今日は、井上慶太九段が若かった頃の不運な出来事。
将棋マガジン1990年6月号、神吉宏充五段(当時)の「へえへえ何でも書きまっせ!!」より。
井上といえば毎年好成績を残しながら上がれなかった不運の男。そして勝負に敗れる度に新宿に名を残してきた男である。え、新宿って何のことやって・・・。うん、彼も上がったから言うてもええやろ。そう確信して書き出す私であった。
一つは呼び込み姉ちゃんボッタクラレ事件。
あれは新人王戦の決勝で、森下に負けた時だった。ムシャクシャした彼は、よし新宿にでも行って女ひっかけたろ!と思い勇躍、歌舞伎町へ。いました、いました。ベッピンが。それもあちらから声をかけてくるではないか。
「こりゃええ」そう思いながらついて行くと、薄暗い路地のスナックへ。あとはもうお決まりのコースである。ビール2本とおつまみ少々で7万円請求された時は、しまったと思ったがあとの祭り。新幹線に乗る金もなく、ようやく鈍行で大阪にたどり着いた彼は、将棋会館に来るなり、最後の百円硬貨1枚を握り締めて「・・・メシ、メシ」ともうほとんど浮浪者のようであった。
まあ、これはまだいい。次に紹介するのがスゴイ。その名もチカンに追われてるんです事件。おお、書くのも恐ろしい・・・。
昨年の順位戦、最終局に必勝の将棋を負けた井上は荒れていた。「もうワシはどうなってもええんですわ」とナゲヤリになっていた。東京で泉六段、野田四段、長沼四段と一緒になり、新宿へナンパに行こうと話がまとまった。
井上は述懐する「あん時ねえ、綺麗な子が二人ナンパできたんですわー。ごっつい嬉しかったけど、なんやスカートまくり上げたり、声が太かったりでヘンやなあと思とったら、泉さんが『こりゃオカマだ』って見抜いて。どうもうまくいくと思ったらコレや!」
それで井上は悪酔いした。ぐでんぐでんに飲んで街を歩いた。よく見ると可愛い女性が一人歩いている。
「ワシ、行ってきまっさ!」と一人でその女性を追いかけだした。
「ねえちゃん、ねえちゃん」
スタスタとその女性。
「ねえちゃん、ねえちゃん」
タタタタと駆け出す女性。
「どこ行くんでっか」そう叫ぶ井上を横目に女性は交番に飛び込んだ。「た、助けて下さい! チカンに追われてるんです」
彼が泥酔していたので事なきを得たが、取り調べなんか受けていたら今の彼はなかったかも・・・。
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神吉流で実際よりも面白おかしく書かれているのかもしれないが、どちらにしても井上五段(当時)にとっては災難なことだ。
大事な一戦に敗れて、飲んで、飲んで、飲んで、その上での出来事。
結果的には、将棋に例えると、キャッチバーへ入ったのは大局観の誤り、交番に駆け込まれたのは指し過ぎ、とも言えるのだろうが、「もうワシはどうなってもええんですわ」と言ってとことん飲みたい気持ちはとてもよくわかる。
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現在では取締りが厳しくなり、歌舞伎町のキャッチバーは少なくなったのだろうが、1970年代にこのような難局を乗り切った棋士がいた。故・松浦卓造八段だ。
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この文章を書いていて、1980年代に松原留美子さんというニューハーフが人気で、いろいろなテレビ番組や映画などに出演していたことを急に思い出した。
たしかに、テレビで初めて見たときは、どこから見ても美しい女性で、とても男性には見えなかった。
体の構造は男性だが、外観と心は女性という松原留美子さん。
実は、私は直接お話をさせていただいたことが二度ある。
1980年代半ばの頃、銀座のクラブへ行った時にヘルプで席に着いてくれたのが松原留美子さんだったのだ。
たまに行く店に松原留美子さんがいると知ってビックリした。
話をしてみると、声以外は、全くの優しい真面目な女性だった。
銀座のクラブで男性がホステスをしているのは極めて異例のことであり、それほど松原留美子さんは女性だったということになる。