大沢在昌さんの将棋エッセイ「怯えています」

将棋世界1990年8月号、大沢在昌さんのエッセイ「怯えています」より。

 人間には、無条件で尊敬してしまう存在、というものがあるような気がする。

 出会った瞬間、相手の性格・人となりを抜きで、この人はすごい、と心に決めてしまうのだ。

 これにはふた通りのパターンがある。ひとつは、自分が興味を持ち、そこそこに実践はしているのだが、遠く及びもつかぬ技量を持った人に対したときの尊敬。

 もうひとつは、自分はまるで駄目、無能力に等しいということに関して、やはり、その道のプロである、という人と出会ったときの尊敬だ。

 感じ方もややちがいがあって、たとえば、ゴルフをそこそこにする人が、プロゴルファーを見れば、そのすごさがわかるだけに、「天才だ!」と思う。

 まるで歌をうたえない、本当の音痴が、譜面を見ただけでうたってしまう歌手と会えば、「神様だ!」と思うのである。

 その伝でいくと、私にとり、プロの将棋さしの方々は、「神様」である。将棋連盟は神様の集まりであり、いってみれば、出雲大社のようなものだ。

 私は将棋をまったくさせないわけではない。一応、駒の進め方は知っている。ただし、それだけだ。

 皆さんには信じられないような話だろうが、小学生のとき、駒の進め方をまるで知らない友人に、図を書いて教えてやり、その直後、勝負をして、負けたという、とんでもない経験を持っている。

 まさか、とおっしゃるだろう。それ以前、私は、週に一度くらい、父と将棋をさしていた。二週に一度くらいだったかもしれない。

 とにかく、友人は初めて。私は三十や四十回は将棋盤に向かっていた。

 そのとき、ショックを感じなかったか、といえば、これはもちろんショックである。

―頭が悪いのかな。俺

 ひそかに落ちこんだ。

―その通り

 皆さんのそうおっしゃる声が聞こえる。

 すいません。そんな人間が、神様の刊行物の誌面を汚して。先にあやまってしまおう。

 私は、小説を書いて、生計をたてている。

 御存知のように、小説家には将棋を好きな人は多く、ゴルフでいえば、プロには及ばぬにしても、シングルプレーヤーというのは、ごろごろいる(と、聞いた)。

 で、なぜかといえば、小説の先の筋を考えるのと、将棋の先の手を考えるのが、頭の中の働きとして似ているからだ、という。

 すると、私はどうなるのだろう。

 恥の上塗りをすると、ついこの十年の間にも、将棋の好きな友人に、挑発され、半ば強制されて、将棋盤をはさみ、メロメロに敗れた経験が幾度かある。

 絵描きの友人は、あるとき、あきれたようにいった。

―どうしてお前、こんなちょっと先の動きが読めないの?よくそれで、推理小説なんか書いていられるな

―僕は仕事以外じゃ、頭つかいたくないの

 くやしまぎれに、そう答えたが、実は嘘だった。本当は考えたのだ。それなりに、頭をしぼって。

 だが、結果はさんたんたるものだった。先を考えているうちに、混乱して、何が何だかわからなくなってきてしまったのだ。

 つまりひょっとすると、私は、将棋に向かないどころではなく、小説家にも向いていないのではないかという、オソロシイ考えが浮かんでくるのだが、そのことは、ひた隠しにしておく。

 先日、大内九段とあるところでお会いし、先に書いたように、無条件で尊敬してしまった私は、この話をした。これは、無条件で尊敬している相手だからこそ、できたのである。

 俺はアマ何段だ、という人にはとてもできない。愚か者、という目で見られるのは明らかだからだ。

 その点、プロはちがう。大内さんは、同情の目で私を見たあと、

「その話、書いてもらえませんか」

 と、おっしゃった。非常に紳士的な態度で、温厚な人がらをうかがわせる口調だった。

 つい私は、承諾してしまった。

 実は今、たいへん後悔している。この一文が、プロの将棋さしの方々の目にのみ、とまるならよいが、そうではない人の目にまで―特に、小説編集者の目に―とまったらどうしよう。

 明日から私は、注文がこなくなるかもしれない。そのときは、大内さん、あなたを恨みますよ。

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大沢在昌さんは、この年に『新宿鮫』を発表し大ブレイクするが、このエッセイは『新宿鮫』が発売される2ヵ月ほど前に書かれたもの。

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大沢在昌さんの小説は、章ごとに一人称の主体が変わるのが特徴で(ある章では刑事が一人称、違う章では悪の組織のボスの一人称、また別の章では殺されることになる人の一人称、など)、この手法が物語の魅力を更に奥深いものにしている。

将棋が強いから将棋以外のことについても先を読めるというものではない。

また、先を読んだつもりでも、大局観を誤っていれば大変なことになってしまう。

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大沢在昌さんの24年前の小説で、六本木の近未来を舞台とした作品がある。

この時、全ての風景は変わっているけれども、1950年創業の「ハンバーガー・イン」だけは何も変わらずそのまま残っているという設定になっている。

大沢在昌さんの「ハンバーガー・イン」に対する思いがそうさせたのだと思うが、結構前に「ハンバーガー・イン」が無くなったときは、大沢さんの小説を思い出して私も結構ショックを受けたものだ。(現在、ハンバーガー・インは別の場所で営業を再開しているが、思い出的には別の店)

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大沢在昌さんの小説には、関西将棋会館が出てくる作品がある。これも面白かった。

ハードボイルド作家が描いた関西将棋会館と将棋博物館

 

 

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