将棋世界1995年1月号、武市三郎五段(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば……」より。
94年4月に結成された「キングスOB野球チーム」(20年前、キングス発足時のメンバー構成)の第2戦は、初戦と同じく、4月に叩いた若手の現役キングス。
でも、今回はOBのエース、有野六段が欠場とあって、現役の鼻息も荒く「もし負けたらキングスは解散」のゲキが中川監督から飛んだとか。
古株と若手は以前から対戦はあった。将棋と違い、負けた覚えは一度もなく、常に若手キングスには、楽に勝てるの印象が強かったが。
この日はいつものハデな展開ではなく両軍0の行進。双方、ピンチの連続も、投手が踏ん張り、エラーもほとんどなく、この対戦にしては珍しい息詰まる好ゲームだった。
そして最終回。無死のランナーを三塁に置いて、中川監督みずから放った気迫の一打は、貴重な決勝点をたたき出したボテボテの内野ゴロ。
かくて、若手キングスは今年も健在。OBにとっては初黒星となったわけだ。いくら好ゲームでも、結果がものを言うこの世界、留守だった有野さんの能書きが想像されて、今から耳が痛い敗戦。
ヒーロー、中川君。昨年の7月号のこの欄で「40代になっても、少年のような気持ちを失わずに野球を続けていきたい」とあった。平均年齢40歳強のOBチームを見て、彼の目にはいったいどんな感じに映ったのだろうか。
私も、中学の時、野球を取るか将棋かで迷ったこともあるほどで、今、その二つが職業と、一番の趣味になっていて本当に幸せものの野球バカ人間。中川君の言葉を借りれば「50代、60代までも…」。
20年前の野球部員は、今のキングス部員と違って、将棋で活躍する棋士はほとんどいなかった。(私の記憶では)野球部所属の奨励会員も同じで、何年も野球部から四段が誕生できず「野球指し」と呼ばれた時期もあったほどだ。
その状況を見かねたのが、キングスの名付け親で、「黒い弾丸」の異名を持ち相手チームから恐れられていた、キングスの盗塁王の剱持八段。
キングス最年長だった剱持先生は、野球部の奨励会員を集めて、将棋と人生を勉強する会、「剱持教室」を開設して、指導を含め、面倒をみてくれました。
新宿西口の将棋道場に、昼間は将棋の特訓、夜は酒席でたらふくご馳走と、奨励会員だった私には有り難い一時でした。
今にして思えば、キングスOBは、「剱持教室」の同窓生と言っても過言ではないのです。剱持教室は、先生の「野球は引退」と同時になくなりましたが、OB達にとって、懐かしく、楽しい思い出に違いありません。
代わって、野球部の将棋教室を開いてくれたのは、当時監督だった田丸さんと新婚間もない(たぶん)沼四段(当時)でした。田丸教室の恒例は、将棋のあとの焼肉バイキング。沼教室は、沼さん直々に買い出しに行く、沼家特製のカレーライス。何やら食べるしか楽しみはないようだが、この焼肉とカレーは忘れることのない青春の味である。
また、両先輩には自宅でお世話になった訳で、奥様や子供達にまで、多少なりとも影響があったはず。と、今ではつくづくそう思えるが、三段でくすぶっていたあの当時は、自分以外の人は、みんな幸せそうに見えて、先輩の好意をごく当然のように受けとっていた節もあり、恥ずかしい限りだ。
「貧すれば鈍する」になってはいけない。将棋だってそう。こちらが苦しくても、決して相手は楽じゃないんだから。ちょっと意味合いは違うが、この教訓はこれからの人生にも肝に銘じている。
さて、その二つの教室が閉会したのは15年ぐらい前だったろうか。みんなが年齢を取り、散り散りばらばらになった感じ。それから数年がたち、キングスもすっかり新旧交替し、若手に引き継がれたわけだ。
ところで、今のキングスは、野球部と題打った、奨励会員のための教室はあるのだろうか。本来なら、沼教室のあとはだれが引き継ぐべきだったんだろうか……。
私は先輩から恩恵を受けて(将棋教室に限らず)いまだにそれを後輩に返していない人間。ここまで、自分優先の考えできたのも本人が一番よく知っている。でも、正直言って後輩のことをないがしろにしてきた訳ではなく、常に気がかりだった。
こんな話を家内にすると、「今の若い人は裕福だし、アンタと将棋を指しても勉強になるの?」何とも都合のいい考えだこと。うちのカミさん、きっと長生きするワ。
明日は、若手キングスが私の家の近くで練習日。連絡係の飯塚君に、出席すると返事してある。家内は、コーヒーとサンドイッチを持っていくとか。今日の昼間、美容院にも行ってたっけ。
私は、これから先も、偉大な先輩方の真似は出来ないかもしれないが、ノック用のバットに、今までの感謝の思いも込めて、明日は手にマメができるまでバットを振るつもりだ。
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武市三郎七段の文章は、淡々としたユーモアの中にペーソスが含まれているのが特徴。
武市七段が丸田祐三九段に弟子入りした奨励会時代の話を読んでも、笑いながら涙が出そうになるという感じだ。
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剱持松二九段は、将棋会館建設、テレビ東京「早指し将棋選手権」創設の際などに大きな貢献をしているが、このような分野でも活躍をしていたことになる。とても素晴らしいことだ。
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故・芹沢博文九段は、先輩にご馳走になったカツ丼の恩は一生忘れないものだ、と書いているが、田丸昇九段の焼肉バイキング、沼春雄七段の特製カレーライスも、若手棋士や奨励会員にとっては本当に良い思い出になっていることだろう。
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それにしても、武市七段の奥様も、とても面白くて魅力的な、いい味を出している。