に転勤になったことで現在はアパート形式になった鴻巣の自宅で独り住まいしている。

 二階の六畳間にはパソコンがあり三浦の勉強部屋となっている。

 母、真知子さんは、学生時代は県大会にも出場経験のある卓球選手だ。

 三浦の小学生時代にはPTAの仲間と卓球同好会で楽しんでいた。その仲間との交流は今も続き、土曜、日曜には群馬の町から鴻巣に通って卓球練習している。

 その際に、群馬で採れた新鮮野菜を持参して三浦の一週間分の野菜料理を作り冷蔵庫に入れていく。

「対局の前日に、卓球仲間と家で宴会をして弘行に後で怒られたこともあるんですよ。対局前は神経質になっているんですね。棋士は・・・」と真知子さん。

 羽生棋聖に挑戦が決まって喜んだのは三浦弘行五段とお父さん、慌てたのは母・真知子さん。

 なにしろタイトル戦となれば、先ず和服を用意しなくてはならないからだ。

 そんなに時間がない。が、運良く卓球仲間に和服屋さんが居た。

「おめでたい話。ここは一つ頑張って間に合わせましょう」

 対局の一週間前に三着が三浦家に届いた。そこからがまた大変。着付けを自分で出来るまでの特訓は無理。試着はしたもののトイレのときはどうするのか、うまくできるのか心配。さすがに詳細は聞けなかったがスッタモンダのトイレ特訓をしたのではないかと推察する。

(以下略)

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三浦弘行八段は、現在は高崎(群馬町と合併)に住んで、研究会も行っている。

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それにしても、和服の準備およびメンテナンスはいろいろと大変だ。

Googleで検索してみると、男性が和服の場合のトイレでどうすれば良いのか解説をしているサイトがある。→キモノワフク:日常で着る男の和服

慣れれば問題はないのだろうが、慣れるまでが試練となりそうだ。

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一週間分の野菜料理、どのようなメニューなのか気になるところだ。

冷蔵庫で保存のきく野菜料理の例としては、

揚げびたし、マリネ、煮しめ、ポテトサラダなど。

個人的にはビシソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)もあると嬉しい。

あと、野菜料理ではないが、冷蔵庫で保存のきくカレーもあれば最高だ。

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11月のブログ記事「授業中に詰将棋解いていれば同じことですからね」(翌年の将棋世界での三浦五段インタビュー)に、

-対局の前日にお母様が家で宴会やって、それで三浦先生が怒られたって話を読みましたが。

「ああ、ありましたねえ(笑)。ちょっと怒った記憶はありますけど」

という箇所があるが、その元になったのが、この大矢さんの記事。

お母様の、このおおらかさがとても良い雰囲気だ。