将棋世界1993年5月号、阿部隆六段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。
それは昨年の大晦日の午後10時ぐらいのことであった。
今年ももう終わりかと思いながら、テレビを見ているとリンリンと電話コールの音。
友達からだなと直感して受話器を取ると「やあ久しぶりだなあ」とやはり聞き覚えのある声。あっ、植さん(植山悦行五段)だ。
植山悦行五段とは年が一回りぐらい離れているので本当は植さんでは失礼なのだが、植さんの年の差を感じさせない若さと人柄は、つい植さんと愛称で呼ばせてしまうものがある。
電話の内容は近況から始まっていつものバカ話。
そのうち植さんが「今、森内(俊之六段)がウチに来てるんだよ。後から康光(佐藤六段)も来て、明日になれば郷ちゃん(郷田真隆王位)も来るんだけど」、ウベ(なぜか植さんは僕のことをウベと呼ぶ)も来ねえか?」と、とんでもないことを言う。
ご存知ない方のために書くが植さんは東京在住で僕は大阪なのである。
行く訳ないと答えると「冷たい奴だなぁー(これに僕は弱い)、東京駅まで迎えに行ってやるから」などと言われて、受話器の向こう側でも、来るしかないでしょと広べえ(中井女流名人)、森内君のヤンヤ、ヤンヤの声援。
そのうち僕も嬉しくなってきて、まあ気が向いたらと言って受話器を置いたが心の中では、あのメンバーと遊びたいという気持ちがいっぱいになっていた。
元日、東京へささやかな僕の麻雀放浪記が始まる・・・。
当日、植さんは約束通り東京駅まで迎えに来てくれた。そして植山宅到着。
本当に来るかあ、ヒマな奴だなあ、などとみんなに罵られながら、うるせい、呼んどいてその態度はなんだとやり返す。
まあこれは挨拶がわり。もちろん目は笑っている。
食事をして初日だからとカラオケ。楽しい時間は過ぎるのが速い。そして午後10時頃になっていよいよバトルだが、康光君は明日用事で帰らなければいけないという。
少しだけという約束で(約束しないと朝までやらされる。それがこのメンバーの怖いところだ)雀卓の前に座ったが、終電まで時間がないので、どう考えても1回しかできない。
そこで康光君、「1回しかできませんから5でやりませんか?」5というといつもやっているレートの5倍である。
それを聞いた植さん、みずもちゃん(植さんの子供)をあやしながら、やれ、やれと涼しい顔をして言う。植さんはやらないのかと聞き返すと、ちょっと今、手が離せないと逃げる。
そりゃそうだ。1回勝負なら恐らく森内、郷田のどちらかが勝つ。
植さんや僕はどちらかというとステイヤーなのだ。
しかし雀卓に座っている僕は逃げられず、その半荘開始。やはり森内、郷田が走る。康光君は振り込みマシン。僕は何もできずに見てるだけ。
その間、森内、郷田は「弱いのは見てればいいんだぞ」と得意のセリフを飛ばす。そして半荘終了。トップは郷ちゃんでラストは康光君。
1回だけの特別戦なのでここで精算だが、ここで康光君の一言「5って高いんですね。こんなに高いとは思いませんでした」。
ああ無邪気な奴!・・・
康光君が帰り、レートも通常に戻ると植さん登場。そして延々と打ち続けたが明け方森内ダウン。それでも他の3人は元気になっていると午前10時頃だったか広ベエの妹さんと旦那さんが新年の挨拶にやって来られた。
どうも旦那さんは麻雀が好きらしい。うらやましそうな目でこちらを見ているので植さんが「ちょっとやってみる?」と声を掛けると「はい」。
悲劇はここから始まった。東一局、抜け番だったので僕は見ていたが、植さんと郷ちゃんがリーチ。旦那さんも通ればリーチと言って打った牌が不運にもダブロン。
ここからは見るも無残、終わってみるとダブハコで本当にこの3人はとんでもないと感じた。
この後も植山宅はお客さんが多く、楽しく遊ばせて頂き感謝している。
そしてこのような良き友人達を持てたことをとても幸せに思う。
ただし勝負は別だからね。
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「弱いのは見てればいいんだぞ」というのは森内俊之六段(当時)の得意のセリフなのか、郷田真隆王位(当時)の得意のセリフなのか、それとも二人とも得意のセリフなのか、興味深いところ。
二人のイメージからは脳内再生するのが難しい言葉だが、かえって意外性があって面白い。
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佐藤康光九段のこの頃、将棋を除く勝負事で勝ったという話を聞かない。・・・というより負けた話ばかり。
ちなみに、阿部隆八段は佐藤康光九段の兄弟子だ。