演舞場の大山康晴十五世名人

今日は、本来であれば、橋本崇載五段(当時)の将棋ペンクラブ大賞受賞作(後編)の記事となる予定だったのですが、昨日飲み過ぎて寝てしまい何もできなかったので、準備してあった別の記事を。

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湯川恵子さんの「女の長考―将キチおばさん奮戦記 (週将ブックス)」より。

1982年の大山康晴十五世名人。

棋界の天皇陛下

 思わぬ所で思わぬ人に会った。

 先日、お姑様が都合で行かれなくなったからと、歌舞伎の切符を二枚下さったのである。新装なった新橋演舞場のこけら落としの舞台だそうで、普通じゃなかなか手に入らぬ切符だと言う。お食事、おみやげ付きだという。

 カブキは一度も見たことはないが、何かこう、やたらと大袈裟でしち面倒くさいものという感じ。いまどき、江戸褄を着ていくこともなかろうが、Gパンもまずそうな気がする。

 近頃私は将棋であちこち呼ばれるが、そんな時は臆面もなく和服着用と決め込んでいる。強さで呼ばれるわけじゃなかろうから、お金を下さる以上、それも仕事のうちと思っている。私はGパンと和服の中間の、スカートが、現在一枚もないのである。

 スカートは足が見えるから、恥ずかしい。

 一銭にもならないのにわざわざ着替えるなんて、面倒くさい。

「あなただって文章書いてんでしょ。たまには将棋なんか忘れて、話のネタ、ネタ」

 ハッパかけられて、ハイッと答えてしまった。これが絶妙手になろうとは―。

 例の北林の姉ごを誘ったら、即OK。彼女の車に乗っけてくれると言う。

 姉ごはステキな洋服をたくさん持っているのに、和服であった。

「歌舞伎でしょ?あったり前じゃないの!」

 (大人だなあ)と感心したが、よく見ると、帯を締めてない。ちょうど帯の分だけ時間が足りなかったのよ、と、ちょいと裾をめくってアクセルを踏んだ。

 彼女と会うと、いつも何かしらビックリさせられることがある。 

 新橋演舞場は、壮大なビルに生まれかわっていた。我々は某所にて彼女の帯を締め、夕方五時の開演に少し遅れて入った。すでに幕が上がっていたが、歌舞伎ではなかった。

 左のわきに、テレビで見た顔のアナウンサー、正面に演台、その右の台の上に松の盆栽。それから紋付羽織袴が四、五人、並んで腰かけていた。

 (お偉方の挨拶でもあるんだろうか)と思った、その瞬間、私は、一体何がなんだかわからなくなった。

「アラ、エッ、どうなってんの・・・」と姉ごが私の袖をひっぱった。 

 司会が何やらしゃべり、そして正面に進み出てきたその人は、まぎれもない、あの、大山康晴十五世名人だったのである。

 私達、しばし、声も出なかった。

 おみやげ袋の中のパンフレットによれば、我々がまぎれ込んだ日の演舞場は、東京呉服専門店協同組合なる団体の、きもの博士号贈呈式記念観劇会なのであった。歴代きもの博士の欄には三十八年の花柳章太郎から順に、各界のきもの愛用の名士がズラッと名を連ね、その二十二代目が将棋の大山名人であり、その贈呈式がその日その時なのであった。

「私の優勝回数から百を取りますと、ちょうど二十二になりまして・・・」という、名人の挨拶があり、桐の箱に納められた記念品が名人にわたされた。司会が「結城紬のお対でございます」と言うと、場内に「フーウッ」と溜息が湧いた。非常に高価なものであるらしい。

 我々がまだポカンとしているうちに、幕が降り、幕が上がり、そして名人の講演「きものの思い出」が始まったのだ。

 私にとって大山名人は、あまりに遠過ぎる存在だ。将棋の棋風も、他の棋士に比べて、つかみにくい。たとえば内藤國雄の次の一手はすぐ納得できるけど、大山康晴のはてんで当たらない。

 それから、盤外作戦がうまいとか、「政治力」とか、オンナ子供には理解できぬ範疇の話がある。

 大山名人なる人物について、私は、大変お忙しそうな、そして、何を考えてるかわからぬ、怪物のような印象をいだいていた。

 名人の講演は、初めて聴いたが、うまいとは言えない。講演がうまいような人間は、あまり信用ならぬタイプだと私は思うので、少し安心した。端折ってご紹介しよう。

「昭和十年頃でしたか、東京の新鋭と大阪の新人とどっちが強いか戦わせてみようという話があって、松田茂役さんと私が対戦した。その時、私は負けました。すると周りのお客さん達が、勝った松田さんだけを誘って、おいしい物をごちそうしようってことで、出かけて行きました。私は一人で部屋にとり残されましてね。

