佐藤康光王将(当時)「悲しくなるので考えるのはやめておこう」

将棋世界2002年6月号、佐藤康光王将(当時)の特別寄稿「我が将棋感覚は可笑しいのか?」より。

王将戦第3局(2002.2.12~13 後手佐藤ゴキゲン中飛車 85手で羽生勝ち)

 本局はゴキゲン中飛車。しかし5手目▲2五歩に52分。第2局のような過ちは犯さないぞ、の凄みを感じた時間だった。

 話は変わるが今、四間飛車が大ブームである。居飛車党でも振る人が多くなったが何故か四間飛車なのである。しかしである。何故四間なのだろうか?

 私は考える。やはり藤井システムの登場により穴熊が組みにくくなった、というのが理由だろうか?具体的としてはそうなのかもしれない。が本当、本来、本質的な理由は違うところにあるはず、と思うのである。

 何故、三間飛車や中飛車はダメなのだろうか?私の感覚からするとむしろ居飛車党はこちらの方がなじみ易い。理由は振り飛車側の左銀の動きによる。

 三間なら4二から5三と上がるケースが多い。居飛車側の右銀と同じ動きで目で慣れているはず。むしろ4三銀と上がる型は対照すると右四間の腰掛銀。こっちの方が慣れ、得意にしている人は少ないと思うのだが。

 やっぱり僕の感覚、考え方は可笑しいのかなあ。

 この将棋のポイントは▲7五歩(5図)。さすがだと思った。連敗の萎縮が全く感じられない。羽生さんらしく柔軟な思考をされているなと思った。

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 この前の私の△6二銀も評判はあまりよろしくないようだ。

 最近読んだのがこの形の専門家の田村康介君の話で「中飛車は7二玉のまま戦っていたからダメだったんです。△8二玉を覚えてから勝てるようになりました」とある。

 NHK杯で彼と指した時は▲5三角と打ち込む形となりうまく美濃囲いを咎めた形となったが本局ではやはり響く形となった。やっぱりおかしいのかもしれない。

(以下略)

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佐藤康光王将(当時)の嘆きは、まだまだ出てくる。

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棋王戦第2局(2002.2.16 後手佐藤矢倉左美濃 99手で羽生の勝ち)

 この将棋は私が最近よく指している矢倉左美濃。

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12月頃から連採し、わりと成績もよい。はっきり言って、いやもう参りました、この戦法は二度とやりません、というような打ちのめされ方をした事もない。しかしやっているのは私だけである。何故か?悲しくなるので考えるのはやめておこう。

 私も確かに若い時には流行ばかり追っていたのかもしれない。矢倉にしてもがっちり組んでいくのが最善のような気がしている。しかしである。将棋は広く、深いのである。いろいろ検証してみよう、という気にはならないのだろうか。勝負師として甘いのか?過程を経てたどり着くので悪くないと思うのだが。

(中略)

棋王戦第4局(2002.3.8 角換わり腰掛銀 97手で羽生の勝ち)  

 角換わりの同型になった。私としては一度やってみたい手があった。

 正直、この戦型は私が指すとどうも印象が良くないようだ。それはそうだろう。タイトル戦ではほとんど勝っていないのでそういうイメージが定着しても仕方がない。しかし言い訳になるかもしれないが敢えて言えば途中迄は指せる形もあるのである。もちろんダメになった形もあるが。むしろその後のミスで負けている事が多いのだ。今はとにかくそれを証明できない自分の弱さに悲しんでいる。何しろ自分は谷川、丸山との名人戦の時に厭になる程、考え、苦しんだ。棋士の中でも後手番対策では一番時間を費やしていると自負している。もちろん時間をかけているからいいものができる、という確信はない。名人戦の時も絞り尽くしてもう対策がないのではないかとさえ思った。しかし将棋は深い。やはり探せばあるのである。一番まずいのは分かったようなふりをしたり、あきらめる事だと思う。

(以下略)

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このようなところが佐藤康光九段の真骨頂であり、強さ、魅力なのだと思う。

角換わりということでは、郷田真隆九段が丸山忠久九段に対して後手番を持って、何度も何度も角換わり腰掛銀で受けて立ち、その度に敗れることが多かったのを思い出す。

郷田真隆九段も、角換わり後手番については佐藤康光九段と同じ思いを持っているような感じがする。

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振り飛車名人、故・大野源一九段は、振り飛車の中では四間飛車は捌きにくい戦法だと述べている。

大野九段は、自ら手を作りに行く”攻める振り飛車”が本領。

実際にはもっと深い意味で語られているのだろうが、四間飛車は反撃狙いが主眼なので、条件が整わなければ四間飛車側から先に攻撃を仕掛けることは難しいという面もあるのかもしれない。

中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車、それぞれ全く異なる個性があるのが振り飛車の面白さだ。