泉正樹四段(当時)「さわらぬ彼に不満あり 完結編」

将棋世界1994年3月号、泉正樹六段(当時)の「後手必勝 急戦矢倉」より。

 時は13年前の1月11日、場所は将棋連盟近くの「もみじ」という品の良い雀荘。この頃は麻雀も一種のブームだったようで、将棋関係者が入れ代わり立ち代り席を陣取った。

 その日もご多分に漏れず、足並みそろえの状態で、今日が私の誕生日などということは、十三面チャンでも気づくまい。

 私は開始早々から勝負をかけ、猛然とダッシュした。食いタンだろうが、ペンチャンだろうが構うことはない。先輩方の親は即刻!けっ飛ばさなければならない。なにしろ今日は彼女がケーキを買って待っているのだ。長居は禁物、いや無用なのだ。

 私はひたすら急戦調で敵の陣形が整う以前に「ポンポコロン」。作戦は図に当たり、夕刻にはかなりの勝ち分を収めた。

 先輩方はそれでも必死に手を作り、むやみな”リーチ棒”をひん曲げるが、滝誠一郎先生、秘伝のスピード打法はいささかも狂いは生じない。

 そんな私の打法を不審に思ったか、マリオ先生(武者野六段)からクレームがついた。「いつもメンゼン主義の泉ちゃんがどうしたの。そんな安い手ばかりで」と、御自分得意の食いタン打法を棚に上げての作戦追求。瞬間、痛い所を突かれたと自白の念にかられたが、直ぐに気を取り直し「将棋もガッチリ矢倉ばかりじゃ飽きるでしょ」なんて、うそぶいた。

 すると、野本先生より「まあ、何にしたって、さきは長い、焦るこたねェな」と、なにげなく、勝ち逃げ許さじの包囲網を厳重に敷かれてしまった。

 野本先生の場合、人が帰るのを極端に嫌う。勝敗よりも長く打てればよいのだ。

 困った。約束まであと2時間。無事に抜け出せるのだろうか?負けているならいざしらず、大勝ちしていて帰りますとは、言いづらい。きっとそんなことを言ったら、温厚な佐藤義則先生だって、「予告もなしにヒドイジャン」なんて言うだろうな。

 困り果てた私は決心した。「男は人の2倍3倍働いてこそ本物。ましてこんなに調子のいい日にやめる手はない。ミカちゃんだってきっと、お仕事に一生懸命な人って好き!ミカ全然怒ってない。て、言ってくれるだろう」

 それからはなぜかツキに見放され、終わってみれば元のまま。こんなことならと後悔の念が全身を襲ったが、「エエーイ、済んだことよ」と朝日に叫ぶヒゲ面&マヌケ面。

 彼女にはその件以来相手にされなくなった。しかも、少しすると自分よりはるかにカッコイイ彼氏を作っていた。当然の報いだろう。ガックリきたが立ち直りは早かった。それもそのはず自業自得なのだから。

 こうして、私のささやかな恋物語のワン・ショット目をお伝えした訳でありますが、この後も失敗の連続でOBだらけ。

 次回はいよいよ、もてない男の核心に触れますのでお楽しみに。

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教訓1:1回目のチャンスは見逃しても2回目のチャンスを逃してはいけない。

教訓2:勝つと思うな思えば負けよ

教訓3:女はそれを我慢できない