桐谷広人六段(当時)の決断

将棋世界1994年8月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館」より。

 お腹も空いたので、同じく取材に来ていた桐谷さんを誘って外に食事に出た。

 桐谷さんも昨日から林葉情報を集めていたそうで、全く知らなかった話も訊かせてくれた。

 雑誌等の原稿は出版社に迷惑をかけないよう、事前に手を打っていたようだ。

 そう考えると、発作的ではあるが、かなり準備していたとも考えられる。

 とりとめもなく、将棋界の体質等の話にも及んで食事を終えた。会館に戻る、という桐谷さんとはここで別れて、私は帰る事にした。何となく戻る気にはなれない心境だったのだ。

 真っ直ぐ帰る気にもなれず、なじみのスナックに顔を出した。

 そこの、ホステスの人達と話をしていると気持ちも晴れるような気がしたから不思議である。

 欧米のようなサイコセラピー(精神療法)が日本にないのは、ホステスさんがいるからだ、と言った作家の人がいる。

 本当の所は判らないが、確かにそんな気もしてくる。

 「原稿って大変でしょ」と訊かれ、

 「文章が浮かびに浮かび指がついていけない」とバカな事を言っていれば、非才の苦労も半減してくるのだ。

 日本の男社会の知恵に感謝しながらも、女性はどうしているのだろうかと酔った頭で考えていた。

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将棋世界1994年8月号、桐谷広人六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

 テレビのワイドショーやスポーツ紙などで盛んに報じられているとおり、林葉は6月10日の高橋戦も不戦敗となった。

 将棋連盟は林葉が復帰の意思表示をすればいつでも対局に復帰できる旨を発表したが、対局の進行に合わせて不戦敗がついていくので、一日も早い復帰を望みたい。

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将棋世界1994年9月号、桐谷広人六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

  6月の連盟発表では、林葉は復帰の意思表示をすればいつでも対局可能となっていたが、情勢が変わったようで、林葉は7月に日本へ戻ってきたものの、名人リーグは全局不戦敗と決定した。来期B級からの出直しは辛いが、ファンのためにも挫けず頑張ってほしい。

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将棋世界1994年9月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。

 異常と思えるほどエスカレートした林葉直子ちゃんの失踪騒動。手記やら、緊急帰国の記者会見やらでバタバタしたが、まあ無事だったんで、それが一番良かったし、ひと安心。

 連盟サイドも10月まではペナルティを課したようだが、倉敷藤花戦からの現役復帰を認めたようなので、これもファンにとっては嬉しい限りだろう。やはり本人の一番好きな道は将棋のはずだし、心配をかけたファンに対する最大の「お詫び」は駒を持つこと。とにかく頑張るしかない。そうそう、今回のこの騒動で、将棋界に脚光が当たったことは皮肉だったかもしれない。羽生新名人が誕生したことは棋界にとって衝撃的な出来事だったが、新聞・テレビはそれほど取り上げてくれなかった。それが林葉失踪には連日取材陣殺到である。

 ほんとにスポーツ新聞の一面を賑わすのだからびっくりを通り越してただただ唖然とするばかり。おかげで今日は何が載っているかと、欠かさずスポーツ新聞を買うようになった。

(以下略)

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将棋世界1994年9月号、内藤國雄九段の連載エッセイ「初手と心理作戦」より。

 現代において、初手の変わった手を追求した第一人者は林葉直子である。彼女の3六歩は有名だが、一手目に、あらゆる筋の歩を突くと宣言して実際に行った。ただ角頭の歩だけはさすがにやれなくて、7六歩、3四歩、8六歩と指しているがこれは止むを得ないことだろう。歩を一通り突き終えた彼女は、今度は初手5八玉という誰もやったことのない(やれない)手を指した。(これに対し相手は三間飛車にしたが、同じ振るなら中飛車がベター。先手方としては玉の移動を図ると一手損になる。しかし中飛車が不得手な相手なら中飛車に誘導して十分ともいえる)。林葉さんが変わった手を指すのは、特に心理作戦といった意味でないのは明らか。可能性の追求といえばある程度当たっているようだが、それより「遊び心の現れ」くらいがぴったりする感じである。しかもこれを公式戦で実行し、タイトルまでとってしまうのだから大した才能だと思う。真面目人間は遊びといえば不真面目ととりそうだが、将棋そのものが一つの遊びである。遊び心の欠如は将棋をつまらなくしてしまう。豊かな遊び心が将棋を盛り上げ楽しくさせるのである。

 ところで、今や彼女のことでマスコミは大騒ぎしている。将棋の棋士がなにかと話題になる昨今だが、今回はまた格別である。

 将棋界にとって得難いスターである彼女の一日も早い復帰を願っている。将棋への情熱を失わなければ、少々のブランクや騒ぎなどは大丈夫、いやかえってプラスにすることも可能だと思う。

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将棋世界1995年2月号、桐谷広人六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

 私事で恐縮だが、3年近く書かせて頂いた本欄の担当を降ろさせて頂くことになった。

 2ヵ月前の本誌のエッセイで作家の山村正夫先生も述べておられたが、林葉さんを巡る騒動で、将棋界の在り方に私も少なからず失望した。林葉さんの休養願いの出し方に問題があったとしても、同じ将棋界に生きる人達が、どうして彼女にもっと温かく接することができないのか?将棋連盟の中にいて、いろんな事を見聞きしている私は、ストレスが溜り、原稿のペースも落ち、なかなか締め切り通りに仕上がらなくなった。編集長に慰留され今月まで書かせて頂いたが、後任に泉六段が決まったので、来月から彼独特の面白い文に期待して頂きたい。私の文にお付き合いくださった将棋ファンの皆様に感謝します。

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林葉さんにも脇の甘いところはあったが、様々なボタンの掛け違いで、休養願い提出報道であるべきところが失踪報道として独り歩きしてしまい、芸能マスコミがこれを格好の餌食として徹底的に煽りかき回したという図式。

林葉さんにも連盟理事会にも悪意はなかったものの、結果的には味の悪い展開となってしまった。