先崎学五段(当時)を飲みに誘った羽生善治棋王(当時)

近代将棋1991年8月号、弦巻勝さんのグラビア「B級1組(6月7日午後9時頃)」より。

 棋士達の命を切りつめる順位戦がまた始まった。C2クラスは一局負けても順位によっては上がれない。先崎はその初戦に負けた。「もう僕の一年が終わりました」。プロ棋界のシステムの解かる者にしか通じない言葉で私に語りかけて来た。私にはあやふやな返事しかできない。その先崎の親友羽生はその痛さが解かる。その痛さが早く消えることを願って二人で碁を打っている。時々先崎のやるせなさが碁石をにぎる手のひらからはじけ出る。将棋の駒音のやまぬ と金部屋から羽生は先崎をつれ出して酒を飲みに出て行った。負けた時の一番良い方法を彼らはみな自分で発見していく。

 順位戦は夜9時をすぎると、どの棋士達もオオカミのような風貌に変わる。もちろん対局室はシャッターの音さえも拒んでいる。森けい二、真部戦が終わった。中に入ってカメラを向ける気にはなれなかった。自分を空気と同じ立場にして、シャッターを一枚切った。たんなる記録写真だ。それでも自分がハイエナのように思えていやだった。感想戦後、森、真部、私で飲みに行った。飲み屋までの車の中は二人の会話で将棋の駒が車中いっぱいに飛びかっていた。みな早いピッチで酒を体に入れた。「明日オレ昼の飛行機で金沢なんだ。あんまりみんなと飲めないんだ・・・」。今日対局室で写真を撮ろうとした自分が、カンオケの蓋を開けて撮ったような、いやなイメージが頭の中いっぱいになり、早く彼らから遠ざかりたいと、そんな言葉が口から出た。カメラマンとして棋界に入りすぎてしまったかなっと頭の隅で考えがウロウロしていた。そんな時間も酒の勢いが強くなってくると駒の影も写真のこともみな消えた。真部のマンションで3人でマージャンをする。3人とも酒を飲まない方がいいとは解っている。でも今日はこれでいいんだ。森は真部が上がるたびに、馬鹿でかい声ではしゃいでいる。朝が来てうまく口で話し合うことができなくなったころ、マージャンを覚えたての真部の一人勝ちで昨日の順位戦が終わった。彼のマンションを森と出た。「ツルさんありがとう」 きれいな声が背中から聞こえた。もう一歩ふんばって写真を撮ろうと思った。

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この時、真部一男八段(当時)はA級から陥落したばかりの頃。

B級1組順位戦のこの一戦、森けい二九段が「森魔術を発揮し、中盤の端攻め一発で勝負あった」と解説されている。

対局を終わったばかりの勝者と敗者が一緒に飲みに行くのは珍しいことだが、弦巻さんがいたので、森九段、真部八段とも3人で飲みにいこうという雰囲気になったのだろう。

また、森九段も真部八段も良い意味での不良っぽい魅力を持つ棋士なので、こうなるのは必然の流れだったのかもしれない。

このような場面に立ち会えた弦巻さんが、とてもうらやましい。

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羽生善治棋王(当時)が先崎学五段(当時)を誘ってどのような店に飲みに行ったのかも興味深いところ。

居酒屋なのかスナックなのかバーなのか。

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ちなみに弦巻さんとは麻雀(三人麻雀)を一度やったことがある。

弦巻さんはまるでマジシャンのように、何度も何度も高い手をあがっていた。

こんなに麻雀が鬼のように強い人がいるなんて、と驚いた時でもあった。