将棋世界1994年8月号、河口俊彦六段(当時)の第64期棋聖戦〔谷川浩司王将-羽生善治棋聖〕第1局観戦記「谷川の錯覚」より。
本題に入るが、将棋の話がこれまたしにくい。
そもそも「横歩取り戦法」が判りにくいのだ。どこからどうやって戦いが始まるのか見通しが立たない。中盤で1図のような局面が現れた。
〔1図以下の指し手〕
△7四飛▲5六飛△2四飛▲7五歩△2三銀(2図)この5手の応酬も訳が判らない一例である。1図で△2三銀と上がれば、2図と同じような形になるではないか。なぜ、△7四飛とやり、また△2四飛と戻る手損をするのか。
△7四飛は、▲7五歩を嫌ったもの、といった類の解釈では済ませられぬものを感じる。なにか、私達には見当もつかぬことを考えているに違いないのだ。副立会人の前田七段と顔を見合わせ、「判るかい」「判りませんねえ」と言うばかり。
名人戦の第3局と第4局が行われる合間に、谷川対羽生戦(竜王戦)があった。羽生が3連勝した後である。
その対局で、羽生は△6二銀という手を指した。多くの読者がご存知と思うが、念のため、手順を言うと、先手谷川の▲7六歩に対し、後手羽生は△6二銀と上がったのである。以下、▲2六歩△3二金▲2五歩、という展開になった。
序盤のセオリーの一つに、自分が飛車先の歩を交換したら、相手にも交換される。飛車先の歩を交換できないのなら、相手にさせない、がある。
羽生の△6二銀は、相手に飛車先の歩を交換させ、自分は出来ない、という点でセオリーを無視している。なぜこういう手を指すのか。まず損をしたその先に理想の駒組みがあるのだろうが、それがどんなものか見当がつかない。
発想が、根本のところから人と違うのである。△6二銀は、たまたま見つけやすい場面で現れたが、中終盤あらゆる場面で、こういった発想の手が指されているのだろう。米長も谷川もその発想の違いの部分で敗れていると思われる。
そういうレベルに羽生の将棋は達している。うっかり指し手について、言う気になれないのである。
(中略)
夕食休みのとき、劇画「月下の棋士」の作者の能條純一さんが観戦に見えた。名人戦第5局を観に行ったとき、「次の、羽生と谷川の大戦が絶対におもしろい。△6二銀なんていう手を指された上に負かされ、その夜谷川はひどく酔ったそうですよ」なんて言って誘ったのである。
「月下の棋士」はあいかわらず好評で、初めは2年連載の予定が、4年か5年に延びると聞いた。
局面はようやく考えやすくなった。
3図は、夕食休み直前の局面で、羽生が△6四角と反撃したところ。これなら考えてみようの気になる。
3図から、▲8三角成△8六角▲7二馬△6四角▲6一金△5一銀▲同金△同玉▲6三馬(参考図)は先手勝ち。角が逃げれば、▲5二銀と打って詰む。
では谷川勝ちかと言えば、そう簡単でない。
〔3図以下の指し手〕
▲8三角成△8五歩▲同飛△同飛▲7二馬△8四飛▲7九金(4図)角成りの瞬間、△8五歩が好手。以下△8四飛までとなった形は、参考図の2五飛が、8四飛となっている理屈だ。それなら6四の角にヒモがついて受かっている。
綱渡りのような手順だが、絶頂期、最盛期にある者の将棋にはよくこういう手が現れる。
ここで谷川も意地を見せた(と思いたい)。そっちが新感覚なら、こちらも負けないぞ。▲8五金なんていう俗手は指すもんか、とばかり▲7九金。
控え室では、みんな「へぇーッ」と言ったが、誰かがいわく「30歳前の谷川さんだったら、絶対にこんな手は指さなかったね」。それは言える。
〔4図以下の指し手〕
△7四歩▲6五桂△8七飛成▲6一金△7三銀▲8二歩△3七歩▲同桂△2九飛▲8一歩成△8六角(5図)金を引いたからではないだろうが、また渋い展開になった。△7四歩は駒の逃げ道を作ったもの。
私はまたぼんやりしていた。▲8二歩から予定通り進むというのはつまらないものだ。そうしているうち、△8六角(5図)の場面が現れた。
これを1分か2分ばかり眺めているうち、私の内心でささやくものがあった。ポカが出るぞ!と。私は思わず「すぐ終わる」と叫んで対局室に行った。
