山田史生さん逝去

将棋ジャーナリストの山田史生さんが7月9日に亡くなられた。享年76歳。

山田さんは、読売新聞社の将棋担当として竜王戦の創設などに関わり、退職後は観戦記者や将棋番組のキャスターとしても活躍した。

訃報 山田史生氏 (日本将棋連盟)

将棋ペンクラブの交流会や贈呈式にも、何度も参加いただいた。

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将棋ペンクラブ会報2007年秋号、山田史生さんの将棋ペンクラブ大賞「受賞のことば」より

(山田さんは観戦記部門佳作を受賞。この期は観戦記部門大賞は該当作なし)

熱戦に出会えた幸運

 観戦記というものは全国で1年間に何本ぐらい書かれているのだろうか。これまで考えたこともなかったが、今回の受賞を機に私なりにカウントしてみた。大ざっぱながら、新聞、雑誌、週刊誌(紙)で600本前後かという数字が出てきた。”大賞”ではないが、こんなに多数の中の年間トップとみなされたわけだから、その価値は極めて高く、私自身もうれしく誇らしい。

 そしてまず思うのは「幸運であった」ということである。竜王戦七番勝負の第3局、渡辺竜王対佐藤棋聖戦は06年の年間ベスト対局(「将棋世界」選定)のNo2に選ばれた大熱戦であった。No1は同年3月のA級順位戦プレーオフだから、年度として見れば、この竜王戦第3局が事実上のNo1対局ということになる。

 たまたまこの局の観戦記担当であったことが大幸運。双方1分将棋の中での大逆転で、両者必死の最終盤の対局室。盤側でこの様子をメモして字にするだけで迫力あるものになっていくのだから。

 一般棋戦の予選などで、内容が凡戦であっても、工夫してそれを面白く読ませるのがプロの観戦記者であるとはいうものの、やはり注目の大舞台で、将棋の内容も熱戦であれば、それに越したことはなく、賞の選考ともなると特に有利に働く。

 今回の受賞は棋戦の設定、内容、それに長崎県西海市大島という対局地にも恵まれた。特色ある対局場所であれば、観戦記を彩る小道具にも困らず、文中に起伏がつけられるからである。なにはともあれ、熱戦を展開してくれた渡辺、佐藤両対局者には感謝、感謝。

 ところで注文をひとつ。私は俗物であるから受賞を親戚や友人に自慢、吹聴したい気持ちは十分あるのだが、”佳作を受賞”に違和感、ひっかかりを覚えてしまう。

 「文芸年鑑」によると、文芸賞、文化賞の類は200賞ほどあり、それぞれ大賞、最優秀賞などとして表彰している。しかし、佳作を入賞扱いし表彰している賞はただのひとつもない。大賞に該当作なしの場合、その次はおおむね「優秀賞」である。(新人対象の時は、奨励賞や新人賞が多い)

 つまり”佳作”とは、下に賞がついていないことからも解るように、賞ではなく、「選考対象にはなったが、入賞には及ばなかった作品」というのが世間的なイメージのように思える。

 将棋ペンクラブ賞は、難関なので受賞の価値は高い。私など今後もうありえないことだけに、多くの知人友人に授賞式に出てほしいが、声をかけるのにはばかりがあるのは”佳作”という字づら、音感ゆえである。せっかく表彰式まで行い、表彰してくれるのであるならば、大賞の次であっても、下に賞のつく、もっと響きのよいネーミングを検討してほしいと思う。

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将棋ペンクラブ大賞の賞は、大賞と佳作という組み合わせが17年間続いていたが、山田史生さんのこの提案により、翌2008年から”佳作”は”優秀賞”と名称を変えることとなった。

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この時の受賞作から抜粋を。

若さの余裕

渡辺竜王2連敗。挑戦者佐藤棋聖2連勝。将棋界では七番勝負のタイトル戦は過去200回以上行われているが、3連敗後の4連勝は一例もない。第3局で渡辺が敗れれば防衛確率はほぼ0%ということになる。従って渡辺にとっての第3局は正念場なのだが、長崎県西海市大島町へ向かう機中やバスの中でも普段通り、取材スタッフらと談笑して過ごし、悲壮感は全く感じられなかった。

 私には、こんな渡辺の姿が、十数年前の羽生善治とダブって見えた。

 羽生は平成元年、19歳で島朗から竜王奪取。しかし翌年、谷川浩司に1-4で敗れ失冠した。もちろん勝負師にとって敗戦はいつでも身を切られるほど悔しいことには違いないが、必ずまた奪い返せるとの若さゆえの自信と余裕があった。

 今回の渡辺も同様。今後共タイトル戦の常連であろうことは、これまでの実績から自負している。いまタイトル保持者であってもそれは永遠ではありえない。まして毎回一流棋士が挑戦してくるのだから勝ったり負けたりは日常のことで当然、ととらえている。まだ22歳、佐藤や羽生の世代より一回り以上も若い。何をするにも時間はたっぷりあるのだからあせる必要は全くない。

 一方の佐藤は前の週、棋王戦準決勝、A級ジュニ戦と重要対局2局をこなし、しかもここまで12連勝である。対局過多を気遣うむきもあったが、NHK解説で同行の青野照市九段は「棋士は勝っていれば疲れないものです。何の心配もありません」と語っている。

 さて対局は本シリーズ初の相矢倉の駒組みで開始された。

(以下略)

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謹んでご冥福をお祈りいたします。