団鬼六さんの好きな観戦記、嫌いな観戦記(中編)

近代将棋1994年4月号、団鬼六さんの鬼六将棋面白談義「酔いどれ三流文章論」より。

 僕はね、鈴木先生、文章というのはその人間の個性が滲み出るものだと思うのです。個性といっては堅苦しければ、クセといってもいいでしょう。加藤治郎先生は鈴木先生との対談の中で観戦記の一番、大事なのは面白くなければいけない、一番の要素はユーモアがなければいけない事。と、おっしゃっていますが、それは加藤先生のように感覚に振幅のある人ならユーモアを織り混ぜ、面白くするのは可能ですが、それのない観戦記者が無理にユーモアをひねり出して面白くしようとしたりすると、何やらブスが無理に色気を出して歯をむき出して来たみたいに気味の悪いものになってくる。僕は今の観戦記はもう一寸、一人一人の個性が欲しいとは思いますがむつかしくはないし、スラスラ読めるし、別に不満はないんです。先月号の将棋マガジン(3月号)かて観戦記の世界の特集でしたが、読んでいて結構、いい参考になりました。

 僕がこれまで読んだ観戦記の中で一番、嫌いやったのは―いや、僕は嫌いやったが、読者からの評判は相当によかったようで―それは以前、近代将棋に連載されていた金子金五郎先生の観戦記でした。将棋を何でこんなにむつかしく書かなきゃいかんのかと、こっちが頭が悪いのかもかも知れませんが、加藤治郎先生の観戦記ならスーと気持ちよくはいっていけるのに金子先生の観戦記は何やら硬質陶器みたいな感じでどうも入って行きにくいのです。

 今、僕の書庫から山口さんに取って来てもらった本がありますので、一寸、悪文の参考のためにそこから抜粋してみます。石原慎太郎の『亀裂』という初期の作品で、当時の文学青年の間では評判になったものですが、僕にはこんな文章、何の事やらさっぱりわからんですわ。

―陶酔の、その行為の瞬間に彼が感じる真実が、結局はその一瞬のものでしか有り得ぬという事への焦燥を同じ行為のうちで消しさる事を彼は無意識の上に願っていた―

 お前、何がいいたいのや、と腹の立つ文章ですが、もし、こうした文章を名人戦のような檜舞台に盗用しようとすれば出来ない事はないのです。

―名人戦、最終局、米長の4六角を見て中原は負けました、と、静かに一礼する。ああ、その時、米長の胸に去来するものは何か。陶酔の、その行為の瞬間に彼が感じる真実が、結局はその一瞬のものでしか―

 と、いった調子で、名勝負の名場面にくっつけこましたろかと思えば出来ないことはないのです。こういう名勝負になると既成の表現では出来ぬからわざとわかりにくい言葉にしてその場を蔽い隠してしまう。金子先生の観戦記にはそんな特徴がありました。いや、以前は何かいわくありげで、むつかしくて、ややこしい観戦記が見受けられたものです。石原慎太郎や大江健三郎などが文壇に華々しく登場した時は彼等の表現のみずみずしさが青年層に衝撃を与えて、その文章は色々な形に流用されたものです。

―自分自身はもとより如何なる他の人間も予見しえぬ、概念的に予見したとしても無意味な、ここにあるのではない棋士という名の人々―

 いや、いくら何でもこんな文章を書く将棋ライターが今、いたならばアホ扱いされますわ。これは大江健三郎の文章で、最後のくだりは棋士ではなく宇宙につづくわけですが、その宇宙を棋士に置きかえたって何やら通じるわけで、結局、大江健三郎のいいたい事は未知の世界の宇宙という事。それをわざとこういうややっこしい、いい廻しにしてしまいよるのです。しかし、昔はこういう文章が文学青年層には大いに受けたわけで、また、大江、石原が活躍しとった時代ですから金子先生の観戦記も文学的ニュアンスがあるとして好評だったんやないかと思います。いや、ほんま。今の観戦記はそういう妙なくせがないので助かります。

(中略)