〔5図以下の指し手〕
▲7三馬△6八角成▲同金△4九銀(投了図)まで、羽生棋聖の勝ち。久し振りに私のカンはよかった。対局室の盤面を見ると、△6八角成が指されており、谷川は手洗いに立っていなかった。気のせいか、羽生は笑いをこらえているように見えた。
△6八角成を指されたとたん、谷川は自分の見損じに気がついたのだ。そのショックで席を外したのだろう。「月下の棋士」にもこんな場面があった。
私はトイレのそばに立って谷川の顔を見ようと思ったが、そこまでは出来なんだ。
谷川は戻って▲6八同金と取り、△4九銀と打たれて終わった。あっさりとしたもんである。
どうして錯覚が生じたか。理屈をつけようがないが、強いて言えば、6四の角を働かそうとするとき、△4六角と銀を取ることを考える。その先入観があるところに、△8六角と逆方向に出られたから、というくらいの事はあろう。ともあれ、名古屋空港に着陸しようとしていたときの、中華航空機のコックピットの有様みたいなもので、本当のところは判りっこない。谷川は「負けとあきらめていました」と感想戦で言っている。
控え室は空っぽになった。
日浦六段が「金を引けば、飛車に成られる。銀を取ろうと金を打てば逃げられる。みんなちぐはぐだ」と呟いた。
本局の総括はこれで尽きている。
(中略)
話はちがうが、アメリカの女流バイオリニストのリサイタルに行った。終わると慰労のパーティーがあり、物珍しさもあって、それに顔を出した。
ごく内輪の20人ばかりの集まりだが、これは将棋が終わったあとの打ち上げと同じだ、と思った。ただし、こちらは、若く美しい女性が多く、しごく上品な雰囲気である。外国人が半分なので、会話はほとんど英語。なにを話しているのかしらないが、きっと美辞麗句が飛び交っているのだろう。チェリストの、ヨーヨーマがいて、これからさる宮家で演奏するとも聞いた。優雅な世界というのはあるものだ。
我が打ち上げの会は……どうもね。華やかさがない。
谷川は長老と共に奥の席に坐り、入口に近い方に羽生がいる。近くに、中井さんや先崎六段。羽生のとなりは森九段で、にぎやかにやっている。人の動きもあって、ちょうど、羽生のとなり席が空いたので、能條さんに座ってもらった。
そこでの即席インタビューが、ビッグコミック・スピリッツの1頁の羽生新名人誕生の記事になった。林葉さんに吹っ飛ばされ、週刊誌の新名人の記事はこれだけだろう。
やがて谷川が引き揚げ、会場の人は半分くらいになった。羽生は残っている。私もそちらに席を移した。観戦記を書く者は、ここからが勝負である。話を将棋の方に持って行かなければならない。
「谷川君はどこを錯覚していたのかねえ」
と私は切り出した。
すかさず森が、
「詰みをうっかりしたのに決まってるよ」
羽生は「ご想像にまかせます」と笑った。
「先崎君はどう見る?」
「えっ?△3九金。それですよ」
投了図の解説を忘れていた。
以下▲6九玉は、△8九竜▲7九歩△3八銀成▲5九桂△同飛成▲同玉△7九竜▲6九銀△4八金まで。▲6九玉で、▲4八玉は△3八銀成▲同玉△3九金。先崎が言ったのはこのシリ金である。
「▲7三馬で、▲7七歩△同角成▲3九桂なら難しいっていうのは、ホント?」
「そうだろうけど、そんな気になれないよ。△6四銀と逃げられちゃうんだもの」森が答えた。
羽生も「そうでしょうね」とうなずいた。
ここで私の連れの編集者が余分なことを言ってくれた。
「河口さんはこのごろ怒りっぽいんですよ。伊香保に行ったときも(名人戦第5局)矢倉だったので、平凡な形を指す、とブツブツ言ってましたよ」
まずいな、と思ったが、羽生は笑って聞いている。盤を離れると、人が変わって快活な青年になるのだ。この機会に、と思い、
「あの△6二銀はどうして指す気になったの」
「いや、あれは考えてあった手です。でなきゃあ指しませんよ」
きっぱりと言った。
「それで構想通りになりましたか」
編集者氏が聞いた。
「全然だめでした」。照れくさそうに頭に手をやった。
羽生の新感覚で気がついたことがある。それは負けたときの形作りである。
