島朗九段のルーツ

将棋世界1991年2月号、島朗七段(当時)の「待ったが許されるならば・・・」より。

 私が同世代での普通の人生、いわゆる進学コースを諦めたのは、奨励会に入った頃というより、高校入学の時だったと思う。

 当時二段になっていた私は、自分が四段になれないと考えたことはなかった。

 が、勝負の世界は一寸先が闇である。

 もし将棋が挫折した場合の保険として都立の進学校(新宿高や戸山高くらいが勝負だっただろう)に入っておいた方が有利ではないかと悩んだりした。

 子どもなりに迷った末、結局私は定時制の高校に進んだ。将棋の勉強をするには便利だったが、いわゆる普通の高校生(その学校には、芸能人くずれのようなまともではない若者も多かった)は、ほとんどいなかった。

 規則正しい、朝の授業。昼のお弁当。クラブ活動、ホームルーム。日曜日に駅の改札口で同じクラスの聡明な女の子と待ち合わせるデート。それが私の考えていた普通の高校生の毎日であった。

 自ら普通を捨てた私は、17歳、高校3年の秋に四段になった。プロになってまっさきにしたことは、高校への退学届を書くことだった。

 人間はいつでもないものねだりをするし、自分に都合良く考える。

 平均ペースで奨励会を卒業できた私はこれから始まる棋士生活の希望に燃えていた。その心の片隅で「あんなつまらない高校を選んだのは失敗だった。もっと青春すれば良かった」と、時々思い返すこともあったりした。

 反動は四段になってからやってきた。

 秋の女子高の文化祭めぐり。

 これにもこだわりがあり①偏差値60以上②制服のかわいいところ③ミッション系、を私が調べた上で小林(宏五段)君、富岡(英作六段)君と突入する。収穫期には1日2校廻った時もあった。

 夏の定番旅行。

 草創は18歳の時、神谷(広志六段)君と出かけた沖縄本島。経験不足ながら、それなりに女の子と仲良くなる。が、急所で「どうせあなた方も下心があって旅行に来ているんでしょう」と神谷氏が言ってはならぬことを言って、努力が水の泡になった。

 この時代に私がやっていたことは「青春の取り戻し」的行為である。20代前半になり、それは徐々にエスカレートしていった。

 スポーツの重視。

 体力をつけるのは良いことだ。将棋にもプラス。デートコースとしても健全。恋には体力も必要なことがわかってきた。

 合コンやパーティーの設営。

 とにかく一人知り合ったら、仲の良いうちに友だちをたくさん紹介してもらう。そのためには合コンが手っ取り早い。クリスマスやイースターには、積極的にパーティーを主催する。小林君や富岡君と打合せた、ただ一つのことは「将棋の話はしないこと」。

 情報の取捨選択。

 大学生が読むようなポパイ、ホットドッグプレスなどは卒業して、ワンランク上をめざしていた。

 私にとっての入門書はメンズ・クラブであった。この本はファッションだけでなく、知的ライフ・スタイルへの手引きにもなる内容がある(思えば洋服への執着もここから始まったのだった)。

 こう考えると、私の行動の規範は「同年代の男性は普通何をしているか」ということを常に意識しているようだ。やはり私も、棋士という職業に就いたとは言え、他人の眼と画一性を気にする同年代の最も普通の人間なのかもしれない。

 さて、後輩のなかでいかにも普通らしく、キャンパスライフを楽しんでいて、女の子ともフランクにつきあっていける雰囲気を持っているのは、郷田君、中川君、小倉君がベスト3であろう。それぞれ、上智、早稲田、慶応の学生で十分通用しそうだが、次のリレーエッセイは3人を代表して郷田君にお願いしようと思う。彼らしい優雅な文章を期待している。

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「お洒落な島朗九段のルーツが今明かされる」というような内容だ。

私は男子高だったので、テレビドラマに出てくるような高校生活ははなから期待はしていなかったが、気持ちはとてもよくわかる。

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上智にいそうな・・・郷田真隆四段(19歳)

早稲田らしい・・・中川大輔五段(22歳)

慶応っぽい・・・小倉久史四段(22歳)

という島朗七段(当時)の見立て。

たしかに、言われてみればそのような感じがする。

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それぞれの大学にはそれぞれのイメージがあって、そこにいる学生もその大学のイメージを色濃く持っている、というのは、当たっている場合もあるし、そうではない場合もある。

私が高校生の時、楠田枝里子さんが日本テレビの新人アナウンサーだった。

こんな綺麗な人は、どこかの深窓の女子大を出ているに違いない、と思い続けていた。

しかし、私が大学に入ってみると、なんと大学の先輩であることが判明した。

この時はかなりビックリした。

このケースは、その大学のイメージを全く持っていない例だ。

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湯川博士さん、バトルロイヤル風間さん、中倉彰子女流初段、金井恒太五段。

皆、違う学校を卒業しているように思えるけれども、全員、法政大学の出身だ。

それぞれタイプが異なっていて面白い。

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実際には、”校風”よりも”社風”の方が特徴があって、違いがわかりやすいのかもしれない。