近代将棋1991年12月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
珍しく早起きして原稿を書いていたら電話が鳴った。時計を見ると8時35分。阿部五段からだった。嫌な予感がする。
「池崎さん、マージャンをしましょう。いま郷田君と一緒なんです」
「ごめん。きょうはダメなんですよ。今日中に書き上げないといけない原稿があるんで・・・いまも書いてるとこ」
「はーっ?付き合って下さいよ!」
阿部さんがこういう言い方をするのは将棋に負けたからに決まっている。そういえば前日はC1の順位戦だった。
「順位戦はどうでした?」
「井上さんに負けました。降級点が怖いです・・・」
「何言ってるの。郷田さんは?」
「郷田君も負けました(棋聖戦=対内藤九段戦)。だから付き合って下さい」
ということは、朝まで二人で飲んでたんだな。
「屋敷さんも大阪でしたよね」
「屋敷君も負けました(対坪内六段戦)」
「じゃあ屋敷さんをマージャンに誘えばいいじゃないですか」
「屋敷君は朝、帰ったんですよ」
何だ、三人で飲んでたのか。
「でも今日はかんべんして下さい。締め切り日が過ぎてて、今日中に書かないと本当にヤバイんで・・・。森さんに頼んでみたら?」
「森先生は怖いです」
何が怖いものか。
「それに、まだ寝てるでしょう?」
「いや、森さんは最近早起きですよ」
阿部さんは何とか納得してくれたが、森さんに電話したかどうか知らない。
(以下略)
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昨日の、森けい二九段と真部一男八段(当時)もそうだったが、「深夜から飲んでその後に麻雀」というのが、この当時の棋士にとっての対局後(負けた後)の定跡のようだ。
池崎さんの文章を読むと、なぜ将棋界では3人麻雀が主流となったのかがよく分かる。
この朝の阿部隆五段(当時)と郷田真隆四段(当時)の状況から考えてみると、もう一人を集めるのは何とかなりそうだが、あと二人集めようと思うと絶望的だ。3人麻雀のほうが圧倒的に場が立ちやすい。
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将棋に負けて、酒を朝まで飲んで、ワイドショーが始まる時間くらいから麻雀の面子を探す。
文字にしてしまうととんでもない行動に見えてしまうが、私には、とても神々しい勝負師の姿にも感じる。
徹底的に自分を痛めつけたい、そのような気持ちの発露なのだと思う。