 今の観戦記者とは顔を合わせて一緒に飲むという事はそんなにないのですが、彼等の書いているものは毎月、楽しく読ませて頂いております。観戦記論というのがあるとするならば僕はそれに関しては全くの素人なんですから、ほんとの所、あまり口をはさみたくないのです。そういえばこの間、観戦記者の大御所、東公平先生の自宅へ、許せない事があって久し振りに電話したのです。といっても、彼の観戦記にいちゃもんをつけたのではないのです。

 「タコつぼからタコが出て来ないじゃないの。タコつぼからタコをつかみだすにはどうすりゃいいのよ」

 いや、このタコとか、タコツボとか、僕がいらいらして彼の所へ電話したのは彼がタコ料理の店を出したのではなく、彼は『タコツボ』という新しいゲームを開発したんで試作品を僕に進呈してくれたのは有り難いのですけど近所の小学生を集めて遊んだところ、最近のガキは生意気で、このゲームは不完全作やと僕にいちゃもんをつけて来たんですわ。

(中略)

 こんな風に東先生とは観戦記については語り合った事はないけど、タコツボについてはむきになりかけた事があり、これは双方の持つ幼児性が原因している事は確かで、いい年こいて何がタコ協会の会長や、と人に笑われても私は会長に任命されたのが嬉しくて仕様がない。大体、観戦記者というのは東先生みたいに幼児性の濃厚な人が多くて、幼児性があるという事は遊びに関してはムキになる事があり、その対象がタコであったって一向にかまわないわけであり、これは観戦記という遊びに飽きてタコと遊び出したという見方をしたって東先生は怒らはらしませんやろ。

 僕はね、観戦記者は何も仕事を堅っ苦しく感じずに遊ぶ気持ちで観戦記書いたらもっと面白いものになるやないかと思います。

(明日に続く)

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以前、私がチーズをおかずにご飯を食べること(誰でもやっていることと思っていた)を人に話したら、ほとんど全ての人から「信じられない、気持ち悪い、何考えてんの」と言われて、逆に私が驚いてしまったことを書いた。

その逆が、麦茶に砂糖を入れて飲むこと。

私が東京に出てくるまで、仙台の家で飲む麦茶には必ず砂糖が入っていた。

しかし、大学に入って東京に出てくると、麦茶は甘くないものばかり。

仙台人は見えっ張りな気風があり、東京で田舎者と思われたら恥ずかしいという思いが強いので、とても「何で東京では麦茶に砂糖が入っていないのですか?」などとは聞けなかった。

自分の家が変わっていたんだ・・・

それから15年。

同じ職場の人10人くらいと飲んでいた。

誰かが「麦茶って、昔は砂糖入れて飲んでたよね」と言った。

「エッ!!!」と思ってその人の顔を見ると、東京都大田区出身の男性。

「えっ、うっそー、信じられない」と東京都三多摩地区出身の女性と静岡県出身の女性。

「あっ、ウチの実家でも砂糖入れてました」と群馬県出身の男性。

「ボクも東京の麦茶に砂糖が入っていないの不思議でした」と北海道出身の男性

「えー、入れないでしょう、普通は」と兵庫県出身の男性と福岡県出身の男性。

そこで私はおもむろに、「関東以北は砂糖を入れることが多く、関東以西は砂糖は入れないのかも・・・」

”麦茶に砂糖を入れて飲むような誰にも言えないことを長年やっていた”という私の10数年間続いていた呪縛が解けた瞬間だった。

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そして、「麦茶に砂糖」が決して変ではないことに気がついた時よりも、更に大きな安堵感を得ることができたのが、今日の団鬼六さんの文章だ。

私は中学生の頃から今に至るまで、故・金子金五郎九段の書くものは読みづらいと感じていた。

良く言えば読むのに努力が必要な内容、ストレートに言えば私にはわかりづらくて面白く感じられないと。

しかし、『金子教室』をはじめとして、金子金五郎九段が書くものの評価が非常に高いということは知っていた。

「私の感性が変なのか、それとも私はやっぱりバカなのか」と思い続けて数十年。

今日の団鬼六さんの文章を読んで、本当にホッとした。

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昨日も書いたように、あくまで読み手側の好みの問題なので、人によって一つの観戦記についていろいろな感じ方があるという一例のお話でした。