森内・渡辺物語(前編)

あれは10年前の6月のこと。

湯川博士・恵子夫妻の結婚30周年のお祝い宴会・演芸会が埼玉県森林公園の温泉施設で行われることになり、湯川夫妻と縁のある50人ちかくが招待された。

朝霞チェスクラブで湯川博士さんのチェス仲間だった森内俊之名人(当時)と羽生善治竜王(当時)にも5月中に招待状が出されていた。

あいにく羽生竜王は当日予定が入っており、湯川さんへは参加できない旨および結婚30周年を祝う丁重で心暖まる手紙が届いた。森内名人からは参加の返事。

この時、森内名人と羽生竜王は名人戦で戦っていた。

湯川さんへの返事が届いた数日後に行われた第4局。

羽生竜王が森内名人に勝って名人位を奪取、4勝0敗のストレート勝ちだった。

2003年6月 森林公園温泉施設

湯川博士・恵子夫妻の結婚30周年お祝い宴会・演芸会は、貸し切りバスで森林公園へ向かうという日帰り旅行風。

当日の朝、池袋集合。

森内九段(当時)は当時新婚の奥様に見送られバスに乗ってきた。

池袋の隣の目白にある学習院大学で教鞭をとる奥様が、出勤前に付き添ってきたのだろう。

バスが発車したあともずっとバスを見送る奥様の姿が印象的だった。

森内九段はバスの中では若手のチェス仲間たちと静かに談笑していた。

ちなみに、乗った貸切バスのバスガイドは湯川さんのお嬢様。観光バス会社に勤務する本職のバスガイドであり、バスの中ではバスガイド芸を十分に見せてくれた。

温泉施設に到着すると、まずは入浴や自由行動。13時から宴会・演芸会が始まった。

演芸会は元・将棋ペンクラブ幹事で出版社勤務の長田さんのプロデュース。湯川博士さんの大学時代の同級生の落語、若手女性浪曲師(現在の玉川奈々福さん)の浪曲、長田さんの落語、バトルロイヤル風間さんの似顔絵コント、そして湯川博士さんの落語初デビュー。

アマチュアとはいいながら面白い芸が続く。

森内九段も屈託なく笑っていた。

名人を失冠してから2週間、気持ちが沈んでいるのではないかと気にしていたのだが、楽しんでいる森内九段の表情を見て、私も嬉しくなった。

ところで、この時の演芸会で十分な手応えを感じた湯川さんは、「将棋寄席」をやってみようかと構想しはじめる。

第1回の「将棋寄席」が開催されるのは、それから1年半後の2004年12月のこととなる。

2003年秋 竜王戦

無冠となった森内九段だったが、この期の竜王戦で快進撃を続ける。

決勝トーナメント準決勝は対谷川浩司九段戦。

8月下旬の日曜日、関西将棋会館で対局が行われた。

どういうわけか、私はこの時のネット中継の手伝いを少しだけしている。

そして、9月の竜王戦挑戦者決定三番勝負は、中原誠永世十段と森内九段で行われることとなり、2勝1敗で森内九段が挑戦者に。

七番勝負第1局はホテルニューオータニで行われた。

二日目夜の控え室を少しだけ覗いたが、ものすごい人の多さと熱気だった。

その日はすぐに新宿に飲みに行ったと記憶している。

この期の竜王戦七番勝負は、森内九段が4勝0敗と、名人戦の借りを返す形で羽生竜王に勝ち、竜王位を奪取する。

2004年 王将戦・名人戦

森内竜王の進撃は、ここから加速度を増す。

年が明けての王将戦七番勝負では、森内竜王が羽生王将に4勝2敗と勝利、王将位を獲得。

名人戦では羽生名人に4勝2敗、名人位を奪還する。

1年間で羽生竜王名人から森内竜王名人に入れ替わった形となった。

この頃、私は考えた。

森内・羽生の差は何だったのか。

それは、2003年6月の森林公園の温泉施設で、湯川博士さんの落語やバトルロイヤル風間さんのコントを見たか見なかったかの差だ。

これは運命としか言いようがない。

あの演芸会がタイトル獲得の原動力の一つになっているのではないか。

2004年10月 ソウル

この期の竜王戦挑戦者は20歳の渡辺明六段(当時)。

第1局対局場はソウルの新羅ホテル。

韓流ドラマで数多くロケ地となっているホテルだ。

第1局のスケジュールに合わせ、友人から一緒にソウルへ旅行しようと誘われていたので、私も行くことにした。

私がソウルに到着したのは、友人たちに遅れること1日。第1局の一日目の夕方に合流した。友人たちは前の日、前夜祭に参加していたとのこと。

その夜は、地元の人しか行かないような焼き肉を中心とした韓国料理の店へ。

ソウル二日目。

ソウルへ行ったら、読売新聞のOさんと夜遅く、軽く飲もうということになっていた。

14:00頃、新羅ホテルの控え室へ挨拶に行く。

今の私からは考えられないことだが、細かいことは調べずに現地へ入ったので、立会人が加藤一二三九段であること、窪田義行五段(当時)も普及業務などで訪韓していたことを控え室に入って初めて知る。

和服姿の加藤一二三九段が一人で継ぎ盤(六寸盤)に向かって検討をしていたが、駒を動かす(打ちつける)時の迫力にはビックリするとともに感動してしまった。

将棋盤をはさんで向かい合ったら、もの凄いオーラが飛んでくるのだろうなとも思った。

控え室は30分ほどで失礼して、大盤解説場へと向かった。

BS放送担当の深浦康市八段(当時)と中倉宏美女流初段(当時)による大盤解説会だった。

2004年12月28日 南魚沼市・東京 

12月27日、28日に行われた竜王戦第7局、渡辺明六段が森内竜王に勝って竜王位を奪取。

この知らせは、対局場であった南魚沼市の「龍言」にいた関係者から第1回将棋寄席の楽屋にいた中原誠日本将棋連盟会長(当時)の携帯電話に伝えられた。

森林公園での演芸会が基となった「将棋寄席」が生まれた日と渡辺明竜王誕生の日が同じ日になった瞬間だった。

(つづく)