名人戦第5局がよい例だが、最後まで頑張るが、局面が読み切れる範囲になり、どうしても自分が負けと読み切ると、わざと将棋を壊してしまう。
第5局の△3八金に対して、▲1八飛がそれで▲同飛と切ればぎりぎりの一手違いになるのを、わざと大差にしてしまう。それは、陸上の投擲の選手が、距離が出ないと知ったとき、自らサークルの外に足を出し、ファールにして自分の記録を消してしまうのに似ている。まったく不思議な感性である。
10時を回り、そろそろお開きの時間になった。奥の席から、車を待つ、加藤、原田、両大長老が移って来た。
「あの漫画、題名はなんていうのだったかな」
加藤先生が言うと、原田先生も負けずに、
「私しゃ、60年ぶりぐらいで漫画というものを読みました。いやあ、巨匠はたいしたもんだ」
健康で長生きするには、まず新しいものに対する好奇心が必要と教えられる。
羽生が「明日は早くから取材があるので」と言って帰り、私達もロビーに出た。能條さんは浮かぬ顔である。氏は谷川ファンであり、出来るものなら慰労の会をしたかったのだ。
あんな負け方をして、一人部屋にいるのは辛かろう。ためらう先崎君に無理を言って、谷川の部屋に電話をかけてもらった。
「出かけて、いないようですよ」と言いながら先崎君が戻って来た。なんとなくホッとした。同じ想いの人が他にもいた。明日の二日酔いがひどければひどいほど、早く立ち直れるというわけだ。
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1図からの5手の応酬など、それぞれの手の意味を解説するよりも、河口俊彦六段(当時)が書いている「そういうレベルに羽生の将棋は達している。うっかり指し手について、言う気になれないのである」というほうが、より実感として伝わってくる。
この辺が、河口流のうまさだ。
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この対局は、東京・永田町のキャピトル東急ホテルで行われている。
そのようなこともあって、加藤治郎名誉九段、原田泰夫九段、森雞二九段、先崎学六段(当時)、中井広恵女流名人(当時)、能條純一さんなど、賑やかな顔ぶれとなっている。
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キャピトル東急ホテルは現在のザ・キャピトルホテル東急、昔の東京ヒルトンホテル。
古くはビートルズ、『007は二度死ぬ』撮影時のショーン・コネリー、1980年代以降ではマイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイなどの海外ミュージシャンが宿泊したホテルとしても有名だ。
ジャイアント馬場さんも、このホテルのコーヒーハウス「オリガミ」で食事をすることが多く、若手選手などもたくさん連れてきている。
キャピトル東急ホテルのある場所は、以前は、北大路魯山人が主宰した会員制料亭「星ヶ岡茶寮」が建っていた。
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羽生善治五冠(当時)が、明らかに負けとわかった将棋は、わざと大差に負けてしまう、という視点も面白い。
名人戦第5局図以下は、▲1八飛△8八歩成▲5九玉△7八と寄までで羽生四冠(当時)は投了している。
今もそうかどうかはわからないが、負けと自覚している将棋を、相手の間違いで勝ちにしてしまうのは味が悪い、という考え方だったのかもしれない。
羽生名人は、「勝ちになったと思った局面は?」という質問をされて、相手の投了数手前の局面と答えることが多い。
かなり控え目というか、アマチュアから見ても「この辺で羽生名人の必勝形だろう」と感じる局面の数手後であることが多い。
これを裏返すと、勝ちになったと思う局面が相手の投了前ギリギリの所であれば、本当に負けとなった思う局面も自分の投了前ギリギリの所、と考えることができる。
羽生マジックが出る由縁も、この辺にあるのかもしれない。