将棋世界1995年7月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
勝てば対局数が増え、対局数が増えれば勝ち星も増える。これ物の理屈というものだが、当然本欄も、景気のよい人ばかりが登場することになる。
景気のよい御三家といえば、羽生六冠王は別格として、谷川、森下、佐藤(康)の面々。佐藤前竜王はゲンダイの勝ち抜き戦で三人抜いており、今日の対窪田戦は四人目だ。その窪田君も好調なのは毎回お伝えしている。四段になって伸びた典型的な例だ。
というところで、佐藤(康)対窪田戦から。
4図は先手が▲5六銀と上がったところだが、これは△6五歩の仕掛けに備えたもの。ここで注意していただきたいのは▲9七香と逃げてある点で、これが後に大きな得になる。
なお、4図▲5六銀で、▲4六歩と突く形は、△6五歩▲5六歩△7三桂となるが、これは▲9七香がマイナスになる。そういったくわしい事情は「スーパー四間飛車」その他の定跡書を参照されたい。
4図以下の指し手
△7二飛▲7八飛△5五歩▲4五銀△7五歩▲同歩△同飛▲3四銀△5六歩▲同歩△3三歩(5図)△5五歩に対して▲4五銀。さらに△5六歩に対しては▲同歩と、窪田君の指し方は大胆不敵。アッ!と思ったときは△3三歩で銀が死んでしまった。
▲4五銀から▲3四銀と一歩かすめ取るのを「玉頭銀」と言うそうだが、アマチュアはこれを怖がる。プロも同じだが、銀が出て行く方も怖い。単騎突入だからだ。加藤一二三さんにこれをやったら、いいカモにされるだろう。窪田君がやるからには、事前に研究してあった。でなければ、▲5六同歩とは取れない。とりあえず▲4六歩など銀を助けようとするはずだ。
佐藤前竜王も△3三歩と打つときは、なにをして来るのか、いぶかしく思ったに違いない。5図の形、実戦にありそうで、実は見たことのない形である。
5図以下の指し手
▲6五歩△同飛▲2三銀成△同玉▲5五角(6図)この形は実戦に使えそうなので記憶して下さい。先手のこれからの指し方は明快でやさしい。
まず▲6五歩と突く。これは角をさばいて敵の飛車を抜く手筋。たとえば△3四歩なら、▲2二角成△同玉▲7五飛でうまい。また△7七飛成も、▲2三銀成△同玉▲7七飛で先手がよい。
だから△6五同飛と取ったのは当然。佐藤前竜王は、これで指せると見ていたらしい。ところが、先手に銀を捨ててから、▲5五角という手が用意されていた。これぞ急所の一手、大好手である。
飛車の成り込みを狙って角を動かすのは誰でも考えるが、▲5五角が有効だとは気がつきにくい。つまり、▲5五角には△7三歩でだめと見えるからだ。しかし、そのとき、▲6六歩で飛車を殺せる。それを佐藤前竜王はうっかりしていたのである。
銀損で有利、なんていうことは普通あり得ないのだが、6図は銀損の先手がおもしろい。窪田君の才能はたいしたもので、正直なところ見直しました。
6図以下の指し手
△6九飛成▲7二飛成△3四歩▲8一竜△5一銀▲4六角△3二玉▲5五歩(7図)飛車を殺されてはかなわないから△6九飛成。先手も▲7二飛成と成り込んではっきりした。陣形の差がひどい。
▲4六角、▲5五歩も巧妙で、大金星の雰囲気になった。
このとなりでは、谷川王将対森下八段戦(竜王戦)が戦われている。これは大きな一番だが、森下は例によって歩をため込んでいる。形勢はこれから、といったところ。
こちらの観戦記担当は、森下の兄弟子の武者野六段だが、窪田君の実質的な師匠格でもある。今は、窪田君の形勢が気になって仕方がない。7図からしばらくして、窪田君に勝ち急ぎの手が出ると「玉頭の歩はていねいに挨拶するに決まってる。わかってないな」など気をもんでいる。なんとなく、ベンチのヘッドコーチという感じだ。
では、窪田君の終盤をご覧下さい。もしかしたら泉君の欄とだぶるかもしれないが、めったにない快勝なので書き誌しておきたい。
実のところ、8図のあたり、控え室では窪田君がやられると見ていた。それが、佐藤と窪田の信用の違いというものである。その先入観を持って見ているからか、窪田君は頼りない。ひっきりなしに体を前後にゆすっている姿のせいもある。
(中略)
8図の△6八角は、控え室で気が付いてなかったが、指されてみると好手という評判だった。▲6七金なら、△2四角成から根本の桂をみんな抜ける。
8図以下の指し手
▲6七金△2四角成▲3三銀不成△2五馬▲4二銀不成△同金▲5一竜△4四玉▲3六桂まで、窪田四段の勝ち。▲3三銀不成から▲4二銀不成となり、一同アッ!と言った。簡単に寄っているからである。6七の金が働いて上部へ逃げられない。
(以下略)
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将棋世界の同じ号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
「対局日誌」に窪田の銀損攻めが詳しく紹介されているが、本当に異色の棋風の持ち主だ。佐藤(康)に対して、まるで臆することなく頑として自身の将棋を貫くから勇敢。
それでも8図を迎えた終盤は、佐藤の△6八角が厳しく映り、さすがの異端児も「かぶとを脱ぐ」ものと思われた。金を渡すと即死の状態だからだ。
豈図らんや、窪田は”心配ご無用”とばかり▲6七金△2四角成▲3三銀不成△2五馬▲4二銀不成△同金▲5一竜△4四玉▲3六桂まで投了に追い込んだ。ちなみに最終手に対して△同馬なら、▲同歩で先手玉が安全で、変化の余地なし。
(以下略)
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5図からの▲6五歩~▲2三銀成~▲5五角が魔法のようだ。
▲6五歩が振り飛車らしい軽妙な歩の突き出し、▲2三銀成は鬼手、▲5五角は窪田義行四段(当時)流の表現を使えば「先手角が天翔ける飛鳥のごとく5五へ」。
この▲5五角は、後年の近代将棋でも次の一手として紹介されていた絶妙手。
玉形の差から、銀損でも飛車が成り込めれば優勢という大局観が非常に斬新だ。
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居飛車側玉頭へ向かう振り飛車単騎銀は升田幸三実力制第四代名人も多く用いたが、これほど早い段階で直線的に単騎銀が斬り込んで効果をあげるケースも少ないかもしれない。
終盤の収束も含め、振り飛車の面白さをあたらめて実感できる一局だと思う。