将棋世界1995年8月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。
この日の控え室は、13日とちがってやさしい棋士がそろっている。まず田中(寅)九段、森下八段があらわれ、つづいて日浦六段、佐藤前竜王、さらに島八段も姿を見せた。
こういう人達なら、継ぎ盤でヘボを言っても、あからさまな嘲笑は受けないですむ。今日は、米長対村山戦にしぼって(他に対局は二局だけだ)勉強しよう、と殊勝な心がけだったのだが、もくろみ通りに事は運ばなかった。
日浦君が、森下八段を見て「この詰将棋はどうですかね」と継ぎ盤に問題を並べた。出題されたら、一応は解くのがプロ棋士のエチケットである。田中君も寄って来て考えはじめた。
しばらくして勝又四段がひょいと盤上を見て、とんきょうな声を上げた。「あっ!これか。これ難しいんですよ。ほらこの通り手帳にうつしてあるでしょ。ずいぶん考えましたよ」。ニヤニヤした。
やがて佐藤前竜王も加わった。先発組はもう30分も考えている。なるほど難しいらしい。さらに島君も来て、全員参加の知恵くらべとなった。和気あいあい、13日とは、同じ天才でもだいぶ違う。
私は詰将棋を考えない。そんな難しいのは考えても詰まないに決まっているからだ。退屈して特別対局室へ様子を見に行った。
(中略)
控え室に戻ると、まだ同じ詰将棋を考えている。もう1時間以上たったはずだ。よくあきもせず考えられるものだ。
そのうち、田中君が正解を見つけたらしい。勝又君と符牒みたいな会話を交わしている。佐藤前竜王は「この形は見憶えがあるな。大阪で村山さん夢中になって考えていた」どうやら正解を見つけたらしい。
森下八段は熱くなった。「おかしいな」うなっている。いつの間にか中村君もいて、見て見ぬふりをして考えていたのかな。目立たぬようにうなずいた。
「そうだったのか」森下君の声が出た。「堂々めぐりしてましたよ」。残ったのは島八段だけになった。
「初手とその応手を教えて下さい」島八段が泣きを入れたのでみんな大笑い。
三手目から考え、さすがにすぐ詰ました。すかさず勝又君が「こういうのもありますよ」と別の出題をした。「これを解くのに2時間もかかったんですよ。ところが奨励会員は2分で解いてしまった。年代の差を感じましたね」。
森下八段は、ウンウンとうなずきながら聞き、今度は話が終わらないうちに解いていわく、「いい筋じゃないですか」。
田中、島両君が寄って来た。盤がたまたま私の前にあるので、私も考えざるをえない。「指す手はかぎられているんだけどな」など言いながら考えるが、全然筋が浮かばない。10分くらい経って奇跡的に詰み筋がひらめいた。思わず「アッ」と声を出したら、田中君は「困ったことになったな」。5、6分たって「ハイ、出来ました」。「ああ、最悪の事態になった」。島君は笑いながら真剣になった。
佐藤前竜王は一瞬で解いたらしく、はなれた所で駒を並べはじめている。私達の方を見やって「詰将棋はみんなで解くのがいいんですね」。
13日のときとは違うが、力を競い合っているのに変わりはない。そこで思い出したのだが、あの研究の有様を見ていて羽生六冠王がそんなに強いとは思えなかった。「郷田なら30秒」という言い方があるが、速く正確に、の面では、郷田君の方が六冠王より勝っていると見えた。
後日、先崎君にそれを言ったら「そうでしょう。羽生君は本気を出さないんですよ」。
そうかな、先崎君は損な考え方をしてるんじゃなかろうか。やっぱり俺は才能で劣っていない、と考えた方が得だろう
参考までに、やさしい方の問題を掲げておく。中田(章)六段作、15手詰。「詰将棋手帳」にある。この作品集は、プロ棋士の誰もが褒めた。20分以内に解けたらプロ級。ヘソ曲がりの方は挑戦してみて下さい。
(以下略)
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河口俊彦六段(当時)が「13日とちがって」と書いている13日とは、昨日の記事の控え室のこと。
この日の控え室も、佐藤康光前竜王、4年後にA級へ3度目の復帰をする田中寅彦九段、A級の島朗八段、森下卓八段、羽生キラーと言われた日浦市郎六段、新四段の勝又清和四段(段位などは当時)という超豪華メンバーだが、組み合わせが変わるだけで、控え室の雰囲気は大きく変わるようだ。
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カニ料理と詰将棋は似ているかもしれない。
カニは、茹でた毛蟹にしてもズワイガニにしても上海蟹にしても、「美味しい」ことと「食べるのに手間取る」ことから、みんなが食べることに熱中してしまい、会話が途絶えがちになるものだ。
カニは接待には向かないと古来より言い伝えられている所以でもある。
だが、互いの気持ちが通じ合う仲間同士で一つのテーブルを囲むことで、会話はなくとも美味しさは倍増する。
佐藤前竜王が離れたところから「詰将棋はみんなで解くのがいいんですね」と言ったのも、このようなことを意味しているのかもしれない。
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目の前に難解な詰将棋がある時の棋士たちの姿。