大山康晴十五世名人が64歳の時の自戦記

将棋世界1990年1月号、大山康晴十五世名人の自戦記「熟年パワーがミスを誘う」より。

 昭和62年といえば、私は64歳になっていた。

 それまでに再起不能か、とも考えられる難病にとりつかれている。幸運にも病を克服し、Aクラスの順位戦に参加できたときは、うれしさがこみ上げて目がしらを熱くした。

 その後、今年はダメか、これが精いっぱいと考えながらも66歳の今日までトップクラスと肩を並べていられるのは、フシギな現象に思えてくるときがなくもない。

 とはいえ、60歳をこしてからは、勝負に対する執念もうすれた。功名心も消えかかっている。ただし、日の出の勢いにある若い棋士と対戦するときは、なぜか体が熱くなる。

 当時の高橋くんは、”王位”と”棋王”のタイトルを手にしていて空恐ろしいほどの強さを見せていた。

 王座戦で顔を合わせたが、時代劇のセリフじゃないけれど、血が騒いで仕方がなかった。

(中略)

 振り飛車教があるとするなら、私は教祖みたいになって30年ほどを過ごしてきた。

 そして、この一戦でも3手目に▲7八飛と振って、三間飛車という振り飛車にかまえた。

 最近はこの形をよく用いているが、振り飛車退治に研究を深める若い棋士が多くなって、かなり苦戦をしている。

 近頃よく耳にするコンピューター将棋の中に組みこまれているのかもしれない。

 私も全盛のころ精密機械などと言われた記憶があるが、変な気持ちになった。人間同士の勝負だからおもしろいので、機械と機械の勝負なんか興味を持てないのじゃないかな、と思ったからである。

 幸い私は人間だったから、ミスを指してくやしい負け方をしたり、大勝して胸を張るたのしさも味わってきた。

(中略)

 振り飛車は自分から攻勢に動いていくと、成功度が低い、と考えている。振り飛車名人と言われた故・大野九段は自分から動いてよく勝っていたが、私はどちらかといえば”待つ”タイプだから、▲4六歩と様子をうかがった。

 動くつもりなら、▲4六歩では、▲7五歩が考えられる。

(以下略)

—–

この将棋は、王座戦本戦で、高橋道雄王位・棋王(当時)の猛攻から高橋二冠優勢となったが、終盤でミスがいくつか出て、大山十五世名人が勝っている。

—–

「ただし、日の出の勢いにある若い棋士と対戦するときは、なぜか体が熱くなる」と大山康晴十五世名人が言うと、とてつもなく恐ろしい言葉に聞こえるから不思議だ。

—–

大山十五世名人は昭和30年代だと思うが”精密機械”と呼ばれていた。

昔は精密機械といえば、時計、カメラ、オルゴールが代表例だった。

現代は、時計、カメラ、オルゴールとも、携帯電話に内蔵されているわけなので、本当に時代が変わったということになる。

—–

「私も全盛のころ精密機械などと言われた記憶があるが、変な気持ちになった。人間同士の勝負だからおもしろいので、機械と機械の勝負なんか興味を持てないのじゃないかな、と思ったからである。幸い私は人間だったから、ミスを指してくやしい負け方をしたり、大勝して胸を張るたのしさも味わってきた

人間同士の勝負だからおもしろい、というのが将棋の本質を言い表していると思う。