 勝負事は勝つか負けるかわからない。その時々の運なのに、なんで勝ったほうばかりお祝いされるのか。私はその時、相手の人をとてもニクラシク(と、おっしゃった)思いました。松田さんは紺系統の着物を着てまして、私は茶色でありました。で、茶色の羽織の紐を眺めて、あ、そうか、相手と同じものを着てみたらいいんじゃないかと思いまして、家に帰って母に頼んで、すべて紺系統のきもの羽織袴を作ってもらいました。ヨシ、今度あの人と対戦する時は、同じ色のもので勝負しよう、と。

 私は近頃、自分で、紺系統の色が好きになり、またその色が似あうんじゃないかと思うようになりました。私の知人の某大学教授に聞いた話ですが、茶色が似合う人は、非常に勝ち気で闘志の強い人だそうです。反対に紺系の似合う人は、大変妥協性のある調和のとれた人が多いのだそうです。

 将棋は、自分ばかり勝とうと思っても勝てるものではありません。相手の人に、早く負けてもらえるように指さねばいけません。

 自分が優勢の時は相手が小さく見えて、反対に負けそうな時は相手が大きく見えるものです。その点、洋服よりも着物のほうが体が大きく見えますから、まあ盤外作戦てわけじゃないですが、私は今後とも着物を着て指し続けて行こうと思っているわけなのです」

 講演のあと、食事休憩。私が、

「大山さんはもう帰られちゃうのかしら」と、つぶやいたら、

「ヨシ、会っちゃうおうか」

 待ったナシの姉ごは、すぐさまその辺にいた偉そうな袴の人をつかまえて、

「この人はね、将棋の女流名人よ。大山さんに御挨拶したいの」

 逃げる私をグイグイ引っぱって、演舞場地下の奥深い部屋まで案内させちゃったのである。

 そこには羽織袴の人が数人で、ひっそりと額をつき合わせていた。姉ごは実に華やかに、ペラペラッと御挨拶申し上げ、「さ、あなた、大山先生に何か御用があったんでしょ」

 ああ、その時私が何を口走ったか、全く、覚えていないのです。大山名人の、あっ、そう、そうですかという、天皇陛下のようなにこやかなお声だけは、今でもはっきり心に焼きついておるのですが。

「だっらしないわねえ」

「・・・・・・」

「せっかく会ったのに」

「いいの、いいの。将棋関係の和服美人が二人並んで挨拶に行ったんだから・・・名人だってますます株を上げたってことで・・・」

 大山名人て方は、人間にはあまり興味がなさそうな人なので、我々を美人と思ったかどうか、疑問である。

 歌舞伎のほうは、人気の玉三郎がパッパッと衣装の早変わりで娘道成寺を踊りつくし、白浪五人男では、菊五郎が「知らざあ言って聞かせやしょう」とふんぞり返って見せた。

 歌舞伎って、まるで手品と掛け合い漫才みたいなものなんだなあとぼんやり眺めていたが、その辺で、姉ごもすっかり歌舞伎に飽きちゃって、

「将棋指したくなっちゃった」

「ウン、行こう。出ようよ」

 その頃、大山名人は北海道ツアーとかで、船上の人となっていたのである。

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湯川恵子さんの「女の長考」は将棋ジャーナルに連載されていたエッセイ。

大山名人が、どうして負けた相手の着物と同じ色の着物を作ろうとしたのかは、理解ができないところだ。

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故・松田茂役九段は「ムチャ茂」と呼ばれた強豪棋士。

ツノ銀中飛車の元祖だ。

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ところで、

茶色が似合う人→非常に勝ち気で闘志の強い人

紺系の似合う人→大変妥協性のある調和のとれた人

というのは、なかなか興味深い。

両方似合う人はどうするのだろうとは思うが、説得力があるような感じがする。

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昔読んだ本に、青系の制服を着せられると人間は従順になってしまい、上に立つ人はメンバーをまとめやすくなる、と書かれていた。

たしかに高校の制服など青系が多いかもしれない。

この本には、そのような意味で、ナチスの制服も青だったと書かれていた記憶があるが、今回調べてみると、ナチスの制服は黒だったようだ。

ムッソリーニのファシスト党の制服も黒。

黒い制服にどのような効果があるのかはわからない。

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きもの博士の受賞者は芸能界、文壇などの著名人ばかり。

そういう中で大山康晴十五世名人が選ばれているというところが、大山名人の偉大さを物語っている。

歴代受賞者

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